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知って得する!トリビアの泉
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長岡さん紹介
最長老の私(51)男が、アイコラボ京都のメンバーを紹介したいと思います。
アイコラボのメンバーは若い人が多く、私を含めて皆、障害者です。現在は13名います。長岡さんは現在22歳で、2年前にアイコラボに来た時はパソコンど素人であった、ホームページのホの字も知らない本物の素人さんでした。今ではパソコンのプロに成長するほどの、大変貌を遂げました。エクセル・ワードの取り扱いは、もちろんのこと、ホームページ・サイトを立ち上げる力も持ち合わせています。私も入社当初から彼女を知っていますが、その成長ぶりには驚かされます。車椅子生活で、不自由なことも多いのに、不満を言うことなく、底抜けに明るい彼女。彼女に一度でもあったら、その魅力に引かれることでしょう。
児玉君紹介
筋肉の力が衰えていく病の彼は、現在23歳です。アイコラボでもリーダーとして、皆を指導し、引っ張っていってくれます。彼の誠実さは、女の子に特に伝わるらしく、現在まで入院していた私には特に、めざましく成長した女の子が気になります。この彼も、もとを正せば、何も知らないど素人でした。その彼が、いきなりホームページのサイトをまかされて、悩んで作り上げていく中で、一歩、二歩と成長していったのです。彼を一言で宣伝すると、その話題の豊富さをあげれるでしょう。そのニュースソースは幅広く、各種新聞テレビに始まりまんがインターネットに至るまで、およそメディアと呼ばれるものは、彼の手にかかれば、あっという間に脳細胞にインプットされてしまいます。この情報の渦のような、脳から口を通してはき出される話しは、面白く女の子の心に響くのでしょう。

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私は家族で、北海道旅行をして、残りでアイコの皆とハワイ旅行に行きたいと思います。

貴方ならどうしますか?

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よくアイコラボの意味を聞かれるが、英語で書くと i-collabolation になる。

collabolation とは共同作業のことだから、iである私も共同作業に加わるということである。

実際は、何してるのかというと、私の場合は、私が作ったブログの記事を、制作入力している。

他の皆は、ホームページ制作や、それに付随する、デザインやシンボルを考えたりしている。

これから、パソコンを、マスターしたい方、私達と一緒に勉強しませんか?

私達も最初は、パソコンのど素人でした。

何を聞かれても、はあ? はあ? という感じでした。

それでも、1年、続けることができると、物になるものである。

我々の中にも、優秀な人がいるので、おっくうがらずに、解らないことがあっても、解らないことが、解らなくても、どんどん、訊いて欲しい。

そうすることが、アイコラボの精神にも通じるのである。

皆の仕事力が、レベルアップして、どんな仕事にも対応できるアイコラボ人になって欲しいのである。

そうなれるだけの、ハード及びソフトはある。

実際、我々の先輩は、上記を実行して、一般の(株式会社 オムロン パーソネル)に就職した人も多くいる。

我々の最終目的は、一般企業でも、役に立つ身体障害者を育てることである。

このアイコラボとはからの、お知らせを、読んだ身体障害者の方は、是非、我々に連絡してください。

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あいさつ

このたび、アイコラボ タイムズという、タイトルで、アイコラボ京都の紹介記事を載せる機関紙を発行することになりました。

この機関紙では、そもそもアイコラボとは”どういうところなのか”? という皆さんの疑問に答えていくために、アイコラボの実像を綴っていきたいと思います。

今のところ、2ヶ月に1度出稿しようと思っていますが、読者の皆様の希望により、変化させようと思っております。

まず最初に、アイコラボ京都を設立してくださった、小森所長に、挨拶してもらいたいと思います。

その前に私が、所長を紹介したいと思います。



奇跡の奪還(4回、よみがえった男)

 トレーニングジムのトランポリンで、一人の少年が、夢中になって跳んでいる。彼は運動神経、抜群の、将来のプロ野球選手を期待された野球少年であった。中学2年の彼は、時速132kmの速球を投げるという素晴らしい素質の持ち主であった。
「あ、危ない。」今まで2回転ジャンプや、2回転ひねりなど、簡単に、こなしていた彼が、頭から落ちたのである。「こら、えらいこっちゃ。救急車 救急車や、早く電話してくれ。」回りは、えらい騒ぎになった。本人はというと、頭をトランポリンのプレートにぶつけたショックで、頚椎を損傷したらしい。
”ボキッ”という、首の骨が折れる音が、まともに、聞こえたらしい。
その直後から、下半身完全麻痺になり、指も動かなくなってしまった。
脊髄損傷者の誕生である。
彼の首が折れてから、気がつくと、病院にいた。
左右の頭蓋骨に穴を開けられ、両方に重りが吊られていた。
頭が動かないように、固定するためだ。
病院に運び込まれてから、3日目の出来事であった。これが、彼が体験した第1回目のよみがえりである。11月の快晴の日であった。

 ここに、彼の才能に惚れ込んでいる、先生が一人いる。彼は、サッカーの顧問をしていた。彼は少年を見るたびに、サッカー部に入らないかと、声をかけていたらしい。少年は運動神経 抜群のために、野球をやっても、サッカーをやっても、彼が入るだけで、一番になれるのである。今でいう、スーパースターである。その先生の車の中には、すぐに着替えられるように、いつも、喪服が、つんであったという。先生は残念で、たまらなかったことだろう。

 スーパースターが、言ってたことだが、最初、彼は、京都の五条病院に、担ぎ込まれたそうだが、手に負えず、第二日赤病院へ転院した。そこでのエピソードを紹介しよう。当時、ノーベル物理学賞を取った、湯川秀樹博士が、入院していた病院も、ここらしい。その時の見舞客よりも、スーパースターのほうが、多くの見舞客が来てくれたらしい。やっぱり、みんなスーパースターが好きみたいだ。

 彼と一緒にトランポリンをしていた仲間が、ショックで行方不明になったらしい。それも、そのはずだ。彼が頭から落ちて、助けを求めているときに、「大丈夫やで。首の調子なんか、帰ったら直ってるわ。」と、言ったらしい。罪の意識に苛まれたのか、しばらくの間、姿をくらましたらしい。

 23歳になった彼は、奥様と出会った。私は思う。彼の前向きな生き方に、奥様が惚れられたのだと。奥様の献身的な姿を見るたびに、そう思う。下半身完全麻痺で、指が動かないので、自宅では、たぶん、何から何まで、やってもらっているのでしょう。羨ましい限りである。作業療法士である彼女は、気持ちが大きい人で、頼りがいがある。甘えている代表の顔が、見えてきそうである。この彼女と、一緒に生活されるのは、代表が30歳のときである。

 この30歳の時に、代表の身に大変なことが起こる。いつも車いすに座っているので、お尻が、床ずれになってしまった。運が悪いことに、そこから、菌が入ってしまったのである。菌は血液の中でドンドン増殖し、代表を苦しめた。このときにも、よみがえった体験があるのである。一緒に生活しようと思った矢先の出来事であるから、奥様の心を察すると、涙が出てくる。今年で代表は40歳である。この間の生活は、相思相愛という4文字が一番似合う、ご夫婦であった。これからも、ズート 変わらず、愛を育んでいってください。

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好きな俳優 山本學

自動車運転免許証 昭和58年取得

好きな歌手 昔の井上陽水、オレンジレンジ

中学、高校と吹奏楽でフルートを吹く。高校時代はクラブがなかったから同好会から吹奏楽を始めた。

田舎 岐阜県北部 毎年夏になると、車を運転して帰省する。

食べ物 好き嫌いはなく何でも食べる。

高校1年生の娘さんがいる。吹奏楽で打楽器をたたいている。

中学1年生の息子さんがいる。毎日サッカーに汗を流している。

住所 京都府伏見区向島

主人は聴覚障害者で、性格は真四角な人。

MATUさんが聴覚障害者の支援をするようになったきっかけは、MATUさんの幼いときにふり返る。
MATUさんの家の近くに"つんぼ"の子が住んでいた。
昔は、家系の中にそういう子が生まれること自体、忌み嫌われ、親戚はもとより、近隣の人々からも、嫌われるという風習は、当たり前のことであった。
MATUさんの両親は、そういう家族に対しても、分け隔てなく、つきあっていった。
そういうご両親の姿をみて育ったMATUさんは、気がついたら、今のご主人と結婚していて、聴覚障害者の支援に関する、講演などで、忙しい毎日をおくっている。

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