慶喜

心意気
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石原慎太郎(裕次郎、青嵐会、水俣病)10-3

2021年06月23日 | 有名人
🌸石原慎太郎(裕次郎、青嵐会、水俣病)

弟の人気を借りて選挙運動
 ☆ベトナムから帰国して、彼は選挙に出る(参議院選挙)
 ☆石原は自民党公認で全国区に立候補する
 *全国区は名前の知られている候補ほど有利
 *石原慎太郎の知名度は抜群
 *当時の史上最高三百一万票を獲得して当選を果たす
 *石原慎太郎の選挙には必ず石原軍団が駆け付けた
 *慎太郎は、弟の人気に負ぶさって戦う

青嵐会が起こした一陣の風
 ☆衆議院と参議院では、議員にも格差がある
 *霞が関の官僚を呼びつけてヒアリングをする場合
 *参議院議員は後回しにされたりする
 *総理大臣になれるのも事実上は衆議院議員
 ☆石原は、72年の総選挙では、衆議院に鞍替え
 *東京二区から当選した
 ☆石原が作った政策集団「青嵐会」
 * 一時期たいへんな風を巻き起こしました
 *『いたずらに議論に堕することなく、 一命を賭して、右、実践する
 *全員で会員名簿に血判をしたためた
 ☆「青嵐会」のメンバー自民党の中でも右寄りの人が参加した
 *石原慎太郎、中川一郎、渡辺美智雄.、浜田幸一等
 *当時の田中内閣の方針とはまるで逆
 *福田派が「中国と仲良くせぎるを得ない」と言い出せば
 *「青嵐会」では、誰も反対できなくなった
 *青嵐会は解散することになる
 *石原さんは東京都知事選に出馬する

初入閣で問題発言
 ☆東京都では、美濃部亮吉が革新都政を展開していた
 *人気のある都知事だった(社会保障を充実させる施策等で)
 *都の財政赤字は人気と引きかえにどんどん積みあがる
 ☆石原さんは、美濃部都政を批判して都知事選挙に出た
 *美濃部さんには勝てず、僅差で落選した
 ☆次の衆議院選挙に出馬して、再び国政に復帰
 *福田内閣で初入閣、環境庁長官になる
 *環境庁は、水俣病の患者をどう救済する課題を抱えていた

 *これ(患者からの抗議文)を書いたのはⅠQが低い人たちでしょう
 *マスコミから激しい批判を受けると「前言撤回」をする
 ☆石原慎太郎という人は天真爛漫で、飽ぎっぽい人物だ
                   (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳投資は、自己判断、自己責任、自己満足で
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『日本の戦後を知るための12名』より








石原慎太郎(青嵐会、水俣病での発言)
(ネットより画像引用)

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