慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

本居宣長とやまとごころ(1)

2022年03月25日 | 宗教
🌸本居宣長とやまとごころ(1)

 ☆本居宣長が、自画像一幅に書き添えた歌
 『しき島の やまとごころを 人とはば朝日ににほふ 山ざくら花』

 ☆宣長の桜に心を寄せる心底の意識に
 *(高麗)=朝鮮、(唐土)=中国が対比概念として存在していた
 *日本を意識するとはその様な理由からされた
 ☆気の毒な誤解が宣長に向けられてきた
 *「しき島」の歌は大平洋戦争中「愛国百人一首」で曲解・利用された
 ☆「神風特攻隊」の部隊名
 *「敷島」「大和」「朝日」「山桜」と名付けられ
 *徒花のごとき散華を美化する狂信的愛国主義の表象とされた

本居宣長は、浅薄に捉えきれる存在ではない
 ☆宣長は、固定観念から距離をとった自由の人
 *価値の枠組を転換した変革者
 ☆「日本とは何か」が求められる時
 *日本人としての自己主張的言説の再生として
 *宣長が蘇る構造を考えざるをえない

本居宣長なる生き方(知性が国学の祖)
 ☆本居宣長は白石・徂徠の世代からは2世代後の時代を生きた
 ☆宣長は「商家の教養」を身につけて育った
 *8歳で習字、 12歳で書道と謡曲、 17歳で射術
 *19歳で茶の湯、20歳で「四書五経」の素読と和歌などを学んだ
 *宣長の場合、特に写本と多くの書物の乱読に情熱を注いだ
 ☆宣長は、商人としては知的世界に埋没する傾向が強く
 *次男の宿命で、紙商人の養子に出され、紙商人としての生活を始める
 *商売にはなじめぬまま2年で離縁となり松坂に戻った
 *重い挫折体験であり、母は宣長の将来を心配し
 *彼の知的素養を生かすべく医者にした
 ☆宣長にとって母は頭の上がらぬ賢く怖い存在であった
 *相当なマザコンであった
 *母との信愛は彼の世界観に正の力を与えた
                     (敬称略)                                     
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳投資は、自己責任、自己満足、自己判断で
⛳詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください
⛳出典、『人間と宗教』






本居宣長とやまとごころ(1)
(ネットより画像引用)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ヒトの死に方5(老化細胞の毒) | トップ | 国際司法裁判所で「ウイグル... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

宗教」カテゴリの最新記事