山里に生きる道草日記

過密な「まち」から過疎の村に不時着し、そのまま住み込んでしまった、たそがれ武兵衛と好女・皇女!?和宮様とのあたふた日記

鎮守の森の神社を掃除する

2019-08-25 21:06:33 | 出会い・近隣

 朝7時に近くの神社に集合し、境内を掃き清める。集落恒例の共同作業だ。特別大きな瑕疵もなかったので一時間ほどで終了する。この神社は周りの神社の総社でもあるので各集落から集まった総勢30人ほどが従事する。だれかの指示がなくともいつものように粛々と手慣れた作業を自主的に推進していく。

     

 村の神社は村のコミュニティーとして重要なことは言うまでもない。しかし、ネットで「BLOGOS」というwebからオイラがふだん思っていることと同じような意見が次の通り掲載されていた。

 「私はいまだかつて、神社の人、神社本庁にいる人のたぐいが、国家神道への反省、神社の戦争責任、戦争への反省を述べたというのを、見たことも聞いたこともありません。」とのべ、神社がキリスト教・仏教などのように国際的な広がりを見せないのは「…その時代錯誤な態度、思考、過去、日本帝国主義の象徴であること」を指摘していた。たしかに大きな神社ほど、日の丸の旗と天皇崇拝の文字が目立つように掲げられている。

 それは74年経っても戦前から思考停止のまま化石になってしまったように感じられてならない。内部からの多様な意見が封じられているのだろうか。いやそんな意見・疑問さえ出ないのが実情なのかもしれない。というのも、そうした意見・疑問は近所からも全くない、そんなことを思いながら不遜な心を清めるのだった。ちなみにオイラは自然崇拝のアニミズム派だから、他の宗教より神道の近くにいるんだけどね。  

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