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特にこれと言ったコンセプトのないブログ 2015年10月意識低い系を宣言。

私の辞書に努力と継続と言う文字は無い。
1999年人類滅亡を信じて生きてきたが
その後も惰性で日々を送っている。

フィリピン2012 旅記録 4

2012年04月03日 | フィリピン
旅3日目

乗り継ぎ便の予約の日にちを間違えたのでなかなか目的地に到着しない。 それでも一泊630Pesosの宿に泊まれたので余計な出費はかなりおさえられている。この部屋のクオリティでこの価格はかなり高いとしか言えないが、これが相場なのだろう。それどころか前回の宿があまりにも割り高だったので得をした気分だ。

夕食朝食と続いた日航ホテルの食べ放題に続いた昼食の機内食を最後に何も口にしなかったが、昨夜は全く空腹を感じなかった。

今朝はさすがに少し空腹を感じたのと外を眺める窓と言う最低限の設備さえ欠落した閉鎖された空間に籠り続けるのも精神的に不健全だと思ったのでホテルの外に出ることにした。

外界から遮断された薄暗い部屋に慣れてしまっていた躰には南国の朝の光が眩し過ぎた。この世が楽園であるかのように無邪気に戯れあう仔猫を数匹連れた母猫が嬉しそうにその光を全身に浴びていた。

そんなノンビリした朝の一時を過ごす猫達とは対照的なのが人間達だ。路肩には足の踏み場も無いほど物売りが思い思いに店を拡げ、路上はジープと呼ばれるこの地区の公共交通の主役達がステンレスやブリキの車体に朝日を反射させながら我が物顔で闊歩していた。露店とジープの間の人一人がやっと通れるスペースに買い物客や重そうな荷物を積み上げた小さな手押し車がひしめきあっていた。正に混沌そのもの、初めて見る光景ではないが改めてフィリピンにいることを思い知らされた。

ホテルから歩いて5分程の所にあった大衆食堂でアンパラヤと卵炒めというこの国の定番料理を食べた。アンパラヤとは苦瓜のことだ。味は沖縄の美味しいゴーヤチャンプルの半分程度としておこう、フィリピンの大衆食堂はだいたいこんなもんだ。値段はP50だった、以前と比べて少し高いような気もしたがご飯がかなりの大盛だったのでこんなものなのかもしれない。恐らくマニラの物価はかなり上昇しているはずだなどと思いながら支払いを済ますと店のおばちゃんが茶目っ気を交えて日本語で「アリガト」と言ったので思わずこちらも微笑んでしまった。こういう些細なやり取りもフィリピンならでは味がする。

混沌とは別に雑踏を歩く人々の様子が日本人のそれとは全く異なることに気がついた。日曜日で教会へ足を運ぶ人が多かったのもそう感じた理由の1つなのだがそれだけではない何か表しようのない力を感じた。大袈裟に言うと別世界の住民を見ているような感じがするほどの違和感があった。以前余りにも長くこの国にいたので感覚が麻痺していたのだろう。違和感の要因は何であるにせよ日本人が完全に失いつつある大事なものであることには間違いなさそうだ。





フィリピン2012 旅記録 3

2012年04月03日 | フィリピン
旅2日目 QUIRINO HOTEL

フィリピン航空に搭乗したので機内食も食べられた。4 時間とは言うものの機内は退屈だ。入国手続きの長い列、それでも前回ANAが到着したターミナル3よりは待ち時間がはるかに短かった。

今回フィリピン航空の利用で何よりありがたかったのは明るい内に到着出来たことだ。取り合えずジープに乗ってバクラーランまで行った。LRTに乗りキアポまで行き以前よく利用したの安宿にでも泊まろうかと漠然と考えていたが、途中でQUIRINO HOTELという名の安宿が目についたのでそこを訪ねて部屋の有無を確認することにした。チェックインカウンターの女の子が愛想もなく値段の説明をしてくれた。24時間でP630。1200円位か?

念のため部屋を確認した。きれいな部屋ではなかったが面倒なので泊まることにした。

実はそのとき日本語を話す親切の押し売りをするおばさんに付きまとわれていたので半分HOTELに逃げ込んだようなものだった。




夕方涼しくなったら外に出て晩御飯でも食べた後辺りを散策しようと思っていたが、結局外出はしなかった。



フィリピン2012 旅記録 1

2012年04月02日 | フィリピン
旅1日目 まさかの flight cancel

JQ Jetstar airline or airways のManila行きのチケットが格安だったことがきっかけで始まった今回の旅。

長い間勤務した馴染みの成田空港、Jetstar のcheck in counterが何処にあるかも当然わかっていた。

第2ターミナルの入り口を背にして一番左端のカウンターに着いたが様子がおかしい。乗客が誰も並んでいないのだ。情報が表示された柱に目をやると搭乗予定のJQ78便がキャンセルになったと英語で地味に表示されていた。

案内係のお姉さんが近づいてきて目と鼻の先にあるカウンターまで丁寧に案内してくれた。フライトがキャンセルになったと伝えられたので明日の便は?と事情もわからずに尋ねると朝出発のフィリピン航空になりますけどといわれた。今夜のホテルは?と聞くと既にバウチャーが用意されていた。

全ては想定内なのだ。日本語教師養成講座修了式の最中にJetstarから電話があった、さすがに話ができる状況ではなかった。後でカスタマーサービスに電話してくださいといわれた。その後メールをチェックすると出発時刻が午前から午後に変更になったのでキャンセルするか新しいフライト時刻に変更するかを選択して決めて下さいという内容だった。キャンセルの場合往路便のみが対象なので変更を選択し予約がconfirm されたので安心していた。

ちなみにキャンセルの理由はフィリピン政府からの許可が遅れているためということだった。さすがはフィリピンと言う感じだ。


そんな経緯からその日は夕食朝食付きでホテル日航成田に宿泊することになった。

夕食用の弁当を空港内で買ってしまったことと、今回に限って到着日の宿を予約してしまったので100%のキャンセル料がかかってしまうことが失敗だったがトータルで得をしたのではないだろうか。というのも国内線の乗り継ぎ便の予約日を一日間違えていたからだ。うっかりして3月が31日まであることを忘れてしまい本来の日より一日遅れの4月1日に予約をいれてしまっていたので用もないマニラで何をして一日潰そうかと考えていたからだ。





フィリピン2012 旅記録 2

2012年03月31日 | フィリピン
成田空港のfree wifi のエリアが以前より格段に拡張していた。
航空会社のカウンターでチェックインをまっているあいだも無料で接続できた。
搭乗手続きも無事終了した。

空港では以前の同僚が以前同様に働いていた。


仕事を辞めてもう10ヶ月になる。

光陰矢のごとし、ヤレヤレだ。


ふと思い出したフィリピンでの出来事

2012年01月04日 | フィリピン
ふと思い出した
経験談を書いておく


私が以前住んでいたフィリピンのバコロド市に、日本から慈善団体のメンバー一同15名ほどが寄付金を持参してはるばるやってきた。市長が歓迎会を開き、なぜか私がそこでの通訳をするはめになった。


一通りの挨拶が済み慈善団体の会長が市長の隣に座ることになったので、なんでも話せば通訳しますからどうぞとつたえたが、何も喋らなかった。しばらくすると「もう帰りたい」と一言、それを市長に伝えると会がお開きになった。


てっきりこの会長は無口なのかと思ったが、その後日本人同士の会合になると、とてつもなく饒舌だった。

しかしその内容は日本でしか許されない下品な冗談ばかりだった。

なるほど、このスタイルではちょっと公式の場では話せないはずだと納得した。


ANA マニラ就航 前回のフィリピン旅行 Mindanaoへの旅

2011年05月16日 | フィリピン

ANAがマニラ路線に就航した
ということで、フィリピンエアではなくANAに乗ってみた。

たしか4月の2日発、もう随分昔のことのような気がする。

ANAは就航記念キャンペーンか何かで往復税燃油サーチャージ込み等込みで5万円位でチケットを販売していた。まあ、これは成田発の他社便デルタ、Jal,PRとして比較してかなり安かった。もちろん高かったら断念していた。


エコノミーだったけど、機内食はおいしかった。ちなみに機体はB767。ERかどうかは忘れたが、機内は静か。

席のレイアウトが2+4+2なのでカップルだったら、窓側がいいかも。2人だけで座れるという意味で。


到着が夜。国内線に乗り継ぐ人にはマニラ一泊が必要になる。
タクシー乗って宿探し。バクラーランにはUS$60の宿しかなかった。面倒なので、そこで一泊。
宿はありえないくらいに貧弱で古い。やれやれ無計画の代償だ。

朝食はフィリピンスタイルのもの、ご飯にコンビーフ、ホットドック、卵みたいなやつ。それとインスタント珈琲。もろフィリピンだった。

もっともホテル周辺はまさにフィリピンそのものという感じだったので、そういう雰囲気に少しでも長く浸りたい人にはいいのかもしれません。


Cebu Pacific Airで予約したMinadaoまでの飛行機の出発が早かったので朝食をゆっくり食べることもできなかった。


今日一年2ヶ月ぶりにフィリピンへ行きます、それとも帰りますか?

2010年03月01日 | フィリピン

今成田空港の第2ターミナルにあるYahooの無料でPCが使えるところから更新しています。
無料でこんな施設が利用できるなんてウソみたいです。

みなさんもフィリピン航空利用の際は早めに出国手続きを済ませて、ここを利用してみてください。

さてさて、タイトルにあるように有給をとってフィリピンに行ってきます。本来なら一ヶ月くらいの休みが取れればいいのですが、今の職場というか日本の状況としてそれは難しいです、もっとのんびりできる世の中にならないのでしょうかね。

失業するか、忙しいか的な二者択一では、選択肢が狭すぎますよ。

まあ、自営業とかフリーランスで自由に生きるという選択もあるので、必ずしも可能性がないわけではないのだろうが、それに伴う才覚が欠如している人々にはどうなんだろうか。



マニラ到着後国内線でセブへ移動する。
マクタンの空港からタクシーでセブの港へ行きフェリーでスリガオまでいく。明日の朝にはとりあえずミンダナオ到着だ。

そこから更にバスに乗り込み7時間かけてようやく最終目的地の南スリガオ県のキャピタル、Tandag到着。


何事も無く無事に到着すればいいのだが


そろそろPR431の搭乗開始時刻だ。


チュニート フィリピンを去る

2009年04月07日 | フィリピン
フィリピンの情報等を期待してこのブログにたどりついた皆さまへ



今わけのわからないもろもろの事情で日本にいるので、現地から送る最新の情報は当分ありません。



自分の意思決定過程があまりにも思いつきに頼りすぎるというのもいかがなものかと考えています。

思いつきが起こした行動が新しい人間関係を生じさせる。人との出会いというのは日常生活の中で多種多様な意味合いで楽しいこととして定義できるので喜ばしいことと受け止めている。

そんなわけで思いつきのまま行動するというパターンは体が動く限り続けるような気になっています。


Makatiからの最終回 そして、セブパシフィックは安い!!

2008年11月15日 | フィリピン
今日でMakati を去ることになりました。
このMakati 路上観察日記も今日で最終回になってしまいます。

今後、インターネットアクセスが出来る環境にいれば、何らかの更新を予定中。

バコロド時代から長らく立ち寄ってくださった読者のみなさまありがとうございます。

ちなみに明日のセブパシフィックでBacolodへ戻ります。料金は片道約P1300でした。
そして、安いからという理由でやはり、セブパシフィックの大阪行きのチケットを購入しました。料金は片道たったの、P7400です。もちろん燃料代と込みですよ。
プロモ期間以外でもP15000前後、コレでも十分安いですよね。

ネットからでも購入可能です。なんか、宣伝っぽくなってしまった。

ξ ギリシャ文字クサイを使いましょう!

2008年10月30日 | フィリピン
2008年10月30日 (木)
08:27得に何かがあるわけでもないのだが、坦々と日々が過ぎてしまうというありがちなパターンにはまっている。考えてみればそうなるもの当然だ。何しろ、自分が主体となって行動していることが少ないからだ。皆無に等しいといっても過言ではない。Makatiの職場に通うこと自体もなんだかこれがある種のルーティーンになっているからそうしてるだけで、そこで行われる行為そのものについて意義を見出しているわけでもないのだ。何はともあれ、今月も残り僅かで終わることになる。間もなくすると、今年も後僅かで終わるといっている自分の姿が今から想像できてしまうのがなんともいえない今の状況を反映しているようである。

ところで、ギリシャ文字に臭いというのがあるの世間に広める使命があったのにすっかり忘れていた。ξ←小文字 大文字は、漢字の三ににています。日本語でくさいとタイプして変換するとでてきます。

使用例文
ドリアンはξですね。でも変換を間違えるとドリアン白菜ね。になりますのでご注意を!!

バスの車窓から見かけた全裸の男

2008年10月27日 | フィリピン
タイトルの通りなのですが、完全に全裸です。ポイ捨てされたタバコを拾って吸っていたので、ジャイナ教の裸行派ではないでしょう。あまりにも堂々としていたためあまり違和感はありませんでしたが、やはり周りの人は唖然という感じで注目していました。不思議と体は汚れていなかったので、健康優良児が大人になったようで不快な印象はありませんでした。

持ち物のは口に銜えたタバコ以外何もありませんでした。簡素な暮らしを実践している人を見たという感じだった。

損失

2008年10月25日 | フィリピン
2008年10月25日 (土)
10:03世界的株安で当然中国の株価も低下している。フィリピンにいる間ほったらかしにしてあった、中国株の投資信託も今頃紙くずのような値段になっているに違いない。こうなったら、更に5年間放置しておくしかないのかもしれない。
現地採用としてここで半年働いて60万円チョイの給与所得を得て、その10倍以上の金額を投資という名のマネーゲームで損失してしまった。なんだか、低賃金で働くの馬鹿らしくなってしまった

生活費

2008年10月24日 | フィリピン
フィリピンでの物価、日本から来る人や、日本からの送金を受け取っている人にとっては、円高の関係で相対的に割安になっているはずだ。

フィリピンに現金の手持ちがある場合、その財産を日本円に換算するのはやめておいたほうが無難だ。といっても、難しい計算をするわけでないので、すぐにわかってしまう。私の場合、軽く何百万が消えてなくなったような気になっている。

もっとも、何年か前、一万円がP3700だったころ、手持ちの財産が円換算で増えたと思ったこともある。

今思うとまったくのぬか喜び、まあ外貨預金で損をしたような感覚だ。