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「ますます満ち溢れるように」
パウロは自分とテサロニケの教会の人々とのつながりをくり返し確認してきた。
宣教の経緯や態度、彼らに対する深い関心と喜びがあることを伝えてきた。
そして、神への深い感謝を覚えながら、再会と霊的成長のために祈りをささげた。
そのようなステップを踏んで、パウロは彼らに必要と思われることを率直に勧めている。
ただし、それは新しい教えではなく、すでにパウロたちがいっしょにいた時に教えたものである(1)。
しかも、テサロニケの信者たちは、すでにそのように歩んでいる、とも認められている。
そのうえで、「ますますそのように歩んでください」と励ましが必要だったのである。
まず、パウロは聖潔という点に触れる。
「神のみこころは、あなたがたが聖くなることです」(3)と述べる。
恐らく、異教社会の中で、偶像崇拝に伴う性的な乱れを許容する風潮にさらされていたのであろう。
それゆえ、性的な道徳性を保つという規準の再確認が必要だった。
パウロは、不品行に対する主の正しい裁きを告げ(6)、聖潔を拒むことと聖霊を与える神を拒むこととを関係付けている(8)。
非常に厳粛である。
それだけ教会にとって切実な問題なのである。
次いで、兄弟愛に関する勧めが来る(9)。
ただし、詳細な指示は不要であるとされている。
なぜなら、彼らがすでに実践していたからである(10)。
それゆえ、ここでも「ますますそうであってください」という表現をとっている。
ただし、兄弟愛において秀でた教会であったものの、一方で課題もあったようだ。
経済面で他者に依存する人々もいたようである。
そのような人々には、自立して働くことを勧め(11)、教会外部への証しと自らの必要を満たすという責任を果たすように教えなくてはならなかった(12)。
私たちも今あるところを規準として、神のみこころである聖潔と兄弟愛において、ますます豊かな者となるように求めていきたい。
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教会が、あなたにふさわしい歩みをすることができますように。
イエス様の御名によって祈ります。アーメン。