鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

昔の航空写真から見た鷹泊

2014年12月05日 | Weblog
航空写真(昭和55年)で見ると、雨竜川に沿って、堤防、道路、鉄道が並走している。駅前通りの南側、写真では右下の南鷹には人家がまだ多くあるのがわかる。

昭和30年代の南鷹は人家が多かったが、南鷹地域の今は富岡産業一色になっている。
南鷹といえば、なんといっても国鉄官舎である。駅の近くにあった国鉄官舎の長屋に数軒の職員家族が居住していた。駅長宅を含め、3棟あったと思う。南鷹の一大勢力であった。その跡地は整地され。往時を偲ばせるものは何もない。1987年の国鉄分割・民営、JRになってからの、合理化などで職員が大幅に減員となった。そして、深名線廃線と続いた。
駅舎で働いている人の他に、保線職員がいた。雪の多い深名線の保線は大変だったと思う。子供時代の思い出として、保線員が、自転車型トロッコに乗って線路を走っている姿を見て、そのトロッコに乗ってみたいと思ってみたいと常々思っていた。
写真は昭和55年(だと思われる)鷹泊の航空写真

唱歌「ふるさと」を聞くと、鷹泊の昭和30年代が思い出される

2014年12月03日 | Weblog
誰にでも故郷がある。鷹泊で生まれ育った者は、故郷を離れて暮らしていても、ふとした時に、幼い頃の鷹泊での生活を思い出すに違いない。
あの頃の鷹泊は、農村というより、山村というイメージが強かった。その鷹泊の山川で遊びまわった時代にも、唱歌「ふるさと」は、心に響くものがあった。
今年は、唱歌「ふるさと」が1914に誕生してから、100年にあたる年ということである。

うさぎ追いし かの山 小鮒釣りし かの川
夢は今もめぐりて 忘れがたき故郷

この歌を聞くと、まさに昭和30年代の山村鷹泊での子供時代のことが思い出される。歌が作られてから50年ほど経った時に、にこの歌に馴染み、それから更に50年経過して更に感動ということになる。


写真は、鷹泊の南西に見えるイノシシ山。昔に較べると木々が多いように思われる。50年の年月は自然をも変化させている。

鷹泊一号沢の位置が判明

2014年12月01日 | Weblog


写真は、三号沢が雨竜川に合流する付近にある鷹泊橋である。国道275号線に架かっている。
この三号沢で思い出した。鷹泊にある沢のうち、二号沢と三号沢は、子供の頃よく行って遊んだところだ。しかし、一号沢については、聞いたこともなかった。
二と三があるのだから、当然存在しているはずである。一号沢はどこなのかという長年の疑問も、細田先生の資料「ふる里鷹泊」を読んでみると書いてあった。鷹泊ダムのすぐ下あたりにある沢ということだ。
今まで、一号沢がペンケ方面にあるのか、幌加内峠へ向かう方面にあるのか、皆目わからなかったが、しっかりと記されていた。いまさらわかったからといって、何かがかわるものではないが、すっきりした気分になれた。