鷹泊 昭和30年代

いまは超過疎地になった北海道深川市鷹泊 自然にめぐまれたその地で昭和30年代を過ごした自分がその当時を思い出してみた

鷹泊小中学校での昭和30年代の遠い日の思い出。その8 

2020年12月24日 | Weblog

学芸会は、今は学習発表会といわれている。学芸会は観客を楽しませる会で、学習発表会は学校教育の発表の場という意味合いの違いがあることからの変更のようである。学芸会は運動会と同様に、地域あげての行事だった。

11月22 日 学芸会。 前日が予行練習日で全学年が観客。

11月末はすでに寒い時期であったが、体育館にはダルマストーブが燃え盛り、満員状態で熱気にあふれていた。今思うと、小学1年から中学3年まで9学年の音楽とか劇や遊戯等のたくさんの出し物を滞りなくあの時間内でこなしていたのは毎年の行事とはいえ、すごいと言えた。学級数、生徒数が多すぎても少なすぎてもだめで、当時はちょうどよい生徒数だったのかもしれない。

下図は鷹泊小学校記念誌から引用した小学校卒業生の数。昭和20年から40年くらいまでは比較的多かったが、その後減少が著明で、平成になっての卒業生は1学年1人まで減少している。

学芸会といえば、休憩時間に行っていたPTAによるバザーを思い出す。バザーとは通常、慈善事業などの資金を得るために催す即売会などをいうようだが、あのときのバザーとはかんたんな飲み物、食べ物を手作りした模擬店のようなものであった。 

11月4 日にはミルク給食が始まった。給食代は無料だったはずだが、脱脂粉乳とコッペパンだけだったので、栄養学的にどうみても貧弱な給食だった。

しかし、現代では低脂肪牛乳が好まれていることから、皮肉な言い方をすれば健康食品のさきがけという見方もできる。