マイペースで行こう

東村山市内のキリスト教会の牧師のブログです。更新も内容もマイペースですが、18年目に入りました。

希望

2008-09-20 13:30:41 | 神学校・講座
昨日、神学校の自分のメールボックスに、後期の聴講についてのお知らせが入っていました。
もう今年の前期も終盤です。
あっという間に期末ですね。
とても早い

後期はどの科目を履修しようか考え中です。
欲張って3科目取りたい気持ちと少ない科目で内容重視にするか迷っています。
興味のある科目はたくさんありますが、自分の能力と時間という限界もありますので
もう少しいろいろな方から講義内容や課題・試験などについてお話を聞いて、検討してみたいと思います。



さて、新約各書のレポートの続きです。
テサロニケⅠ 4:13-18
「希望がある」

パウロは、再び「兄弟たち」と呼びかける(13)。
そして、彼らに希望があることを告げる。
それは死者の復活に関することである。
イエスの復活を信じたのならば、当然死者の復活も信じることになると諭す(14)。
そして、キリストにある死者の復活を、キリストの再臨と信者の携挙と絡めて描写する。

テサロニケの教会は、主の再臨についての理解を整理する必要があったようだ。
「もう間もなく、主は再臨なさるだろう」と考えて、直面している苦難を耐え忍ぶ人々がいたのだろう。
熱心に再臨を待ち望みながら、死を迎えた場合の待遇が気になるのも無理はない。
死者と生きている者との区別と順序にこだわって説明する理由は、そこにあるのだろう。
彼らの心配を覆すごとく、「イエスにあって眠った人々」(14)、すなわち「キリストにある死者」(16)が、主の再臨に際して優先的な扱いを受けることを確認する(15,16)。

しかし、再臨時の生死による待遇の違いはあるものの、それらが一貫して神の力強い働きであることには違いない。
死者の復活も、生きている者が「引き上げられる」(17)ことも、神の主権的な介入であることは間違いない。
そして、その目的は、「主と空中で会うこと」とされている。
厳密に言えば、再臨した主を出迎えるために挙げられるのである。
その時点では、復活した者も引き上げられた者も「いっしょ」となる。
そして、「私たちは、いつまでも主とともにいることになる」。

これは、何と慰めに満ちた言葉だろうか。
私たちの希望は、漠然とした願望ではない。
直面する現実と死でさえも、私たちを絶望の中に閉じ込めることはできない。
確かに、私たちは多くの暗いニュースを耳にする。
この世の罪の現実を目の当たりにする。
しかし、キリストの再臨に伴う復活と携挙の希望がある。
永遠に主とともに生きる希望がある。
あらためて心に留めるべき慰めのメッセージがここにある。
互いにこのことを確認して、励まし合っていこう。



最後まで読んでくださり、ありがとうございました
みなさんは、この希望をすでに持っていらっしゃいますか
聖書は「神とともに永遠に生きる」ことについて教えています。

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