特にこれと言ったコンセプトのないブログ 2015年10月意識低い系を宣言。

私の辞書に努力と継続と言う文字は無い。
1999年人類滅亡を信じて生きてきたが
その後も惰性で日々を送っている。

うやむやにしないでほしい

2012年07月24日 | 時事 News
今回も時事ネタである。
しかし、今回は暇だからと書いてみるというより、この記事にあるように高汚染地域に避難を強いられた福島県民が不憫でならないので、なにか書かずにはいられない気分になったので一言書くことにした。

政府原発事故調 最終報告 SPEEDI非公表 悔やむ住民(産経新聞) - goo ニュース

こういうことを今後の教訓にするのは当然だが、その前にこういう事態を招いた根源を追求し責任の所在を明確にすることが先決だ。カン前総理をスケープゴートにするならそれもいいだろうが、原発行政は前政権時代から遺物でもあるのだから、責任の矛先を民主だけに向けるのもどうかと思う。

しかし、事故の対応についてはやはり現政権で与党という立場にある民主党の責任は免れないことは明白だ。


本来メルトダウンによる圧力容器破損などという事態あってはならないことなのだ。
今思うとメルトダウンはしていないという政府の発表を鵜呑みにして、一安心した自分の甘い判断が情けなくなってくる。

今回の原発事故で福島第2発電所と第1発電所では、結果が全く異なっている。そのことだけでも最悪の事態は防げていたことの間接的な証明になるのではないか。両者の違いから事故、想定外、避けることはできなかったという理由付けはできるだろうが、権力による情報操作に振り回されていた国民は聞く耳をもたないだろう。

先の大戦でも敗戦の責任を自ら明確にすることを避け、連合軍による一方的な軍事裁判は不公平だということでうやむやしているような気がする。

今回の原発事故も戦時中の大本営発表同様、正確な情報を国民に伝えず結果として国民が其の犠牲になっているとしか思えない。

国民が黙っていては権力の食い物にされてしまうのはいつの世も変わらぬ事かもしれないが、少なくとも今の日本ではかなり言論の自由が認めている、国民はこの権利を最大限に活用することで、この貴重な権利を持続させるよう努めなくてはならないと思う。


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