🌸物部氏(もののべうじ)2
☆古代日本において、大和朝廷の軍事や刑罰を司った有力な中央豪族
☆物部氏の起源は神話時代にまで遡る
⛳物部氏の歴史と起源
☆神話時代の祖
*物部氏の遠祖は、神武天皇よりも前にヤマト入りした
*先祖は**にぎはやひのみこと**と伝えられている
*その子孫**うましまじのみこと**が物部氏の初代とされている
☆物部氏の職掌
*元々は鉄器や兵器の製造・管理を主に担当していた
*大伴氏と並ぶ有力な軍事氏族へと成長した
*軍事・外交、医療・呪術、狩猟・飼育
*儀礼なども職掌としていた
☆物部氏の本拠地
*現在の天理市周辺や大阪府東大阪市が本拠地
*天理市の石上神宮、物部氏の氏神として古くから奉仕されていた
*この地には、物部氏一族との関連が指摘される古墳群
*物部氏の拠点集落とされた布留遺跡がある
☆物部氏の勢力の拡大
*5世紀頃から国政に関与し勢力を強めた
*雄略天皇の頃には最高執政官**大連(おおむらじ)**を輩出する
*九州北部で起こった磐井の乱の鎮圧、大将軍として功績を上げた
⛳物部氏、蘇我氏との対立で滅亡
☆仏教受容問題
*欽明天皇の時代に百済から仏教が伝来すると
*仏教を積極的に導入しようとする崇仏派の蘇我氏と
*日本古来の神々を重んじ外国の宗教導入に反対する
*排仏派の物部氏の間で激しい対立が起こる
☆丁未の乱(ていびのらん)
*蘇我氏と物部氏の対立は、天皇の後継者争いとも絡み合い
*最終的に丁未の乱と呼ばれる大規模な武力衝突に発展した
*物部守屋(もののべのもりや)は大連として排仏派を率い
*蘇我馬子(そがのうまこ)が崇仏派を率いた
*激戦の末、物部守屋は戦死し、物部氏は蘇我氏により滅ぼされた
*この戦いにより、蘇我氏は朝廷内で絶大な権力を握る
⛳物部氏のその後
☆丁未の乱で本宗家は滅亡
*物部氏の血を引く一族は各地に散らばる
☆天武天皇の時代
*物部氏から改姓した**石上氏**が本宗家の地位を得た
*石見国造金子氏など、物部氏を祖とする社家も存在する
⛳物部氏と出雲国造家との関係
☆物部氏と出雲国造家
*日本の古代史においてそれぞれ異なる役割を担う
*直接的な血縁関係や職掌上の深い結びつきはない
☆物部氏
*主に大和朝廷の軍事・刑罰を司り
*中央政権の有力豪族として君臨した
☆出雲国造家
*出雲地方の祭祀を司り、特に出雲大社の祭主として
*地域の精神的な支柱であり続けた
*出雲国造が出雲氏の嫡流であり
*天穂日命を祖とする独立した家系で、物部氏系の国造とは異なる
(敬称略)
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⛳出典、『神社が語る古代12氏族の正体』
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(物部氏と石上神社)
『物部氏祖先』『丁未の乱』『石上氏』
(ネットより画像引用)
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