🌸明治維新1(埋め込まれた国家神道)
⛳明治は特異な時代(国家神道への傾斜)
☆明治に日本は、国家として「国家神道」の確立に突き進んだ
☆明治に日本は、国家として「国家神道」の確立に突き進んだ
☆国家統治の中心に「天皇」を置き
*「尊皇」の具体化のための祭政一致の国体の実現を目指した
*それが「戦争」という悲劇に突き進む淵源となった
☆明治政府は「祭政一致」の布告を行い、「神仏分離令」を公布
☆明治政府は「祭政一致」の布告を行い、「神仏分離令」を公布
*神社の地位を仏教寺院の上に置く
*日本各地で「廃仏毀釈」が行われた
*政治主導による「国家神道」体制が形成されていった
☆日本人は、「教育勅語」を基盤とする教育課程を通じて
*「心の習慣」として国家神道の価値観を共有することとなった
☆万世一系の天皇を戴く「神の国日本」の意識
☆万世一系の天皇を戴く「神の国日本」の意識
*ドイツ帝国を模した「国家主義」と相関し合い
*富国強兵で自信を深めるにつれてアジアを見下し
*危うい国家思想に変質していった
☆戦後、日本国憲法の下に「政教分離」がなされ
*神道と国家の結合は否定されたが
*今上の天皇の即位に関わる一連の儀式等
*皇室祭祀はほぼ明治期天皇制を踏襲している
☆政治リーダーの中には国家神道への回帰をもって
*「日本を取り戻す」ことと考えている勢力もある
⛳明治維新史の原点(明治天皇15歳の原像)
☆満15歳の明治天皇
*唇は赤と金に塗られ、歯はお歯黒で染められていた
*ほとんど「巫女」に近い存在感を放っていた
⛳明治維新史の原点(明治天皇15歳の原像)
☆満15歳の明治天皇
*唇は赤と金に塗られ、歯はお歯黒で染められていた
*ほとんど「巫女」に近い存在感を放っていた
☆明治天皇早い段階で様相を変化した
*お歯黒・描き眉などは止め、髭を切って洋装した
☆祭政一致の天皇親政国家として生まれた明治
*列強の圧力の中で生き残るため
*近代国家に変容せざるをえなかった
⛳明治維新という神道国家の建設
☆明治天皇の正装の意味するもの
☆明治天皇の正装の意味するもの
*明治維新の基本性格は「王政復古」
*天皇親政の神道国家の建設だった
☆倒幕・維新を推進した雄藩の志士
*「天朝御恢復」を掲げ、「諸事神武創業の始に原」とし
*「天朝御恢復」を掲げ、「諸事神武創業の始に原」とし
*神話的始原への復古を志向していた
☆儒学を否定し
*本居宣長などの国学・神道の台頭などが淵源となっていた
☆天皇を「神聖」とする「国体」概念
*吉田松陰などによって維新をもたらす源泉になった
☆平安後期以降、天皇家も仏教徒としての歴史を刻み
*天皇の葬儀は仏式で墓も寺院に置かれ
*江戸期に泉涌寺に天皇家の墓陵が造られてきた
☆明治に江戸城が皇居となり
☆明治に江戸城が皇居となり
*天皇が君臨する神国として神道式の祭祀の施設が整備されると
*代々の天皇の位牌・仏像・仏具は泉涌寺に還され
*天皇と仏教の関係は遮断され
*仏教色は軽視された廃仏毀釈が吹き荒れた
⛳近代国家という擬態への軌道修正
☆天皇親政の祭政一致国家も明治維新早々と方向を変える
*神祗官を神祗省に格下げし神祗省も廃止して教部省を設置
*大教院を中核とする神仏合同布教へと軌道を修正する
*切支丹禁止を解除、当初の神道国家の性格を緩め始めた
☆明治時代の設計者たちが「世界」を意識し始めた
☆明治時代の設計者たちが「世界」を意識し始めた
*日本は、米国やフランスの民主主義や英国流の立憲君主制より
*ビスマルク流の「国力増強」を至上とする
*国権主義的国造りに惹きつけられ
*ドイツをモデルとする近代化へと踏み込んでいく
☆日本は、欧米と伍するため
☆日本は、欧米と伍するため
*内閣制度、大日本帝国憲法発布、議会制度と整備していった
☆国家神道は「密教」として封印されることとなる
☆維新から敗戦までの七七年間を「明治」とすれば
*明治は「近代国家」と「神道国家」が二重構造になっている
*それを繋ぐ形で天皇を中核とする「国体」が存在している
(敬称略)
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⛳出典『人間と宗教』
明治維新1(埋め込まれた国家神道)
(ネットより画像引用)
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