今日からシリーズで、サーパスの歴史について、またサーパスに込めた思いを語っていきたいと思います。
みなさん、よろしくお願いいたします。
さて、
一回めは、いきなり珍しいものからお見せいたします。
写っ
メンバー表です。
2000年3月31日金曜日、ナゴヤ球場
ウエスタンリーグ開幕戦
中日ドラゴンズ × サーパス神戸
サーパス神戸、史上初の公式戦、
記念すべき初スタメンのメンバー表。
このメンバー表がNPBの公式な書式であり、両球団が試合前に記入して、審判を介し交換されます。
ボクは例によって、当時ナゴヤ球場で球場スコアラーのバイトをしていました。
その際に、スコア入力用として回ってくるもので、これもバイトの特権で獲たものといえます。
どんよりとした曇り空、
一般客の開門よりちょっと早い球場入りで目にした練習中のサーパス選手を見て、鮮烈だけど、期待過多だったのか、曇り空だったからか、あまりユニフォームが栄えない印象もちょっと感じました。
慣れなかったからでしょうかね。
濃紺にターコイズブルーと、寒色系の色使いでしたから。
でも、すぐに慣れると、プレーをしている選手たちを見て、満足感は高まってきました。
記念すべきサーパス公式戦初の先発は#39ウイリー。
今後、何度かサーパスのマウンドで見ることとなります。
安定感はなく、内容は悪いけど結果に見えない、評価しづらいピッチャーだった記憶があります。
ただ、この年の途中で帰っちゃいましたけどね。
試合は葛城郁郎に記念すべきサーパス第一号ホームランが飛び出すも、
結果は7×6で敗戦。
負けは平井投手。
高松から穴吹の関係者が「頑張れサーパス神戸」という横断幕まで持ってきて、気合の初戦でしたが、勝利を飾ることは出来ませんでした。
ついでにいうと、、
4月1日 1×5●
4月2日 1×5●
とまぁ、
3連敗と言う…弱小オリックス、転落の前途を予知するような船出となりました。
ナゴヤでは、たしか6月に1勝したのみで、この年はウエスタンリーグ最下位。
ナゴヤ球場では勝てない。
というひそかなジンクスも、サーパス初期にはありました。。
しかし
こっから、サーパスの歴史が始まっていったわけです。
ボクは、まだロッテの応援団に所属していたことから、この年サーパスのために遠征したり、北神戸に足を運ぶことはありませんでした。
サーパスの戦績はすべて、ナゴヤ球場での(バイトがらみの)結果です。
でも、
来年に控えた就職を機に、ロッテの応援団をやめて応援の一線からは引こうと思っていたこの年。
派手なことをしなくてもいいから、自分の目の届くテリトリーでチームの戦績だけではなく、運営面など、裏方的な部分も含めてチームの歩みを見つめてみたい。。。
バイトをしていたおかげで、裏方さんとの交流があったり、野球を違った目線から見れたことも、こうした価値観の移行の要因になったんでしょう。
そんな、
あらたな価値観を、この出来たての新しいチームに見出していきたい・・・と、沸々と感じていった年なのでした。
この年、
ボクの大学の卒業論文は、
「パリーグ球団とマイナースポーツに見る、球団経営とマーケティングについて」
また、
自身の卒業制作と、前述のようなチームを陰から支え、応援したい気持ちのカタチとして、
グリーンスタジアム(当時)のデッキ絵画に応募、参加しました。
Enjoy Baseball
いまのボクがあるのは、やっぱり「サーパス」に大きく影響を受けたもので、このナゴヤ球場の3連戦から、この長いサーパスとの付き合いが始まっていくのでした。
※ちなみに、、、
中日の方の3番レフト「李」は、李炳圭じゃなくて、李鍾範っすからね(笑)!?
みなさん、よろしくお願いいたします。
さて、
一回めは、いきなり珍しいものからお見せいたします。
写っ
メンバー表です。
2000年3月31日金曜日、ナゴヤ球場
ウエスタンリーグ開幕戦
中日ドラゴンズ × サーパス神戸
サーパス神戸、史上初の公式戦、
記念すべき初スタメンのメンバー表。
このメンバー表がNPBの公式な書式であり、両球団が試合前に記入して、審判を介し交換されます。
ボクは例によって、当時ナゴヤ球場で球場スコアラーのバイトをしていました。
その際に、スコア入力用として回ってくるもので、これもバイトの特権で獲たものといえます。
どんよりとした曇り空、
一般客の開門よりちょっと早い球場入りで目にした練習中のサーパス選手を見て、鮮烈だけど、期待過多だったのか、曇り空だったからか、あまりユニフォームが栄えない印象もちょっと感じました。
慣れなかったからでしょうかね。
濃紺にターコイズブルーと、寒色系の色使いでしたから。
でも、すぐに慣れると、プレーをしている選手たちを見て、満足感は高まってきました。
記念すべきサーパス公式戦初の先発は#39ウイリー。
今後、何度かサーパスのマウンドで見ることとなります。
安定感はなく、内容は悪いけど結果に見えない、評価しづらいピッチャーだった記憶があります。
ただ、この年の途中で帰っちゃいましたけどね。
試合は葛城郁郎に記念すべきサーパス第一号ホームランが飛び出すも、
結果は7×6で敗戦。
負けは平井投手。
高松から穴吹の関係者が「頑張れサーパス神戸」という横断幕まで持ってきて、気合の初戦でしたが、勝利を飾ることは出来ませんでした。
ついでにいうと、、
4月1日 1×5●
4月2日 1×5●
とまぁ、
3連敗と言う…弱小オリックス、転落の前途を予知するような船出となりました。
ナゴヤでは、たしか6月に1勝したのみで、この年はウエスタンリーグ最下位。
ナゴヤ球場では勝てない。
というひそかなジンクスも、サーパス初期にはありました。。
しかし
こっから、サーパスの歴史が始まっていったわけです。
ボクは、まだロッテの応援団に所属していたことから、この年サーパスのために遠征したり、北神戸に足を運ぶことはありませんでした。
サーパスの戦績はすべて、ナゴヤ球場での(バイトがらみの)結果です。
でも、
来年に控えた就職を機に、ロッテの応援団をやめて応援の一線からは引こうと思っていたこの年。
派手なことをしなくてもいいから、自分の目の届くテリトリーでチームの戦績だけではなく、運営面など、裏方的な部分も含めてチームの歩みを見つめてみたい。。。
バイトをしていたおかげで、裏方さんとの交流があったり、野球を違った目線から見れたことも、こうした価値観の移行の要因になったんでしょう。
そんな、
あらたな価値観を、この出来たての新しいチームに見出していきたい・・・と、沸々と感じていった年なのでした。
この年、
ボクの大学の卒業論文は、
「パリーグ球団とマイナースポーツに見る、球団経営とマーケティングについて」
また、
自身の卒業制作と、前述のようなチームを陰から支え、応援したい気持ちのカタチとして、
グリーンスタジアム(当時)のデッキ絵画に応募、参加しました。
Enjoy Baseball
いまのボクがあるのは、やっぱり「サーパス」に大きく影響を受けたもので、このナゴヤ球場の3連戦から、この長いサーパスとの付き合いが始まっていくのでした。
※ちなみに、、、
中日の方の3番レフト「李」は、李炳圭じゃなくて、李鍾範っすからね(笑)!?
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