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『物部氏祖先』『丁未の乱』『石上氏』

2025年07月05日 | 宗教
🌸物部氏(もののべうじ)2

 ☆古代日本において、大和朝廷の軍事や刑罰を司った有力な中央豪族
 ☆物部氏の起源は神話時代にまで遡る

物部氏の歴史と起源
 ☆神話時代の祖
 *物部氏の遠祖は、神武天皇よりも前にヤマト入りした
 *先祖は**にぎはやひのみこと**と伝えられている
 *その子孫**うましまじのみこと**が物部氏の初代とされている
 ☆物部氏の職掌
 *元々は鉄器や兵器の製造・管理を主に担当していた
 *大伴氏と並ぶ有力な軍事氏族へと成長した
 *軍事・外交、医療・呪術、狩猟・飼育
 *儀礼なども職掌としていた
 ☆物部氏の本拠地
 *現在の天理市周辺や大阪府東大阪市が本拠地
 *天理市の石上神宮、物部氏の氏神として古くから奉仕されていた
 *この地には、物部氏一族との関連が指摘される古墳群
 *物部氏の拠点集落とされた布留遺跡がある
 ☆物部氏の勢力の拡大
 *5世紀頃から国政に関与し勢力を強めた
 *雄略天皇の頃には最高執政官**大連(おおむらじ)**を輩出する
 *九州北部で起こった磐井の乱の鎮圧、大将軍として功績を上げた

物部氏、蘇我氏との対立で滅亡
 ☆仏教受容問題
 *欽明天皇の時代に百済から仏教が伝来すると
 *仏教を積極的に導入しようとする崇仏派の蘇我氏と
 *日本古来の神々を重んじ外国の宗教導入に反対する
 *排仏派の物部氏の間で激しい対立が起こる
 ☆丁未の乱(ていびのらん)
 *蘇我氏と物部氏の対立は、天皇の後継者争いとも絡み合い
 *最終的に丁未の乱と呼ばれる大規模な武力衝突に発展した
 *物部守屋(もののべのもりや)は大連として排仏派を率い
 *蘇我馬子(そがのうまこ)が崇仏派を率いた
 *激戦の末、物部守屋は戦死し、物部氏は蘇我氏により滅ぼされた
 *この戦いにより、蘇我氏は朝廷内で絶大な権力を握る

⛳物部氏のその後
 ☆丁未の乱で本宗家は滅亡
 *物部氏の血を引く一族は各地に散らばる
 ☆天武天皇の時代
 *物部氏から改姓した**石上氏**が本宗家の地位を得た
 *石見国造金子氏など、物部氏を祖とする社家も存在する

⛳物部氏と出雲国造家との関係
 ☆物部氏と出雲国造家
 *日本の古代史においてそれぞれ異なる役割を担う
 *直接的な血縁関係や職掌上の深い結びつきはない
 ☆物部氏
 *主に大和朝廷の軍事・刑罰を司り
 *中央政権の有力豪族として君臨した
 ☆出雲国造家
 *出雲地方の祭祀を司り、特に出雲大社の祭主として
 *地域の精神的な支柱であり続けた
 *出雲国造が出雲氏の嫡流であり
 *天穂日命を祖とする独立した家系で、物部氏系の国造とは異なる
                     (敬称略)
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⛳出典、『神社が語る古代12氏族の正体』


                    (物部氏と石上神社)
『物部氏祖先』『丁未の乱』『石上氏』
(ネットより画像引用)

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