反日のメディアには、愛すべき、守るべき「日本」がない
☆朝日は、戦後親ソ派、親中派が入り交じりながら歴史を織りなした
☆「国民と共に立たん」という宣言を書いた人物
*論説主幹となって朝日の左翼論調を主導した森恭三氏
☆森さんは、中国の文化大革命
*毛沢東思想による「道徳的人間改造」の試みだと称賛、
*「毛沢東万歳」という立場を明らかにした
☆自らを共産主義者だと明言してはばからなかった人です
☆GHQの検閲は、「自主規制」として今も続いている
*GHQの仕掛けに、私たちが無意識に今も左右されている
☆日本人の言語空間を規定したGHQの検閲が「自己検閲」になる
☆彼らが去って長く経つが、今でも「自主規制」として続いている
こういう人物の書いた宣言
☆朝日新聞にとって、戦後の原点と位置づけられている
*この一つの宣言をもって全体を決めつけることはできないが
☆戦後の朝日はGHQに抗うような瞬間があったが
*日本を二度と国家として起てない状態にし続けるとする機関
*共産主義にも奉仕する機関ともいえる
☆彼らには愛すべき、守るべき「日本」がない
*反日であると同時にGHQの意向・共産主義に寄り添うという考え
☆戦後のスタート時点で朝日をはじめとするメディアに渦巻いていていた思想
*日本を守るという考えや思いは微々たるものでしかなかった
*メディアに植え込まれたそうした思想
*種が芽吹き70年かけて大きな樹木となる
☆今私たちの言語空間、情報空間を覆っている
「蛍の光」という馴染み深い歌
☆歌ったのは1番と2番だけ
☆「蛍の光」の歌詞が4番まである
☆3番の歌詞は、
♪筑紫のきわみみちのおく、海山とおくへだつとも
その真心はへだてなく、ひとつに尽くせ国のため
☆4番の歌詞
♪千島のおくも沖縄も、八洲のうちの守りなり
至らんくににいさおしく、つとめよわがせつつがなく
☆学生が数年間苦労して蛍雪の功を積み事を成し学校を去る
*1,2番の歌詞のこと
☆「将来国家の為に協心毅力せん事を誓う
*3,4番の歌詞
*「国家のために心を合わせて協力する」その誓約に求めています
☆国のために役立つ人間になろうと誓い合って「蛍の光」を歌った
☆戦後、この「愛国心」に関わる部分
*GHQの「軍国主義的、超国家主義的傾向の助長はまかりならん」という方針に触れた?
*戦後の検定制度最初の小学5年生用の教科書に採用された
(歌詞は2番までに制限された)
「われは海の子」という歌にも制限が課せられてる
☆7番目の歌詞を多くの日本人が知りません
♪いで大船を 乗出して、われは拾わん 海の富
いで軍艦に 乗組みて、われは護らん 海の国
☆GHQは、軍国主義を想起させるとして文部省唱歌から外した
*「われは海の子」の歌も教科書からしばらく姿を消していました
*日本が主権を回復したのち再び教科書に載るようになりました
*今度は”自主規制”?学校では3番までしか歌われなくなる
森恭三氏
☆朝日新聞論説主幹、ジャーナリスト
☆戦時中は海軍報道班員として東南アジア駐在
☆戦後は朝日労組委員長、論説主幹などを歴任
☆森氏は、「戦後左翼のシンボル」的存在で朝日の論調を指導した
*労組委員長として「労働運動をプロレタリア革命に発展させる」と声明
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『反日メディアの正体』
☆朝日は、戦後親ソ派、親中派が入り交じりながら歴史を織りなした
☆「国民と共に立たん」という宣言を書いた人物
*論説主幹となって朝日の左翼論調を主導した森恭三氏
☆森さんは、中国の文化大革命
*毛沢東思想による「道徳的人間改造」の試みだと称賛、
*「毛沢東万歳」という立場を明らかにした
☆自らを共産主義者だと明言してはばからなかった人です
☆GHQの検閲は、「自主規制」として今も続いている
*GHQの仕掛けに、私たちが無意識に今も左右されている
☆日本人の言語空間を規定したGHQの検閲が「自己検閲」になる
☆彼らが去って長く経つが、今でも「自主規制」として続いている
こういう人物の書いた宣言
☆朝日新聞にとって、戦後の原点と位置づけられている
*この一つの宣言をもって全体を決めつけることはできないが
☆戦後の朝日はGHQに抗うような瞬間があったが
*日本を二度と国家として起てない状態にし続けるとする機関
*共産主義にも奉仕する機関ともいえる
☆彼らには愛すべき、守るべき「日本」がない
*反日であると同時にGHQの意向・共産主義に寄り添うという考え
☆戦後のスタート時点で朝日をはじめとするメディアに渦巻いていていた思想
*日本を守るという考えや思いは微々たるものでしかなかった
*メディアに植え込まれたそうした思想
*種が芽吹き70年かけて大きな樹木となる
☆今私たちの言語空間、情報空間を覆っている
「蛍の光」という馴染み深い歌
☆歌ったのは1番と2番だけ
☆「蛍の光」の歌詞が4番まである
☆3番の歌詞は、
♪筑紫のきわみみちのおく、海山とおくへだつとも
その真心はへだてなく、ひとつに尽くせ国のため
☆4番の歌詞
♪千島のおくも沖縄も、八洲のうちの守りなり
至らんくににいさおしく、つとめよわがせつつがなく
☆学生が数年間苦労して蛍雪の功を積み事を成し学校を去る
*1,2番の歌詞のこと
☆「将来国家の為に協心毅力せん事を誓う
*3,4番の歌詞
*「国家のために心を合わせて協力する」その誓約に求めています
☆国のために役立つ人間になろうと誓い合って「蛍の光」を歌った
☆戦後、この「愛国心」に関わる部分
*GHQの「軍国主義的、超国家主義的傾向の助長はまかりならん」という方針に触れた?
*戦後の検定制度最初の小学5年生用の教科書に採用された
(歌詞は2番までに制限された)
「われは海の子」という歌にも制限が課せられてる
☆7番目の歌詞を多くの日本人が知りません
♪いで大船を 乗出して、われは拾わん 海の富
いで軍艦に 乗組みて、われは護らん 海の国
☆GHQは、軍国主義を想起させるとして文部省唱歌から外した
*「われは海の子」の歌も教科書からしばらく姿を消していました
*日本が主権を回復したのち再び教科書に載るようになりました
*今度は”自主規制”?学校では3番までしか歌われなくなる
森恭三氏
☆朝日新聞論説主幹、ジャーナリスト
☆戦時中は海軍報道班員として東南アジア駐在
☆戦後は朝日労組委員長、論説主幹などを歴任
☆森氏は、「戦後左翼のシンボル」的存在で朝日の論調を指導した
*労組委員長として「労働運動をプロレタリア革命に発展させる」と声明
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『反日メディアの正体』