慶喜

心意気
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歴代天皇史(聖徳太子)

2017年08月02日 | 歴史
聖徳太子の偉業と取り巻く天皇たち

推古天皇の皇太子、超人として名高い
史上初の女帝が誕生し、推古天皇を補佐する
聖徳太子が舵取りになり先進的な制度が導入される
 ☆推古天皇は、政治の補佐役に蘇我馬子と聖徳太子を置いた
 ☆聖徳太子は、用明天皇と穴穂部間人皇女との間に生まれました
聖徳太子は仏教を信仰
 ☆蘇我馬子とともに仏教排斥派の物部守屋と対決し勝利する
 ☆四天王寺や法隆寺、中宮寺などを建立
聖徳太子の偉業
 ☆「冠位十二階」日本で初めて用いられた冠位・位階
 ☆「十七条憲法」を定めた
 ☆「遣隋使派遣」随が中国を統一すると、遣隋使派遣を決定した
聖徳太子は、中国からさまざまな文化や制度を取り入れる事に努めた
 ☆日本が律令国家に成長していくための、大きな糧となった
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『歴代天皇史(三栄書房)』
 ☆本には、綺麗な絵画が記載されています






聖徳太子(『歴代天皇史(三栄書房)』記事より画像引用)

崇峻天皇
即位後も、実権を馬子に握られているのに不満を持つ
崇峻天皇は、献上された猪の首をはね、述べた
 ☆「いつかこの猪の首のように、憎いと思う者を斬りたいものだ」
蘇我馬子は「天皇は自分の命を狙っている」と考え暗殺を指令した

天皇をも凌ぐ権威を持つ蘇我氏
崇峻天皇の暗殺
 ☆背後には、崇峻天皇と険悪な関係になっていた蘇我馬子がいた?
 ☆崇峻天皇は馬子の後ろ盾で即位した
物部氏を滅ぼした蘇我氏は、政治を意のままに動かしていた

崇峻の後に即位したのが、初の女帝推古天皇
推古天王の父は欽明天皇で、母は蘇我稲目の娘であった
馬子の姉であり、敏達天皇の皇后でもあった
蘇我氏が権勢を誇るのに最適の人選であった



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