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「木造織田信長坐像」「延暦寺」「石山本願寺」

2024年02月05日 | 歴史
🌸織田信長(安土桃山時代)天下を掴みかけた武将

『要旨』
 ☆京都大徳寺総見院にある「木造織田信長坐像」
 ☆織田信長、死に際してもプライドを忘れていない
 *明智光秀の謀反に、信長自害し自分の遺体を焼き尽くした
 ☆信長は、仏教の勢力を恐れた
 *延暦寺・大坂の一向宗石山本願寺の総攻撃
 ☆信長は、海外からきた宣教師たちと交流をもつ
 *信長はキリスト教を、仏教勢力を抑えるために政治的に利用した










「木造織田信長坐像」「延暦寺」「石山本願寺」
(『日本史の黒幕』記事他より画像引用)

現代に伝えられる信長の姿
 ☆京都市北部にある大徳寺総見院
 *重要文化財に指定されている「木造織田信長坐像」

 *織田信長の晩年の様子を表しているというこの木像
 *信長の死後に秀吉が造らせた2体の像のうちの1体
 ☆本能寺の変で明智光秀に討たれた信長の遺体、発見されなかった
 *秀吉は1体を遺体に代えて火葬に付し
 *残り、1体は菩提寺を建てて安置した

織田信長、死に際してもプライドを忘れない
 ☆光秀率いる1万もの大軍に襲われた信長
 *自害し自分の遺体を焼き尽くした
 *どれほどの強烈なプライドと美意識をもっいた

 ☆自信家でプライドが高い織田信長
 *誰もがひれ伏す絶対的な権力者になることを望んだ
 *家臣の忠告にも耳を貸そうとしなかった
 *自分に歯向かう者はたとえそれが誰であろうと容赦しなかった
 ☆信長49年の人生のうちには、非道なおこないも数知れない

天下獲りのためにおこなわれた暴挙
 ☆天下獲りを目指す信長に立ちはだかったのは
 *広大な領地を支配し、屈強な僧兵のいる寺社勢力
 *信長は彼らも徹底的に叩きつぶした
 ☆信長は、延暦寺を恐れた
 *反信長勢力の筆頭、浅井長政信や朝倉義景に通じていたことだ
 *浅井・朝倉連合軍、武田信玄、延暦寺と四方を敵に囲まれた信長
 *包囲網が完全に機能する前に打って出た
 ☆信長は、山門領といわれる彼らの領地を返還するか
 *浅井・朝倉に味方せずに中立の立場をとるかを迫る
 *最後通告を延暦寺に送ったが、延暦寺側はこれを無視した.
 ☆織田軍の延暦寺の総攻撃
 *信長軍は比叡山へのすべての登り口を封じると
 *門前町に火を放ったのを皮切りに比叡山に攻め込んだ
 *反撃に出た僧兵、命乞いをする女性や幼い子供
 *3000人もの人々を、なぶり殺しにした

織田信長、歯向かう者は力で押しつぶす
 ☆信長の軍門に下ろうとしなかった一向宗
 *「石山合戦」と呼ばれる戦を10年以上繰り広げた
 ☆大坂の石山本願寺を総本山とし一向宗の勢力、各地で一揆を起こした
 *犠牲者の数は4万人以上
 *信長は降伏してきた宗徒を射殺し、立てこもった城ごと火にかけた
 *人質にしていた女性たちを傑にするよう命じた
 ☆歯向かう者はあくまで力づくで黙らせ
 *乱世の支配者として君臨しようとした

信長は、海外からきた宣教師たちと交流をもつ
 ☆キリスト教の布教を認めている
 *自分がキリシタンになろうとしたわけではない
 *信長はキリスト教を、仏教勢力を抑えるために政治的に利用した
 ☆信長は神仏を嫌い
 *信仰というものからつねに一定の距離を置いていた
 ☆キリスト教は、海外の珍しい文物を信長に提供する
 *そのことから信長は大きな圧力を加えなかった
                       (敬称略)
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⛳出典、『日本史の黒幕』

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