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牛の松明で小田原城獲得した武将?

2014年09月01日 | 学び
北条早雲を散策

北条早雲は、戦国時代の先駆けの武将、小田原北条氏の祖です
北条早雲は、東国の戦国時代の端緒として歴史的意義があります




















北条早雲(引用)

北条早雲生誕
素浪人から、戦国大名にのし上がった下剋上の大名と言われています
早雲は、素浪人でなく、父は足利幕府で重要な地位の家柄です

早雲が伊豆を奪った事件
早雲は、将軍により、茶々丸の城の攻撃を命じられました
東国戦国期が始まりで、早雲は伊豆の平定を、今川氏の武将協同で成功しました

小田原城奪取で有名な話
早雲は、相模小田原の大森藤頼を討ち小田原城を奪取しました
千頭の牛の角に松明を灯した早雲の兵が、小田原城へ迫り、小田原城を手に入れました(作り話?)
*この時代起こった津波をヒントに、早雲の活躍と結びつけた話です
小田原城は、北条氏の本城となりましたが、早雲は終生伊豆韮山城を居城としていました

関東相模の平定
早雲と氏親は、相模に勢力を拡大しました
武蔵立河原の戦いで、早雲は、氏親と共に出陣して山内顕定に勝利しました
早雲は、三浦氏義同・義意の篭る三崎城を攻め、早雲は相模全域を平定しました

北条氏100年間東国を統治
早雲は、領国支配の強化を積極的に進めた大名で、戦国大名の先駆けです
早雲以後、5代に渡って、100年間関東を治めていました
北条氏は、豊臣秀吉により滅ぼされました

小田原で有名な「ういろう(外郎)」とは?
名古屋の名物として有名ですが、名古屋より古くから、小田原では製造されていました
京都で薬として使用されており、早雲は京都から外郎家を小田原に招きました
「ういろう」は、今のように甘みは有りませんでした


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