乗り継ぎ便の予約の日にちを間違えたのでなかなか目的地に到着しない。 それでも一泊630Pesosの宿に泊まれたので余計な出費はかなりおさえられている。この部屋のクオリティでこの価格はかなり高いとしか言えないが、これが相場なのだろう。それどころか前回の宿があまりにも割り高だったので得をした気分だ。
夕食朝食と続いた日航ホテルの食べ放題に続いた昼食の機内食を最後に何も口にしなかったが、昨夜は全く空腹を感じなかった。
今朝はさすがに少し空腹を感じたのと外を眺める窓と言う最低限の設備さえ欠落した閉鎖された空間に籠り続けるのも精神的に不健全だと思ったのでホテルの外に出ることにした。
外界から遮断された薄暗い部屋に慣れてしまっていた躰には南国の朝の光が眩し過ぎた。この世が楽園であるかのように無邪気に戯れあう仔猫を数匹連れた母猫が嬉しそうにその光を全身に浴びていた。
そんなノンビリした朝の一時を過ごす猫達とは対照的なのが人間達だ。路肩には足の踏み場も無いほど物売りが思い思いに店を拡げ、路上はジープと呼ばれるこの地区の公共交通の主役達がステンレスやブリキの車体に朝日を反射させながら我が物顔で闊歩していた。露店とジープの間の人一人がやっと通れるスペースに買い物客や重そうな荷物を積み上げた小さな手押し車がひしめきあっていた。正に混沌そのもの、初めて見る光景ではないが改めてフィリピンにいることを思い知らされた。
ホテルから歩いて5分程の所にあった大衆食堂でアンパラヤと卵炒めというこの国の定番料理を食べた。アンパラヤとは苦瓜のことだ。味は沖縄の美味しいゴーヤチャンプルの半分程度としておこう、フィリピンの大衆食堂はだいたいこんなもんだ。値段はP50だった、以前と比べて少し高いような気もしたがご飯がかなりの大盛だったのでこんなものなのかもしれない。恐らくマニラの物価はかなり上昇しているはずだなどと思いながら支払いを済ますと店のおばちゃんが茶目っ気を交えて日本語で「アリガト」と言ったので思わずこちらも微笑んでしまった。こういう些細なやり取りもフィリピンならでは味がする。
混沌とは別に雑踏を歩く人々の様子が日本人のそれとは全く異なることに気がついた。日曜日で教会へ足を運ぶ人が多かったのもそう感じた理由の1つなのだがそれだけではない何か表しようのない力を感じた。大袈裟に言うと別世界の住民を見ているような感じがするほどの違和感があった。以前余りにも長くこの国にいたので感覚が麻痺していたのだろう。違和感の要因は何であるにせよ日本人が完全に失いつつある大事なものであることには間違いなさそうだ。