ラグの「素直に生きれば人生は楽しい」

主に人生の歩き方について「人生お弁当箱診断」など
以前のブログ名:和色ムーブメント

趣味も特技も ・・・

2008年06月28日 | 楽時々益


・・・ Hobby ? or Specialty ?




「趣味」 は何ですか?

 振り返れば、
 人から聞かれて即座に答えられるような趣味がない。
 ずっと “無趣味” で生きてきた。それでいいと思っていた。


「特技」 はありますか?

 思い起こせば、
 若い頃から特技だと思っていたものが幾つかあった。
 が、もう趣味の域にも当て嵌まらないレベルだと気づいた。


自分自身、
 無駄に生きてきた気はない。
 ただ、無駄に時間を費やしてきた形跡はあちこちにある。


ずっと、
 趣味などに時間を使うのは無駄だと言い聞かせてきた。

結果、
 特技どころか、自分の好きなものすら見えなくなっていたようだ。

最大の問題は、
 仕事以外で共有できる友人が増えていないことであり、
 心がウキウキするような出来事との遭遇が減ったことである。


もっと視野を広げて行動しなければ ・・・


オッサンに Double Magnum

2008年06月27日 | こんたく堵


日本酒の一升瓶ではありません。
イタリアのスパークリングワイン(スプマンテ)です。
ちょっと大きめ ・・・ 普通サイズの4倍です。





左側のボトルは 「フルボトル(750ml)」 です。
右側のボトルが 「ダブルマグナムボトル(3,000ml)」 です。

やはり、迫力があります。
お店へのお土産やお祝いにすると喜ばれます。


昔、一緒に組んでいた料理長が西宮でお店をやっています。陣中見舞いです。
私に何の連絡もなく、最近、オープンしたようです。(怒)ちょっと文句を云いに ・・・

これが3店舗目のお店です。前の2店舗は既に畳んでいます。
誰よりも綺麗好きで、誰よりも間違いのない仕事をする反面、
瞬間湯沸器のような気性、気まぐれ、気まま、我がまま、飽き性 ・・・
“どうしようもないオッサン” です。ただ、業界人らしい業界の男です。

二人で小一時間、他愛もない話をします。
気を使わなくてよい数少ない元同僚で友人です。いつも何となく癒されます。
今日は仕込中です。近いうちに食事に来る約束をして店を出ます。

たぶん、
次回行った時には、カウンターに置いてきたこのワインはもう空っぽでしょうね。
( 客には出さず、仕込みしながらオッサンが飲んでる姿が目に浮かぶ ・・・ ??? )


お店とオッサンの詳細紹介は、
次回、食事レポートして 「二升五合」 で辛口評論を行ないたいと思います。


ルミオンの表情と性格

2008年06月25日 | 造形憧憬


■ COROLLA RUMION ■ 1.8S “AEROTOURER” 2WD




このルミオンと付き合い始めて早や3ヶ月が経過しました。
少しずつですが、このクルマの表情と性格がわかってきたような気がします。
一番意外だったのは、張りのあるド派手な顔つきとは裏腹に冷静でゆったりした
クルマだということでしょうか ・・・ 。

厚顔無恥で野暮ったいような ・・・ 温故知新の魅力があるような ・・・
人によって好き嫌いが分かれるだろうフロントフェイスとシンプルで何の面白味も
ないリアフェイスとのギャップもかなりイイ感じです。

今のところ、
大きな怪我(事故)や病気(故障)もなく、元気に毎日走ってくれています。
すこぶる快調!これからもヨロシク!です。






クルマには人と同じようにそれぞれ個性やクセがあります。
それゆえ、オーナー各々好き嫌いや合う合わないは必ずあるものです。
その好き嫌いは普遍的なものもあれば、時代背景や年齢によって左右される場合
もあるはずです。また、ライフスタイルや仕事・趣味などの生活シチュエーションも
手伝って、合う合わないを自然と嗅ぎ分けている部分もあると思います。

不思議なことに、環境に変化が起こった場合、たとえば、
「趣味を通じて新しい友達ができた」「彼女ができた」「結婚した」「子どもができた」
「海や山へキャンプに行くようになった」 など生活環境の変化で、欲しい(乗りたい)
クルマは普遍的な好き嫌いの範疇を超えて大きく変化したりもするものです。

18歳で初めて買ったクルマは、三菱の白いクーペ(スポーツタイプ2000cc中古車)
でした。いかにも若者向きのスタイリングで、触りたくなるクルマでした。足回りだけ
固めましたが、キャブレターが純正のソレックスだったので、エンジン周りはノーマル
で走りました。アクセルを踏み込むと、ターボエンジンを高音にしたような “コーン”
という中々のエンジン音が響きます。その音とエクステリアのラインだけで即決した
ことを今でも憶えています。
( 若い頃はクルマのローンの為に働いていたと言っても過言ではなかった )

今はもう、このようなスタイルのクルマには乗れないです。
“年齢に相応しくない” ? ・・・ いや、そうではありません。( 多少あるかも ・・・ )
“基本的に求めるものが違う!” からです。言い換えれば、クルマが発信している
コンセプトに共感できるかどうか、クルマ自身のアイデンティティーをユーザーとして
共有できるかどうかという域です。

クルマはレストランや居酒屋などの飲食店と似ています。
元々、クルマと酒は 「嗜好品」 という意味では接点はあるのですが、それ以上に、
お店の基本的なスタンスや強み(アピール)に共感し、そこの味やサービスが好きで
得たいと思うからそのお店に通うわけです。食べたくない料理しかない店や苦手な
雰囲気の店に態々入る客はいないはずです。そういう意味ではクルマも同じです。

高級なセダンの乗用車が欲しかったが、予算が足りず少し下のクラスのセダンで
我慢した。という話はあっても、予算が足りないのでトラックやバイクで我慢した。
という話はありません。また、基本的に白色が一番好きだが、欲しいクルマは白色
より赤色が映えるスタイルなので赤色にした。という話はあっても、何となく一番
嫌いな青色を選んだ。という話は有り得ません。飲食店のお客様もそうです。
もっと言えば、働いているスタッフもそうかもしれませんね。

仕事があれば(動いてくれれば)、どんな仕事(どんなクルマ)でも ・・・
と我慢したり割り切って働いている(選んでいる)年齢や時期は誰にでも多少
あったりします。ただ、今の時代、特に若者は共感や共有もできない環境で自身が
納得できない仕事を続けることには抵抗があり苦痛にもなるはずです。それは
クルマの比ではありませんが、結局、プラスにならないという意味ではクルマも同様
なのです。唯の移動手段の物(生活費を稼ぐためだけの労働)になりかねません。
それではカーライフ(人生)そのものが寂しい気がします。

クルマ選びに迷ったり妥協する人というのは、
「単にお金がない(余裕がない)」 か、「欲しいクルマがわらない(スタイルがない)」
か、「クルマへのこだわりがない(自身にスタンスやアイデンティティーがない)」  人
ではないでしょうか。 仕事も似ている気がしますねぇ ・・・

もちろん、クルマも仕事も他人の評価や世間の人気によって自身の選択が多少
左右されたり、ブレたりすることはありますが、歳とともに、自身のスタンスは明確
に表現すべきだと私は考えています。もちろん、人の意見を聞かないとか、頑なな
態度という意味ではなく、“柔軟性を持った強さ” が必要だと感じます。それによって
自身の考えやアデンティティーを周囲に伝えることができるのだろうと思います。

昔 乗っていたクルマを思い出すように、
昔 出逢ってお世話になった先輩のことを想い出します。その当時、その方の考え
やアイデンティティーを理解できない自分がいたこと、その当時のその先輩の歳に
近づいた今だから解ることが多々あることに新鮮な驚きがあります。過ぎ去った日々
や出来事は元には戻らないものです。歳相応にですが、“日々、自分なりに自分の
表現を自信を持って行なうこと!” と改めて言い聞かせている今日この頃です。

なぜ、このクルマ?( なぜ、この仕事? )
今は伝わらなくても、たぶん、数年後には ・・・


気候も考えなければ ・・・

2008年06月22日 | 家WINE


「テヌータ・ディ・トリノーロ」 のセカンドワインです。




今日は、さほど気温は高くなかったですが、家にいると湿度が高く、ジメ~っとした
感じで気分が滅入る日曜日で、夜は外食に行くのも面倒なので 「家メシ」 です。
いつ買ったか憶えていないほどセラーに眠っていたイタリアトスカーナのワインを
開けてみます。

少し、甘ったるく開ききったように感じます。( 爽やかな甘さではありません )
今日の気候もあってか、どちらかと言えば少しイヤ~な甘みを感じてしまいました。
決して、悪いワインではありません。潜在的な力強さや滑らかさを大いに感じます。
ただ、価格も含め、梅雨時に飲むには何となくもったいない味わいだったかも ・・・
( 爽やかな秋口にゆっくり飲みたい感じの味でした。残念! )




Le Cupole di Tninoro

  ■ ワイナリー : アヌータ・ディ・トリノーロ 
  ■ ワイン 名 : レ・クーポレ・ディ・トリノーロ
  ■ Vintage : 2005
  ■ 原産国 : イタリア
  ■ 地   方 : トスカーナ
  ■ 地   区 : サルテアーノ
  ■ 呼   称 : トスカーナI.G.T.
  ■ 品   種 : カベルネ・フラン 47% メルロー 32% カベルネ・ソーヴィニヨン 12%
           プティ・ヴェルドー 3% チェザネーゼ・ダフィーレ 4% ウーヴァ・ディ・トロイア 2% 

  ■ 上   代 : 4,900yen

  濃縮したフルーツジャムのようなアロマ。タンニンがきめ細かく、スパイス感と
  果実の凝縮感が高い。アタックがつよいが、カシスのような上品な果実味に
  なめらかな舌ざわりが秀逸。 


蒸し暑い夏の日の汗

2008年06月20日 | 昭和懐古


雨が降りはじめた。
クルマを止めてムーンルーフを開けると ・・・





曇天から落ちはじめた雨粒が
やけに瀟洒で、泥中之蓮の域に感じる

じっと見ていると、無性に昭和のあの頃、
いや、あの蒸し熱い夏の日の一齣を想い出す

練習用の白いユニフォームが泥に塗れ
額に光る玉のような汗が首筋を零れ落ちる

皆、アンダーシャツの袖でその汗を拭う
限界を超え、閉目塞聴の世界へ誘われる

先輩の大きな声がグランドに響いた瞬間
時間差こそあるものの、現実の世界へ舞い戻る

汗でずっしりと重い帽子を被り直して
ガクガクと震える膝を残したまま前へ走り出す


■ 昭和懐古 ■

憧れの球場でプレーすることを目指したあの頃
憧れの舞台に立つことを誰も疑いはしなかった

第五大成丸


酒呑みはイヤですねぇ~。

2008年06月19日 | 家WINE


約3ヶ月振りの 「家WINE」 アップです。



 Morgante Don Antonio 2004

  ■ ワイン 名 : モルガンテ ドン アントニオ
  ■ Vintage : 2004
  ■ 原産国 : イタリア
  ■ 地   方 : シチリア
  ■ 品   種 : ネロダヴォーラ 100%
  ■ 上   代 : 3,800yen


確かに、3月後半から体調不良であまりワインは飲んでいなかったのですが、
全く 「お酒」 を飲んでいなかった訳ではありません。ワインもそれなりには飲んで
いたのですが、外で飲むことが多かったことと、「家WINE」 はここ数本、“大ハズレ”
で、1杯飲んだら、即、料理酒に ・・・ というパターンが数本続いておりました。
それと、体調不良と共に、「面倒くさい症候群」 が蔓延していたようで、ワインを
テーブルに置いて ・・・ 写真を撮って ・・・ ブログアップして ・・・ という流れが
わずらわしくなっていました。( “酒は飲むもので語るもんやない!” ってか? )

この 「ドン アントニオ」 は(貰いもので)さほど期待していなかったのですが、
ブラックチェリーなどの豊かな果実味がある一方、程よい酸味もあり、全体としては
ボリューム感のあるイタリアのシチリアワインで悪くありません。( 私は好きです! )
ただ、余韻がそう続きませんので、料理によって印象や評価が分かれるワインだと
思います。海鮮クリームコロッケやトンカツにデミソースという、いわゆる 「洋食系」
だったらそこそこイケそうなパターンです。

もう 「休肝日」 を設けながらボチボチいかなくてはならない歳なのでしょうね。ただ、
どうしても、コルクを開けてしまうと、“美味しい” ・・・ “楽しい” ・・・ “もう一本!” と
なってしまうのは、やはり、「卑しい酒呑みのオッサン」 だということでしょうか?
“あ~ぁ、酒呑みはイヤですねぇ~。”


ヤギ乳のチーズケーキはコラボ商品

2008年06月17日 | 造形憧憬


それは、
岡山の農場主とこだわりケーキ職人のコラボレーションで生まれたらしい ・・・





岡山の 「ルーラルカプリ農場」 におじゃました時に、プリンやヨーグルトと
一緒に持ち帰りした、ヤギ乳の 「フロマージュブラン」 を使ったチーズケーキです。

実はこれ、冷凍した状態で販売されており、2ホール購入して持って帰りました。
一つは、帰った次の日にすぐ食べたのですが、急速に解凍したためか、まだ少し
シャリシャリした状態のままカットして食べてしまったので、美味しさを感じることが
できませんでした。( 不味くはなかったが、イマイチ味がわからず ・・・ )

それから2週間、“(もう1ホール)残ってるケーキ食べようや?” と娘に言われて、
フリーザーで熟睡して夏眠?しかけていたもう1ホールのチーズケーキ(Caprine)を
一日掛けて(冷蔵庫で)ゆっくり目覚めさせ(解凍し)てから頂きました。すると、
1個目の解凍がいかに失敗だったかがよくわかりました。

“えぇ~、美味しぃやん!これって前のんとおんなじケーキなん?” は、嫁さんから
自然と出た言葉でした。結局、「喰い意地が張っているわが家のフライング」 で
1個目は “美味しさに出会えず擦れ違い” だったようです。( 2個買ってて良かった! )

「フロマージュブラン」 の “真っ白な味” を殺さずに逆により活かした印象の
チーズケーキです。濃いめのレアチーズケーキが好みの方にウケるかどうか
わかりませんが、しっとり滑らかで口どけの良い自然の風合いが閉じ込められた
ような優しい味で、昔、乳製品が不得意だった私にも相性の良いチーズケーキです。

言うまでもなく、「冷凍・解凍」 を踏まえ、“美味しさに出会える” ようにイメージ
しなければなりません。素材と向き合い、幾度かの試作を繰り返し、ケーキ職人
としての試行錯誤もあったはずです。パティシエに拍手です!





これは 「ルーラルカプリ農場」 の代表である小林氏と 「パティスリー ピアジェ」 の
オーナーパティシエである有信氏がコラボレーションして完成させたチーズケーキ
なわけですが、こだわりの食材を使用していることもさることながら、地元 「岡山」
を意識しながら、他の地方(都道府県)にもどんどん発信していこうというアクティブ
さが伝わります。何か、地方のパワーと勇気を頂いたような気がします。

大手の食品企業であれば地方でも可能でしょうが、中小や個人で事を起こすのは
相当なパワーが必要です。ましてや、ベンチャー色の強いビジネスは二の足を踏む
ことが多いものです。しかし、そこを地方の大らかさで “とにかくやってみましょう!”
となったかどうかは分りませんが、ビジネスの基本には、その環境や商品に対する
“熱い思い” が絶対にあるでしょうし、その気持ちには “誰にも負けない” という
根本もあったのではないでしょうか。


■ 造形憧憬 ■

お互いの弱さを相手に期待するようなコラボレーションに魅力はない。
お互いの力を尊重しつつ、お互いを高め合うような関係でMONO造りや
環境を創造することこそ、真のコラボレーションと言えるのではないか。
これからも、地方発信でパワーある人々や環境商品に出会いたい。

第五大成丸


父の日

2008年06月16日 | こんたく堵


昔、父の日に “ありがとう!” なんて親父に言葉を贈っただろうか?
気恥ずかしくて面と向かって言えなかったし、そういう時代でもなかった。
今の自分は、“ありがとう!” と言われるような親父ではない気がする ・・・ 。





父の日ということで、娘から小さな小さな 「まねき猫」 をプレゼントされました。

わが家では、皆で祝うお正月のような大きな行事以外は自己判断にしています。
でないと、それぞれの誕生日や入学・卒業、記念日等々キリがありません。
もちろん、父の日も例外ではありません。気が向いたり、余裕のあるヤツは何か
プレゼントしてくれたりしますが ・・・

私からは “(私の)趣味やないもんとか、使われへんもんは何ぼくれても嬉しないし
無駄遣いになってもったいないから買ってこんでええよ!” と言っていますので、
まあ、よっぽど買う本人が気に入って、私の趣味に近いと判断したものしか私には
届きません。

日曜日は別段の予定はなかったのですが、
近所にある改装中のイオン系ショッピングセンターのテナント何店舗かが改装を
終え、リニューアルオープンしているということなので買い物がてら出掛けました。
両端2ヶ所に分かれていた食品売り場を1ヶ所に集中させて、中途半端だった
フードコートを拡張して、その移動して空いた食品売り場跡スペースに持って行き、
フロアに点在していた雑貨屋さんもその隣のスペースに埋め込んでおりました。
改装前より、買い物がしやすくなるであろうという動線を敷きつつ、ざっくりとした
カテゴリーでエリアを分け、しかもポイントでボリュームを持たせるような店舗作り
をしているようです。動線を重視したエリアレアイアウトのリノベーションです。

( 話が少し仕事よりになってきたような ・・・ )
その雑貨屋群の中に、かわいい新参の 「縁起もの専門店」 が入ってましたので、
覘いてみました。「招き猫」「ふくろう」「福助」「かえる」「金魚」「だるま」「つる・かめ」
「なす・かぼちゃ」「大黒天」 などの縁起ものの置物やアクセサリーから始まり、
手ぬぐい、風呂敷、クッション、スリッパに便座カバーや手提げのバッグなども
ありました。写真のまねき猫はその中にあった置物の一つで実は私の催促です。

“最近、ええことないし、何か縁起が良うなるもん、父の日やからほしいなぁ~”
と上の娘に聞こえるように大きめの声で囁きました。まったく反応がありません!
“こんな大っきいヤツはいらんけど、せめて、この小っちゃい招き猫でええから
ほしいなぁ~” と今度は店員さんにも聞こえるように言いました。すると、上の娘は
“わかった!わかった!” とレジへ ・・・ 別に欲しかった訳ではないのですが、
他人をも巻き込んだ、「大阪的わが家の正しいコミュニケーション法」 というところ
でしょうか ・・・ 。


■ こんたく堵 ■

記念日の日付やプレゼントが大事やない。
家族や夫婦が一緒に関われる時間そのものが
肝心やということやろぅね 。常にコンタクトを!

第五大成丸


オーガニックなパン屋さん

2008年06月15日 | 楽時々益


芦屋にあるドイツチックなオーガニックのパン屋さんです。





このお店、どなたのブログだったか忘れましたが、“クロワッサンが美味しい”
という内容を記事にされていたのでMEMOって持っておりました。偶々、芦屋方面
への所用ができましたので、早速 「クロワッサン」 を買いに寄ってみました。

遠くからでも目立つファサードですが、落ち着いた街並みに意外なほど溶け込んで
いるのは、浜側とはいえ、やはりここは芦屋。ハイカラな土地柄がフォローアップ
しているということなのでしょうか ・・・

店内へ入ると、左側に対面販売のショーケースやカウンターが配置されています。
右側にはパン以外の商品などの展示棚もあり、突き当たりの奥が工房になっている
ようです。女性の販売スタッフが3名。皆さん落ち着いた雰囲気でじっくりしっかり
対応しておられました。

最近、あちこちのパン屋さんやケーキ屋さんに伺ってます。( 偶々ですが ・・・ )
スタッフの接客態度がどうだとか、言葉づかいがどうだとか、色々と気になることが
増えています。しかし、このお店に限っては、「何も気にならない」 というか、しごく
自然な雰囲気があり、無垢のオークに荒くたく鉋をかけたような大らかな内装材、
必要な部分へ必要なだけの照明、ベーシックなスタッフのユニフォームに至るまで、
違和感がまったくなく、“ナチュラル” という言葉しか使えそうにありません。
よくある “自然な感じ” という不自然な感じではなく、本当に “ナチュラル” です。

さて、どのパンを買いましょうか ・・・
物色していると、女性スタッフの方から “初めてでしょうか?” と声が掛かります。
“はい” と答えると、“ちょっと試食されますか?” と思わぬ提案がありました。
一口サイズにカットしたパンをかごに入れてカウンター越しに差し出してくれるでは
ないですか。手を伸ばして1片頂きます。スタッフの方はそのパンの特徴をわかり
やすく説明してくれました。結局、陳列しているパンのほとんどを試食させて頂き
ました。( ありがとうございました! )

“売るため” ではなく、本当にナチュラルな接客なんです。 何ていうか ・・・
スタッフそれぞれが、このお店のオーガニックなパンの良さや美味しさに自信を
持っているというのか、本人さんたちも毎日食べているのだろうという感覚です。
その流れで押し付けのない接客販売となっているのではないかと思います。

クロワッサンとあと数種類のパンを買って帰りました。
クロワッサンが残り4個だったので全部頂いたのですが、会計をしている時に、
年配の女性のお客様が来店され、入って来るなり “もうクロワッサンは無いの?”
とスタッフに声を掛けました。ヘタなアルバイトならここで、“今、売り切れました!”
なんてミスを犯すのですが、やはり、ここのスタッフは落ち着いています。私が
クロワッサンを買っていることがわからないように、“今日はもう終わってしまったん
ですよ。申し訳ありません。明日は ・・・ ” とその女性客の顔をちゃんと見て納得
すように説明されていました。 ( おばちゃん、全部買ってしもてゴメンな! ) 





「オーガニックパンへのこだわり」 という文面チラシがレジにありました。

山食以外の全てのパンは玄麦を工房の石臼で自家製粉して小麦の外皮の部分も
含めて丸ごと使っている全粒粉100%で作られています。本来、栄養素として高い
部分を除かないので、使用する麦は無農薬のものでなければなりません。麦を
はじめ、使用する副材料も有機のものを使用しています。オープン時には手に
入らなかった為、一般のものを使用していたシナモンも現在は有機のものを使用
しています。しかし、現時点で有機のものが手に入らないバターは無添加・無着色
の北海道バターを使用しています。

という内容でした。裏面には、販売しているパンの品名と価格、使われている
素材の一覧を表にして載せています。全てオープンにしているところに好感が
持てますし、安心感もありますよね。( 何となく、オーガニックな気分! ・・・ ??? )

「クロワッサン」 美味しかったです。普通のクロワッサンの食感ではありません。
油っこくなく、少し詰まった感じと言いましょうか ・・・ パンの上手な表現がわかり
ませんので、これ以上のコメントは差し控えさせて頂きます。(苦笑)

それから、写真に写っている瓶はアルコールではありません。
「BIONADE(ビオナーデ)」 というドイツバイエルンの農夫が開発した炭酸飲料です。
100%オーガニックな材料で有機発酵させて作る炭酸飲料で、低糖・低カロリー、
豊富なビタミンとカルシウム、コカコーラを脅かす存在になる ・・・ という触込みで、
以前から気になっていたソフトドリンクでした。たまたま、店内の冷蔵ショーケースに
入ってましたので、2本買って帰りました。味はファンタのオーガニック味! ・・・ ???

私は、
個人的にオーガニックにこだわったり、LOHASな生活をしている訳ではありません。
ただ、オーガニックやLOHASを推奨することで、自分の身体と同時に地球環境が
少しでも良くなるのであれば悪いことではないと思います。まあ、そんな簡単な話
ではないですし、一概に有機と言っても、怪しいものも沢山ありますよね。とにかく、
すべて自己責任でお選びくださいな ・・・ 。( 但し、このお店はおすすめです )


客が店をダメにし店が街をダメにする

2008年06月14日 | 楽時々益


ビジネス街のランチタイム終盤
有閑マダムたちは優雅にやってくる! ・・・ ?





時刻は14時前、“ビーフシチューが名物” という
15時までランチをやっている 「○○○グリル」 というお店でランチにします。

店内は6~7分の入り、ひと山ふた山超えた(ピークが過ぎた)感じです。
女性スタッフがオーダーを取りにきます。“ビーフシチューのランチを!”
約15分待ちます。ホールの対応含め、嫌な待ち時間ではありません。
まあ何せ、1,880 のランチですから ・・・

「ビーフシチュー」 ・・・ 名物と銘打った看板料理
「プチサラダ」 ・・・ コールスローとポテトサラダ
「カップスープ」 ・・・ クリームスープ
「パン(ライスとのチョイス)」 ・・・ バゲット2切れ

まず、カップスープとサラダがテーブルに ・・・
至って普通のランチパターン?いや、昭和時代のレストランランチの幕開けかも。
そう時間を空けずに、お待ちかねメインの登場! ・・・
薄~いデミソースにパサパサで成型されていないくず肉のビーフシチュー?
プ~ンと微かに臭うバゲットが2切れ、バターでなくマーガリン付きでした。
味の評価はしたくないですが、久々に “大丈夫この店?” と心配になりました。
まあ、ランチだから ・・・ ???

味もさることながら、見映えも良くありません。“なぜ、これが 1,880 もするのか?”
私は目を疑ったまま、周囲を見回しました。ほとんどが女性同士のお客様だった
ためか、迷物?ビーフシチューをオーダーされている方は周りにはいませんでした。
1,480 のミックスフライ?のランチを食べておられるお客様が多かったようです。
両隣のテーブルは、共に女性2名のお客様だったのですが、やはり、そのランチを
皆さん食べておられました。

偶然でしょうが、皆さん(4名)、パンではなくライスをチョイスされていました。
そして、偶然でしょうが、皆さん、料理は半分程度、ライスは一口食べた程度で
残されたまま、会話を楽しまれていました。ランチにデザートやコーヒーが付いて
いないせいもあってか、スタッフは皿を引きにきません。こういうお店では、ピーク時
は避けますが、アイドルタイムに近くなると、一応、ドリンク(コーヒー程度)は奨める
はずです。が、このお店では一言もありませんでした。

私の左隣のお客様が、皿(食べ残し?もう残飯?)がテーブルに載ったままのその
席で化粧直しを始めてしまいました。そこそこ本気で長い時間です。見た目はごく
普通の女性です。たぶん既婚で、ちゃんと教育も受けてこられた方だと思います。
店のスタッフは見て見ぬふり? ・・・ いや、気づいていません。というより、違和感が
全く無いようです。 “私は正に今、すぐ隣で食事中ですよ!!”

これが
1,000 以上もするランチを提供するそれなりのお店とそれなりのお客様の姿です。
そして、このお店とこのお客様は 「食の街 大阪」 に今日も存在しているのです。


なぜ “たのしむ街” に?

2008年06月13日 | 街的興趣


ターミナルビルの役割拡張とその周辺のリデベロップメント
ハブターミナルやウォーターフロントの高層マンション建設
次に進むのはトラフィックの都市型スパイラル化 ・・・ ?





大阪ビジネス街の中心ともいえるこのエリアの再開発は、
ビジネス街のユーティリティー化の布石なのか? それとも ・・・

その真新しいビルは商業施設を備えた複合ビジネスビルとしてのアンテナを
担うのだろうか? 私には、どうも “遊び場付き仕事場” という見え方でしかなく、
いささか、この街における存在意義や価値については疑問符を付けたいところ。
( 船場はキタやミナミとは違うはず。キタ要素入りのミナミ化商品?一線を画せ! )

目新しいデザインや斬新なレイアウトの施設を造り、人気のショップや飲食店を
投入すれば “人が集まるだろう” 的な発想になっているのではないか。また、そう
いうバブルの残像から抜け出せないでいる人々の悪行に成りかねない気もする。
川や湖に外来魚、山や森に外来動物を放せば、生態系が崩れるのと同じように、
一つのビルのあり方でその周囲の環境が変わるということを事前に真剣に熟慮
すべきなのだろう。

東京で漫画家の家デザインが周囲景観を損ねるということがニュースになったが、
景観に良いとか悪いとか、表現の自由とか冒涜とかではなく、まず、どんな街として
成立させるのかをハッキリしなければ、お互いの主張はいつまで経っても接点が
持てずに食い違う。重要なのは、規制や何かあった時の罰則を考えるより、「街」
のあり方をポジティブな方向性で共有するということではないだろか。「街」 という
公共の場において方向性を決めることは容易ではない。ただ、無理でもないはず。

とにかく5年後、このビルが周囲に恩恵を与えているか、逆に、このビルが周囲の
環境やこの地域の歴史的背景に助けられているかを見守りたい気がする。しかし、
なぜ 「はたらく街」 を 「たのしむ街」 にチェンジしなければならないのか?確かに、
昔から大阪には “雑多” という魅力がある。しかし、“雑多” を “便利” や “楽” に
置き換えるのはどうなのか? 一層、大阪という街が衰退していく予感が ・・・


■ 街的興趣 ■

街に新たに吹く風が通路をどんどん変化させていく
ただ時々、今まで吹いていた自然な風までも遮ってしまう
活性化のため通した風が稀に街を陳腐させることもある

第五大成丸


鈍色の空、錆色の道。

2008年06月10日 | 昭和懐古


子どもの頃 梅雨の夕刻が嫌いだった
鈍色に覆われた低い曇り空は物悲しい
家路にできる水溜りの縁に残る錆色の
轍が物悲しさをいっそう誘う そしてその
記憶は徐々に撥ねていく ・・・





小学校入学の頃、雨が降ると通学路のあちこちに水たまりができた。
学校まで歩いて40分。半ズボンに黒い長靴を履き黄色い傘をさして歩く。
晴れた日でも途中でイヤになるほどの道のり。雨の日なら尚更である。
私はなぜか、朝の雨が嫌いだ。家を出る時、不安が襲い心が悲しくなる。
いつも早く家に帰りたいと思っていたような ・・・

朝から雨が降っている日の帰り道は嫌いじゃない。
ただ突然、空が暗くなって降り出した生温い雨の帰り道は嫌いだ。
通学路には工場のトラックやダンプが砂や金属片を落としている。
梅雨どきに雨が降ると、その泥水と金属の錆臭があたりを覆う。
少年期の忘れられない臭いなのかも ・・・


■ 昭和懐古 ■

鈍色(nibi-iro)の空、
錆色(sabi-iro)の道。

第五大成丸


 
 


唯一の習い事

2008年06月06日 | 昭和懐古


6月6日、今日は 「楽器の日」 「邦楽の日」 「おけいこの日」 です。
昔から踊りや邦楽などの芸事は、6歳の6月6日から始めると上達する
と言われていたようです。





芸事ではないのですが、
私も6歳(幼稚園年長)のちょうどこの時期から算盤(そろばん)を習い始めたことを
思い出しました。最初は習うというよりゲームでもやる感覚でいた記憶が ・・・

親父の仕事に使う船舶の修理やドックをお願いしていた造船所の大将の娘さんが
家まで来て教えてくれていたのです。家といっても何度か紹介しましたが、工事の
飯場、トタンで囲われたバラックです。しかも、わが家は1階の8畳和室と2畳ほどの
布団部屋しかありませんでしたので、その2階の若い衆が寝泊まりをしている15畳
ほどの雑魚寝部屋(畳と裸電球)を仮の算盤教室として使っていました。

当初、同い年と一つ年上の近所の友達を中心に幼稚園児と小学校1年生併せて
10人ほどが習いに来ていました。初日には、これから何が始まるのか、という
期待と不安の中、緊張の面持ちで正座していたみんなの姿が今も鮮明に蘇ります。
ただ、意外と先生(大将の娘さん)は厳しく、いくら昔といえど6~7歳の子ども
にとって1時間以上も正座をしてジッとしていることは苦痛でした。初日で1人やめ、
2回目でまた1人やめ ・・・ 1ヶ月後には半数になっていました。

元々、一般の算盤教室のように検定試験を受ける(級・段の取得)ための教室では
なく、週に1回程度、先生の都合が良ければ開催するというものでした。その為、
毎回毎回、前回教えてもらったことをすっかり忘れてしまい、同じ間違いを起こすわ、
スピードは上がらないわ、で、よく先生を怒らせたものです。

この算盤教室に限らずですが、
昔の先生は教え子を怒ることはあっても、褒めることはあまりなかったように思い
ます。もちろん、出来が悪かったのでしょうが、私はほとんど褒められた記憶が
ありません。そのせいでしょうか、私は未だに自分の部下や子どもを褒めることが
苦手です。( 怒ること、貶すことは得意ですが ・・・ )
まあ、今の時代、褒めて伸びる子もいるとは思いますが、付け上がるヤツがいる
ことも事実ですよね(笑)。

それから約3年経った頃、
私は3級の練習に入っていたのですが、何と、先生が花嫁修業に入るということで、
教室が終わることになりました。“できれば3級を受けてほしい” と先生がお袋に
話していたようで、先生が子どもの頃に習っていた小学校の近くの珠算教室(先生)
を紹介してくれました。ちょうど、わが家も別の場所に家を建てて引っ越すことは
決まってましたので、どうせ飯場での教室は辞めなければなりませんでしたので、
その教室に通うことにしました。

私が通っていた小学校は、当時、日本で2番目に大きいマンモス校でした。
私たちの学年は9クラス、1つ下が10クラス、その下が12クラス ・・・ 約3,000人?
今の少子化がウソのような時代です。そんなマンモス校の近所、しかも、習い事は
「習字」 と 「そろばん」 が2大勢力を成していた時代。その珠算教室も2フロアで
曜日と時間で学年とクラス(級・段)を分けてシフトが組まれていました。1フロアで
50人ほどが机の上の算盤に向かいます。教室内は異様なほど緊張感があります。

遊びとは言いませんが、ゆっくりまったりソロバンをしていた私にとっては、
それこそ、カルチャーショックでした。私自身、転校したことはなかったのですが、
転校生の気持ちがわかったような ・・・ 先生は優しい方でしたが、場の雰囲気に
アレルギーを感じてしまったのです。その日でやめようと思い、家に帰ってそのことを
お袋に話しました。何も言いませんでした。ただ、次の日、先生(大将の娘さん)から
電話があり、“3級取るまで頑張って行って!” と言われました。相当悩みましたが、
そこまでは頑張る約束を ・・・

4年生になってすぐに3級の試験を受けました。意外とあっさり 「合格」 しました。
何と、先生(大将の娘さん)が “おめでとう!よう頑張ったね” と初めて私を褒めて
くれました。一応、合格したのでソロバンはいつでもやめれます。“やめます!”
と珠算教室の先生に告げました。すると先生が、“君ならいける!初段まで頑張って
みれば ・・・” と私に囁いてきました。私はまた大人の囁きに悩みます。

“5年生になったら少年野球が始まるので4年生のあいだは来ます(やります)。”
と先生の囁きにも配慮した妥協点で話をしました。結局、2級の検定を受ける前に、
少年野球に入ってしまい、中途半端なやめ方をしてしまいました。今思えば、
あの時すぐにやめておいても何の問題なかったのに ・・・ 。

私の唯一の習い事であった 「そろばん」 は、私の人格形成にも影響を与えました。

昔、悪いことをして親や近所のおっちゃんに怒られることは当たり前でした。それが
小学校に上がる前に、「一生懸命やっているのに他人に本気で怒られた ・・・」
これはある意味ショックでした。ただ、曲りなりにそれを何とかクリアしたことで、
どこか自分の自信となって備わっています。そして、その時の苦しさや悔しさの裏
にあった、他人なのに “こいつを良くしたい” と本気で思ってくれる人の存在や
有難さをほとんどの人は大人になって初めて気づくものです。言うまでもなく、
そんな時、感謝(あの時はありがとう!)と後悔(あの時、ありがとう!と言えば
よかった)が押し寄せます。私はこの気持ちを忘れず他人と向き合いたい ・・・


■ 昭和懐古 ■

あんな大人になりたい!
あんな大人でありたい!

第五大成丸


夢など無かった?

2008年06月04日 | 昭和懐古




周りの友達が 「プロ野球選手」 になりたいとか 「新幹線の運転手」 になりたい
といった “夢” を口にしていた頃、私はなぜか人生に冷めていた記憶がある。

もし、先生に聞かれたら ・・・ どう答えようかと少し悩むことはあっても、
真剣に “自分は将来○○になりたい!” という視点で考えたことはなかった。

“夢” が無かったというより、“夢” を語ることにまず煩わしさを感じてしまい、
“先のことなど誰にもわかるものか ・・・ ” という屈折した自分なりの論理を繰り
広げ周りの友達を冷やかに視ていた気がする。

大人に近づくと、冷静というより常に冷めたものの見方で青年期を過ごしていた
かもしれない。ただ、好奇心と感受性は人一倍強かったことは事実。そして反面、
人一倍飽き性であったこともこれまた事実である。

周りに真面目なヤツが増えれば、自身は限りなく不真面目なヤツを目指して動く。
逆に、不真面目やヤツが増えれば、真面目にやるべきと他人にも平然と訴える。

やはり、天の邪鬼だったのだろう。
ただ、天の邪鬼という言葉だけでは済まされないこともある。たとえば、進路 ・・・

ある日突然、同級生たちが将来を考えて志望校を真剣に決めている姿があった。
私は、“どこの学校行っても同じやろ” と悪態を吐いて、自身の進路さえ真剣に
考えるのをやめてしまったことがあった。

昨日まで右を向いて遊んでいたヤツらが、今日から左とばかりに襟を正す。
それこそ、まるで昨日までの自身の生き方を否定するように変貌していく姿が
どうしても納得できなかった。

大人になって、人の世ではそうしたことは日常茶飯事なのだと解ってからは
そう気にならなくなった。たしか、最近もあったような ・・・

自分にはできない技である。
不器用な生き方しかできない人間だということをこの歳になって初めて気づいた。
ただ、人に影響されて方向転換するような人生だけは送りたくない。

「夢」 というものは、“目指したり” “持ったり” “掴んだり” するものではなく、
“ただ、見るだけのもの” で済ませてやるべきだと私は考えている。

なぜなら、世間で “夢はきっと叶う!” と叫んでいるヤツらの “夢” のほとんどは
“現実” である。本当に叶ったかどうかを世間の中で確認するために叫んでいる
に過ぎない。同じ暗示が必要ならそれを信仰すべきだろう。

私は今、若かりし頃の卑屈な考えを発している訳ではない。冷静に、あくまでも
客観的に若い頃に考えていたことを再分析している。そして、その考えが今も
継続して使えると判断した。その上で、この生き方で良いという結論にも至った。


■ 昭和懐古 ■

“良い人生だった”
と思える人生に向かって!

第五大成丸