鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

8月の大雨に伴う避難で、リフレッシュプラザ鷹泊がニュースになっていた。思い出す昭和30年の雨竜川氾濫。

2014年12月15日 | Weblog
平成26年度の鷹泊ニュース、その2
26年8月4日から5日にかけて、雨竜川上流の朱鞠内で、198mmの大雨が降り、氾濫が予想されたため、深川市役所は大雨による避難勧告情報を出した。
その情報内容は「昨日からの大雨により、雨竜川(多度志地区)で氾濫の恐れがあり大変危険な状態です。雨竜川付近の多度志・幌成・鷹泊地区に避難勧告を出しましたので、住民の皆さんは、避難を開始してください。避難場所は、多度志コミュニティセンター、リフレッシュプラザ鷹泊です。あわてずに落ち着いて避難してください。」というものだ。
リフレッシュプラザ鷹泊に鷹泊住民20数人が避難したとの写真付き記事が、北海道新聞に載っていた。現在鷹泊に何人在住しているのだろう。トータルの人口がわからないが、20数人ということは、半数位かなと想像する。
大雨での災害では、昭和30年7月の雨竜川氾濫を思い出す。まだ堤防がなかった時代のことではある。堤防がある、今の鷹泊であれば、氾濫に対しては大丈夫であろうと推測するが、最近は想定外の自然災害が起こりつつあるので、役所も避難勧告を出したと思われる。


写真は昭和30年の洪水時の、鷹泊小中学校。(鷹泊小学校80周年記念誌から転載)この時は、堤防がなかった。幌加内地区の大雨による増水を、できたばかりの鷹泊ダムが支えきれなかった。