さて、
サーパスの歴史を綴り、サーパスの功績(?)とボクらの思い出をお伝えする企画。
歴史という点では、チーム的にも一番のヤマであり、ボクら的にも一番思い出深い2003年から2005年にかけてを紹介していこうと思います。
この時期、
ボクらは前面に出てまさにサーパス神戸を”応援”した時期でありました。
まず2003年
この年、じつは今回のようなサーパスの名称消滅騒動が起きているんです。
このとき、一旦穴吹工務店はオリックス球団との契約を解消しました。
しかし、
「ファンの根強い声があり、チーム名として定着しつつあるから」
という理由で、サーパスの名前が存続したのです!!
このときは、
穴吹社長や関係者にボクたちも声をあげて、あくまで抗議ではなく、前向きな提案等を行ないました。
ボクだけじゃないでしょう。
でも、のちにボクらの声が確実に届いていたことは聞いています。
それを聞いて、
サーパスはまさしくボクたちで盛り上げていくチームだ!!
と確信しました。
それ以来、
いろんなカタチで意見を述べたり、関係者さんと接触できたり、、、ファンがサポートできる体制のなかにボクは確実にいました。
そして、
表向きにも、サーパスを応援していることをアピールし、サーパスを守っていきたいという衝動にかられ、おぐりくんと結成したのが、、、
「サーパス応援団」
でした。
もう過ぎたことなので、、、
応援団関係者の皆さん、許してください。。
というか、
本物の応援団の邪魔をするような活動ではなく、あくまで個人的かつ、ちょっと組織的な応援活動が中心でした。
でも
鳴り物も、、、ちょっと使いました・・・
え
ちょっとどころじゃないだろって??
うるさいよっ(爆)!!
オリジナルで応援の掛け声を考えたり、横断幕を作ってアピールしたり、、
というのがメインです。
ちなみに↑↑は、上記のサーパスの名称存続のために当時作った横断幕ですね。
レプリカのユニフォームを作ったのも、この応援活動の一環となりました。
こんなもんですわ。
また、
活動の場としては、本拠地球場ではなく、あえて地方球場に限定しました。
地方球場って、イベント色が強くて、ボクたちもサーパスを知らない地元の方にサーパスの選手を知ってもらいたい。
ボクたちの応援で楽しんでもらって、サーパスを好きになってくれれば、、
というコンセプトでした。
事実、前にも話しましたが、
↑でサインをもらっている少年野球の子達
2年連続で開催された岐阜県関市での中日ドラゴンズとの一戦で、やはり2年連続で見に来ていた子たち。
ボクらのことを覚えていてくれて、
「今日は橋本センセーおらんの?」
と、声をかけてくれました。
前年に、中学校の先生からBW入りした橋本投手を
「橋本センセー!!」
とコールしていたことを覚えていてくれていたんですね。
これこそ!
応援団冥利に尽きる!!
とばかりに、喜んだこともありました。
ほかにも
こういうちょっと笑えるようなアホな応援を考えるのは楽しいもので・・(笑)
(嶋村)一輝選手をつかまえて
「しまむらの、ちょっとイイとこ 見てみたい・・・
イッキ! イッキ! イッキ!・・・・・・」
はい、
コレもボクの仕業でーーす(爆)。
サッカーや他のスポーツのコールで面白いものがあれば使ったり、藤本選手の応援歌が、名前が一緒ってだけで元モーニング娘の藤本美貴の歌からカバーしたり、、、
応援の勉強や、応援のために人の心をつかむ研究をしたくて、シーズンオフにはおぐりくんと他のスポーツ試合を見に行ったり、いろんなところにも出かけてみました。
こんな感じで、野球を楽しみ、サーパスを楽しむことが第一でした。
いや
昨今の応援団のパフォーマンスは複雑化してきて、クオリティも高くなってきているのはボク自身も賞賛できるくらいのものです。
でも!
応援の原点って、こういうところなんじゃないでしょうか??
少人数だから面白い。
人間も道具もないけど、純粋に野球を楽しむ一心で応援を考えると、とても充実していました。
このあたり、
90年代のロッテ応援に繋がっているような気がします。
事実、
ボク自身がサーパス応援にロッテ応援団時代の影響があることは、裏返しもなく間違いないです。
米村コーチなんかはけっこうな理解者でしたし、ボクたちの応援でも喜んでくれる人がいると思えば楽しかったですね。
そんなこんなで、
思い出に残っている試合をご紹介しましょう。
年は変わり、2004年。
球団合併で騒がれた「あの年」。。。
サーパスも、球団合併によりまたリセットされるのではないか・・・
そう懸念しながら、1軍もファームも見守っていました。
この年は前後期制を敷いていたウエスタン・リーグ。
前期は最下位だったものの、後期についてはある「希望」が舞い込んできた。
ウエスタン・リーグ2位の好位置!!
しかも、1位中日~3位阪神までの上位が最大で2ゲーム差にいる混戦のまま9月を迎えたのでした。
後期だけでも優勝できれば、ファーム選手権への可能性がある!!
それ以前に、
サーパス”優勝”というふた文字が歴史に残る!!
球団合併についてはあまり目立つ行動はしていなかったボクが、唯一こだわったのが、サーパスの快進撃と、サーパスの最後を優勝で飾ろうということ。
それが、
ファームに育ててもらったボクだからできること。
サーパスへの感謝の気持ちでいっぱいでした。
おぐりくんはじめサーパス応援仲間、そして神戸で会うBW応援仲間にもその気持ちは共有でき、盛り上がりました。
9月11日 ナゴヤ球場
スコアボードをよくご覧あれ。
この週末は中日との2連戦となったのですが、雨の予備日が消化できず、サーパス主催の試合もナゴヤで開催したという、ホーム&アウェーな試合。
ナゴヤ球場でサーパスのホームユニフォームが見られるという珍しい試合にもなりました。
ただ、ホームゲームは12日だったんですがね。
ナゴヤでホームユニを見れる、、、
というめぐり合わせも、ボクたちへの最後のご褒美になったのかな。。。
なんてうぬぼれながらも、
この試合で優勝がほぼ決まるという負けられない試合となり、ボクたちはナゴヤ球場の3塁側へ集結!
負けられない試合を、めいっぱい応援しました。
感動したのは、この「ファン不在」横断幕を神戸の仲間が持ってきてくれたこと。
メディアでも注目されたこの横断幕を持って、ナゴヤ球場にも「合併反対」を訴えることが出来た。。
のちに、
この日の試合をブログ等で綴っていた方のHP等々を見ることがあり、いろんな方がボクたちの応援に感慨を持ってくれていたことがわかったことも、とても嬉しかったです。
さらに!
この年を振り返る加藤英司監督のインタビュー記事の中で、ボクたちのことを取り上げてくれて、このときの応援が選手にも届いていたことを知ることも出来ました。
金田、マック鈴木の先発で望んだ試合は、2連敗。。。
優勝の夢はこのときほぼ解消されてしまいました。
それでも
こうしてサーパスというチームに希望をかけて応援できたことや、それに呼応して集まってくれた仲間たちがいたことに、サーパス応援をやってよかったな、、、という思いに胸がいっぱいになりました。
シーズンが終わり、合併が決まって、ほんとうに近鉄とオリックスブルーウエーブが消滅したのち、、
高知でよさこいリーグが開催されると、ほんとうに選手が旧来のユニフォームを着て最後となるこの大会を見に行こうと、高知に駆けつけて応援をしました。
よさこいリーグの最終戦となった阪神戦。
ここでも応援を展開し、最後のブルーウエーブでの選手たちとなったサーパスを見届けることが出来ました。
ボクたちは、てっきりこれでサーパスもなくなるものだと思い、やはり即興の横断幕を作って、最後の最後まで声を送りました。。。
このときの模様を高知新聞社「土佐路の球音」というコラム記事の中でも取り上げていただきました。
2003年、2004年と、ブルーウエーブにとっては低落の年であり、
前述の契約金ゼロ選手も次々といなくなり、、、そこにきて合併・・・と、ほんとうに苦しい時期になりました。
ただそこで、
合併を訴えていたことで絆が生まれたファンの方が多かったことと同じように、
ボクたちはサーパスを通じて応援する生きがいをもらったこと。
その声が方々に響いて、ボクたちで何かを動かせるのではないか・・・?と本気で思うことが出来たこと。
仲間が増えたこと。
選手や関係者とどこかで繋がっているなぁ、、、と実感できたこと。
これが、また現在に生きる財産となった年でもありました。
チームとしても、若い選手がほんとうに頑張った年でした。
平野、後藤、本柳、竜太郎。。。
われらイチオシの2002年組が活躍し、合併があっても、これからが楽しみな選手になるのかな。。。
という、小さな光りも感じた年でもありました。
年は変わり、オリックス・バファローズになった後も、サーパスは残りました。
球団の体制が変わり、サーパス神戸の「神戸」がなくなり、近鉄の選手が入ってきたり、、、
旧BWファンの中には、合併後の”サーパス”は、私たちのすきだった”サーパス神戸”とは非なるもの。
と、仰る方も少なくありません。
しかし
ボクは、合併しても残ったサーパスという名前を大事にしたかった。
ファームを応援する者としてのせめてもの希望とも思ったし、穴吹の意向も感じたから。
合併球団を前向きに応援している身だからこその意見かもしれませんがね・・・。
2005年以降も、サーパスの応援活動はしました。
しかし、
ホンモノの応援団にも規制が設けられる世の中にもなり、微力でも目立つ応援をやっていると方々の関係者に迷惑がかかってはいけないとも思い、音頭をとって応援を行なうことはやめました。
これ以降は、
現在にいたるTシャツ作りや、仲間内での応援ツアーなど、個人レベルの応援にとどまっていますが、サーパスへの思い、仲間との絆は色あせませんでしたね。
継続は力というし、ボクもサーパスを応援する意義とか、主張みたいなものを得た気がするし、何より野球を応援する自信ができた。
それが、いまのボクのEnjoy Baseballというテーマにもつながってきています。
大事な、だいじな年でした。
そして、
サーパスとの付き合いは、これ以降も続くのでした。。。
次回以降は、
サーパスを通じて得た”人”との思い出、そして、サマシルへの想い。
サーパスへの最後の”想い”をご紹介して、シリーズも終結させていきたいと思います。
サーパス神戸
2003年 前期:6位。後期:5位。
2004年 前期:6位。後期:3位。
サーパスの歴史を綴り、サーパスの功績(?)とボクらの思い出をお伝えする企画。
歴史という点では、チーム的にも一番のヤマであり、ボクら的にも一番思い出深い2003年から2005年にかけてを紹介していこうと思います。
この時期、
ボクらは前面に出てまさにサーパス神戸を”応援”した時期でありました。
まず2003年
この年、じつは今回のようなサーパスの名称消滅騒動が起きているんです。
このとき、一旦穴吹工務店はオリックス球団との契約を解消しました。
しかし、
「ファンの根強い声があり、チーム名として定着しつつあるから」
という理由で、サーパスの名前が存続したのです!!
このときは、
穴吹社長や関係者にボクたちも声をあげて、あくまで抗議ではなく、前向きな提案等を行ないました。
ボクだけじゃないでしょう。
でも、のちにボクらの声が確実に届いていたことは聞いています。
それを聞いて、
サーパスはまさしくボクたちで盛り上げていくチームだ!!
と確信しました。
それ以来、
いろんなカタチで意見を述べたり、関係者さんと接触できたり、、、ファンがサポートできる体制のなかにボクは確実にいました。
そして、
表向きにも、サーパスを応援していることをアピールし、サーパスを守っていきたいという衝動にかられ、おぐりくんと結成したのが、、、
「サーパス応援団」
でした。
もう過ぎたことなので、、、
応援団関係者の皆さん、許してください。。
というか、
本物の応援団の邪魔をするような活動ではなく、あくまで個人的かつ、ちょっと組織的な応援活動が中心でした。
でも
鳴り物も、、、ちょっと使いました・・・
え
ちょっとどころじゃないだろって??
うるさいよっ(爆)!!
オリジナルで応援の掛け声を考えたり、横断幕を作ってアピールしたり、、
というのがメインです。
ちなみに↑↑は、上記のサーパスの名称存続のために当時作った横断幕ですね。
レプリカのユニフォームを作ったのも、この応援活動の一環となりました。
こんなもんですわ。
また、
活動の場としては、本拠地球場ではなく、あえて地方球場に限定しました。
地方球場って、イベント色が強くて、ボクたちもサーパスを知らない地元の方にサーパスの選手を知ってもらいたい。
ボクたちの応援で楽しんでもらって、サーパスを好きになってくれれば、、
というコンセプトでした。
事実、前にも話しましたが、
↑でサインをもらっている少年野球の子達
2年連続で開催された岐阜県関市での中日ドラゴンズとの一戦で、やはり2年連続で見に来ていた子たち。
ボクらのことを覚えていてくれて、
「今日は橋本センセーおらんの?」
と、声をかけてくれました。
前年に、中学校の先生からBW入りした橋本投手を
「橋本センセー!!」
とコールしていたことを覚えていてくれていたんですね。
これこそ!
応援団冥利に尽きる!!
とばかりに、喜んだこともありました。
ほかにも
こういうちょっと笑えるようなアホな応援を考えるのは楽しいもので・・(笑)
(嶋村)一輝選手をつかまえて
「しまむらの、ちょっとイイとこ 見てみたい・・・
イッキ! イッキ! イッキ!・・・・・・」
はい、
コレもボクの仕業でーーす(爆)。
サッカーや他のスポーツのコールで面白いものがあれば使ったり、藤本選手の応援歌が、名前が一緒ってだけで元モーニング娘の藤本美貴の歌からカバーしたり、、、
応援の勉強や、応援のために人の心をつかむ研究をしたくて、シーズンオフにはおぐりくんと他のスポーツ試合を見に行ったり、いろんなところにも出かけてみました。
こんな感じで、野球を楽しみ、サーパスを楽しむことが第一でした。
いや
昨今の応援団のパフォーマンスは複雑化してきて、クオリティも高くなってきているのはボク自身も賞賛できるくらいのものです。
でも!
応援の原点って、こういうところなんじゃないでしょうか??
少人数だから面白い。
人間も道具もないけど、純粋に野球を楽しむ一心で応援を考えると、とても充実していました。
このあたり、
90年代のロッテ応援に繋がっているような気がします。
事実、
ボク自身がサーパス応援にロッテ応援団時代の影響があることは、裏返しもなく間違いないです。
米村コーチなんかはけっこうな理解者でしたし、ボクたちの応援でも喜んでくれる人がいると思えば楽しかったですね。
そんなこんなで、
思い出に残っている試合をご紹介しましょう。
年は変わり、2004年。
球団合併で騒がれた「あの年」。。。
サーパスも、球団合併によりまたリセットされるのではないか・・・
そう懸念しながら、1軍もファームも見守っていました。
この年は前後期制を敷いていたウエスタン・リーグ。
前期は最下位だったものの、後期についてはある「希望」が舞い込んできた。
ウエスタン・リーグ2位の好位置!!
しかも、1位中日~3位阪神までの上位が最大で2ゲーム差にいる混戦のまま9月を迎えたのでした。
後期だけでも優勝できれば、ファーム選手権への可能性がある!!
それ以前に、
サーパス”優勝”というふた文字が歴史に残る!!
球団合併についてはあまり目立つ行動はしていなかったボクが、唯一こだわったのが、サーパスの快進撃と、サーパスの最後を優勝で飾ろうということ。
それが、
ファームに育ててもらったボクだからできること。
サーパスへの感謝の気持ちでいっぱいでした。
おぐりくんはじめサーパス応援仲間、そして神戸で会うBW応援仲間にもその気持ちは共有でき、盛り上がりました。
9月11日 ナゴヤ球場
スコアボードをよくご覧あれ。
この週末は中日との2連戦となったのですが、雨の予備日が消化できず、サーパス主催の試合もナゴヤで開催したという、ホーム&アウェーな試合。
ナゴヤ球場でサーパスのホームユニフォームが見られるという珍しい試合にもなりました。
ただ、ホームゲームは12日だったんですがね。
ナゴヤでホームユニを見れる、、、
というめぐり合わせも、ボクたちへの最後のご褒美になったのかな。。。
なんてうぬぼれながらも、
この試合で優勝がほぼ決まるという負けられない試合となり、ボクたちはナゴヤ球場の3塁側へ集結!
負けられない試合を、めいっぱい応援しました。
感動したのは、この「ファン不在」横断幕を神戸の仲間が持ってきてくれたこと。
メディアでも注目されたこの横断幕を持って、ナゴヤ球場にも「合併反対」を訴えることが出来た。。
のちに、
この日の試合をブログ等で綴っていた方のHP等々を見ることがあり、いろんな方がボクたちの応援に感慨を持ってくれていたことがわかったことも、とても嬉しかったです。
さらに!
この年を振り返る加藤英司監督のインタビュー記事の中で、ボクたちのことを取り上げてくれて、このときの応援が選手にも届いていたことを知ることも出来ました。
金田、マック鈴木の先発で望んだ試合は、2連敗。。。
優勝の夢はこのときほぼ解消されてしまいました。
それでも
こうしてサーパスというチームに希望をかけて応援できたことや、それに呼応して集まってくれた仲間たちがいたことに、サーパス応援をやってよかったな、、、という思いに胸がいっぱいになりました。
シーズンが終わり、合併が決まって、ほんとうに近鉄とオリックスブルーウエーブが消滅したのち、、
高知でよさこいリーグが開催されると、ほんとうに選手が旧来のユニフォームを着て最後となるこの大会を見に行こうと、高知に駆けつけて応援をしました。
よさこいリーグの最終戦となった阪神戦。
ここでも応援を展開し、最後のブルーウエーブでの選手たちとなったサーパスを見届けることが出来ました。
ボクたちは、てっきりこれでサーパスもなくなるものだと思い、やはり即興の横断幕を作って、最後の最後まで声を送りました。。。
このときの模様を高知新聞社「土佐路の球音」というコラム記事の中でも取り上げていただきました。
2003年、2004年と、ブルーウエーブにとっては低落の年であり、
前述の契約金ゼロ選手も次々といなくなり、、、そこにきて合併・・・と、ほんとうに苦しい時期になりました。
ただそこで、
合併を訴えていたことで絆が生まれたファンの方が多かったことと同じように、
ボクたちはサーパスを通じて応援する生きがいをもらったこと。
その声が方々に響いて、ボクたちで何かを動かせるのではないか・・・?と本気で思うことが出来たこと。
仲間が増えたこと。
選手や関係者とどこかで繋がっているなぁ、、、と実感できたこと。
これが、また現在に生きる財産となった年でもありました。
チームとしても、若い選手がほんとうに頑張った年でした。
平野、後藤、本柳、竜太郎。。。
われらイチオシの2002年組が活躍し、合併があっても、これからが楽しみな選手になるのかな。。。
という、小さな光りも感じた年でもありました。
年は変わり、オリックス・バファローズになった後も、サーパスは残りました。
球団の体制が変わり、サーパス神戸の「神戸」がなくなり、近鉄の選手が入ってきたり、、、
旧BWファンの中には、合併後の”サーパス”は、私たちのすきだった”サーパス神戸”とは非なるもの。
と、仰る方も少なくありません。
しかし
ボクは、合併しても残ったサーパスという名前を大事にしたかった。
ファームを応援する者としてのせめてもの希望とも思ったし、穴吹の意向も感じたから。
合併球団を前向きに応援している身だからこその意見かもしれませんがね・・・。
2005年以降も、サーパスの応援活動はしました。
しかし、
ホンモノの応援団にも規制が設けられる世の中にもなり、微力でも目立つ応援をやっていると方々の関係者に迷惑がかかってはいけないとも思い、音頭をとって応援を行なうことはやめました。
これ以降は、
現在にいたるTシャツ作りや、仲間内での応援ツアーなど、個人レベルの応援にとどまっていますが、サーパスへの思い、仲間との絆は色あせませんでしたね。
継続は力というし、ボクもサーパスを応援する意義とか、主張みたいなものを得た気がするし、何より野球を応援する自信ができた。
それが、いまのボクのEnjoy Baseballというテーマにもつながってきています。
大事な、だいじな年でした。
そして、
サーパスとの付き合いは、これ以降も続くのでした。。。
次回以降は、
サーパスを通じて得た”人”との思い出、そして、サマシルへの想い。
サーパスへの最後の”想い”をご紹介して、シリーズも終結させていきたいと思います。
サーパス神戸
2003年 前期:6位。後期:5位。
2004年 前期:6位。後期:3位。
懐かしさてんこ盛りですねー
読んでて思わず涙ぐんでしまいました
あの頃は若かった、、、(爆)
ありがとうございます。
ボクたち名古屋のサパファン的にも、思いで深い試合です。
ボクやおぐりくん達は、当時まーくんどのはじめBW常連とはまだ一緒にサーパス応援をする機会ってあまりありませんでしたしね。
サーパスに燃えた時代です。
もうこうして”時代”と吟ずるような過去になってしまいました。。。
ボクも若かったです(爆)。
「あのユニはどうされたんだろう?」と思ったことを上の写真を拝見して思い出しました!
あの方々の中に、管理人さんもいらっしゃったんですね(笑)。