鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

鷹泊小中学校での遠い日の思い出。その1

2020年12月06日 | Weblog

昭和30年代に鷹泊小・中学校に在学した者として、このブログで学校関連のことも過去にいろいろ書いてきましたが、今回も学校跡を訪れてみていろいろ思い出すことがありました。過去の記載と重なることも多々ありますが、主に昭和39年度の日付を入れながら拙い個人的な思い出を書いてみます。

まずは4月。(日付は昭和39年を原則としていますが、内容は年度が必ずしも39年というわけではなく変則的な内容となります。)

4月1日、小・中入学式。4月6 日、始業式。

新小学1年生にとっては感激する学校への一歩の日だった。保育所とか幼稚園のなかった鷹泊では、集団生活が始まる最初の日である。雪が残った道を校門を通って、真っ直ぐの道が小学校玄関へ。右が中学校玄関へ。下駄箱に名前が書いてあり、担任の先生や上級生の出迎えの中、教室へ入った日は感激の一日であった。

同じ校舎ゆえに、新中学1年生にはそれほどの感激もない日だった。男子にとっては、白線の入った学生帽をかぶれるようになったくらいの変化しかなかった。

なんといっても小学校と中学校が一緒だったのは当時は当たり前の時代であった。

写真は旧鷹泊小中学校校舎(昭和46年)。鷹泊小学校記念誌より転載。

4月の思い出として、4月の新学期になっても雪解けの進行が遅く、中学時代は校庭の雪割りをしたことが思いだされる。野球部が土の上で練習したくてもできず、やむなく校庭全体を覆い尽くしていた硬い雪をスコップで割って運び出す重労働を行ったが、北空知のほかの学校と比べて大きなハンディーだったと思う。

実際今年(令和2年)12月5日現在の積雪は気象庁の発表で、鷹泊の記録はないが、お隣の幌加内が87cm、深川市の中心部が5cmとある。鷹泊と幌加内はほとんど変わらないはずなので、おそらくかなり積もっているはずである。

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