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吉川広家(関ヶ原戦い後の毛利家を救った)

2022年02月25日 | 歴史上の人物

🌸吉川広家(関ヶ原戦い後の毛利家を救った)

 ☆毛利存続のため家康と通じた武将

 ☆黒田長政との友情を背景に毛利家を必死に守り抜いた

 ☆家康からも働きを認められ「熱海の湯」まで贈られた男

 

吉川広家は、自意識が強く才能豊かな三男

 ☆大毛利の柱石である吉川元春(毛利元就の次男)の三男

 ☆当初相続した所領が少なく、他家の養子になろうとした

 *毛利一族の総帥・輝元に反対されて破談となった

 ☆広家は豊臣秀吉の許へ人質に出されたが、すぐに毛利家に帰された

 ☆広家は幼い頃から自意識が強く、時に自分をもてあます人物だった

 *才能豊かで、自己に凄く厚い人物だが、三男で、吉川家を継げない

 ☆広家は、自分が認められぬのか、世に出られぬのか苦悩していた

 *従兄たる輝元は凡庸だった

 ☆本当に器の大きな人物なら、不満を腹に収めて驕らない

 ☆吉川広家は才走った行動を取つてしまう

 *秀吉にはそれを見透かされ、立身の機会を逃してしまう

 

吉川広家の人生が一変した

 ☆兄が亡くなったため広家は吉川家を継ぐことになる

 ☆秀吉も活躍する彼を認め、豊臣姓と羽柴の名字や官位を与えた

 ☆広家は、文禄・慶長の役では朝鮮に渡り働いた

 ☆秀吉没後の関ヶ原の戦い

 *主君である毛利輝元が広家には相談せず

 *大坂城に入り、西軍の総大将に就任した

 *徳川家康の勝利と見ていた広家は大いに慌てた

 *独断で黒田長政を通じて家康と連絡する

 *毛利軍の不戦と毛利領の安堵密約を取り付ける

 

「一切のお咎めなし」のはずが

 ☆関ケ原決戦当日には、毛利家2万の兵は南宮山に陣取っていた

 *家康の本陣を背後から襲える情勢で、毛利は動かなかった

 ☆家康は広家が申し送っていた「毛利不戦」を前提に戦いを進めていた

 ☆関ヶ原での戦い後の大問題は、大坂城のこと

 *大坂城に西軍の残存部隊が入り

 *毛利輝元の指揮の下豊臣秀頼を擁して戦えば

 *戦局はどう転ぶか分からないから

 *立花宗茂は、輝元に籠城戦を進言している

 ☆家康陣営は「家康は毛利輝元を重んじている」と伝達した

 *輝元はこれを「毛利家に一切のお咎めなし」と読み、大坂城を退去した

 *家康が大坂城を接収し、家康の勝利が確定した

 ☆毛利の処遇に関して事態は一変した

 *毛利領安堵の約束は、輝元がやむなく大将になった場合のみ有効だった

 *大坂城から発見された文書から、輝元は西軍の大将として

 *毛利は積極的に活動していたと判明した

 *毛利家は改易を免れないという結果になった

 ☆交渉役の広家は己の甘さを痛感したに違いない

 *けれども本家・毛利をつぶすことだけはできない

 

岩国3万石を与えられ善政を実施した

 ☆広家は長政に書を送る、曲げて毛利家という家名を残して戴きたい

 *この度のこと『輝元がバカであること』皆々様がご存知の如くである

 *輝元は今後、家康様に忠節を尽くします

 *輝元が徳川様に弓引くようなことがあれば

 *私が、輝元の首を取って差し出します

 ☆広家のこの訴えに対し、家康は自らの名で

 *毛利家に周防、長門の2か国を安堵すること

 *輝元・秀就父子の身の安全を保障する旨の起請文を発行した

 ☆120万石の領地を誇った毛利家、36万石に減封されたが家名は残った

 *広家は岩国3万石を輝元から与えられた

 ☆広家は毛利家存続のために必死に働き、黒田長政はそれを助けた

 ☆家康も「健康に良いから」と熱海の湯を広家に贈っている

 *広家の働きを認めていたのだ

 ☆毛利家が何とか生き残った一件

 *総帥の輝元が『家康を超える』身の程知らずな夢を見たあと

 *ギリギリの交渉が続いた結果として実現したもの

                              (敬称略)                                     
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
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⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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⛳出典、『THEMIS2月号』
 
 
 
吉川広家(関ヶ原戦い後の毛利家を救った)
(ネットより画像引用)

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