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心意気
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“奇跡の村”普代村

2016年12月12日 | 歴史上の人物
世界から“奇跡の村”と呼ばれた村

岩手県三陸海岸沿いの普代村、人口約3000人
東日本大震災による大津波でも一人の死者も出さなかった
中心人物和村幸得元村長は、防潮堤や水門など村の防災対策に心血を注いだ
知識・意欲の向上目指し、番組を参考・引用し自分のノートとしてブログに記載
NHKBS番組『英雄の選択』参照&引用(司会磯田道史先生他「私の好みの司会者です」)
 ☆番組の画面引用(集中して番組視るので内容良く理解できます








普代村(NHKBS番組『英雄の選択』画面引用)

和村幸得元村長プロフィール
元村長は、普代村で約600人の死傷者を出した昭和三陸地震の津波を体験した
「土砂の中から死体を掘り起こしている所を見た時は言葉も出なかった」と述懐していた
普代村役場村長として、10期40年に亘り務める
村長在任中には、三陸鉄道開業を記念して「おれの北緯四十度」の制作を指揮した
大津波対策として高さ15,5Mの防潮施設を建設した
村長退任の挨拶
 ☆村民のためと確信をもって始めた仕事は反対があっても説得をしてやり遂げてください
 ☆最後には理解してもらえる、これが私の置き土産です

昭和と明治の津波の高さから15メートルの高さを決定した
堤防の建設には反発も大きく「ここまでの高さは必要なのか」と異論も出た
地主の中にもどうしても承諾できない者がいたが、土地収用もからめ、事業認定をかけてまで強行した
東日本大震災の際、普代村では防潮堤の外側にあった漁業施設は津波によりほぼ全滅
防潮施設に守られた内側では死者、住居への被害無し
元村長の功績を、日本のメディアのみならず、米国の『ワシントン・ポスト』紙も取り上げた

堤防建設
普代村では、明治三陸地震の津波でも約1,000人の死者・行方不明者を出していた
元村長は大津波への対策として
 ☆太田名部防潮堤(高さ15、5メートル・全長155メートル)を整備した
 ☆普代水門(高さ15.5メートル・全長205メートル)を整備した
防潮堤と水門の高さ15.5メートルは東北一です


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