ラグの「素直に生きれば人生は楽しい」

主に人生の歩き方について「人生お弁当箱診断」など
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唯一の習い事

2008年06月06日 | 昭和懐古


6月6日、今日は 「楽器の日」 「邦楽の日」 「おけいこの日」 です。
昔から踊りや邦楽などの芸事は、6歳の6月6日から始めると上達する
と言われていたようです。





芸事ではないのですが、
私も6歳(幼稚園年長)のちょうどこの時期から算盤(そろばん)を習い始めたことを
思い出しました。最初は習うというよりゲームでもやる感覚でいた記憶が ・・・

親父の仕事に使う船舶の修理やドックをお願いしていた造船所の大将の娘さんが
家まで来て教えてくれていたのです。家といっても何度か紹介しましたが、工事の
飯場、トタンで囲われたバラックです。しかも、わが家は1階の8畳和室と2畳ほどの
布団部屋しかありませんでしたので、その2階の若い衆が寝泊まりをしている15畳
ほどの雑魚寝部屋(畳と裸電球)を仮の算盤教室として使っていました。

当初、同い年と一つ年上の近所の友達を中心に幼稚園児と小学校1年生併せて
10人ほどが習いに来ていました。初日には、これから何が始まるのか、という
期待と不安の中、緊張の面持ちで正座していたみんなの姿が今も鮮明に蘇ります。
ただ、意外と先生(大将の娘さん)は厳しく、いくら昔といえど6~7歳の子ども
にとって1時間以上も正座をしてジッとしていることは苦痛でした。初日で1人やめ、
2回目でまた1人やめ ・・・ 1ヶ月後には半数になっていました。

元々、一般の算盤教室のように検定試験を受ける(級・段の取得)ための教室では
なく、週に1回程度、先生の都合が良ければ開催するというものでした。その為、
毎回毎回、前回教えてもらったことをすっかり忘れてしまい、同じ間違いを起こすわ、
スピードは上がらないわ、で、よく先生を怒らせたものです。

この算盤教室に限らずですが、
昔の先生は教え子を怒ることはあっても、褒めることはあまりなかったように思い
ます。もちろん、出来が悪かったのでしょうが、私はほとんど褒められた記憶が
ありません。そのせいでしょうか、私は未だに自分の部下や子どもを褒めることが
苦手です。( 怒ること、貶すことは得意ですが ・・・ )
まあ、今の時代、褒めて伸びる子もいるとは思いますが、付け上がるヤツがいる
ことも事実ですよね(笑)。

それから約3年経った頃、
私は3級の練習に入っていたのですが、何と、先生が花嫁修業に入るということで、
教室が終わることになりました。“できれば3級を受けてほしい” と先生がお袋に
話していたようで、先生が子どもの頃に習っていた小学校の近くの珠算教室(先生)
を紹介してくれました。ちょうど、わが家も別の場所に家を建てて引っ越すことは
決まってましたので、どうせ飯場での教室は辞めなければなりませんでしたので、
その教室に通うことにしました。

私が通っていた小学校は、当時、日本で2番目に大きいマンモス校でした。
私たちの学年は9クラス、1つ下が10クラス、その下が12クラス ・・・ 約3,000人?
今の少子化がウソのような時代です。そんなマンモス校の近所、しかも、習い事は
「習字」 と 「そろばん」 が2大勢力を成していた時代。その珠算教室も2フロアで
曜日と時間で学年とクラス(級・段)を分けてシフトが組まれていました。1フロアで
50人ほどが机の上の算盤に向かいます。教室内は異様なほど緊張感があります。

遊びとは言いませんが、ゆっくりまったりソロバンをしていた私にとっては、
それこそ、カルチャーショックでした。私自身、転校したことはなかったのですが、
転校生の気持ちがわかったような ・・・ 先生は優しい方でしたが、場の雰囲気に
アレルギーを感じてしまったのです。その日でやめようと思い、家に帰ってそのことを
お袋に話しました。何も言いませんでした。ただ、次の日、先生(大将の娘さん)から
電話があり、“3級取るまで頑張って行って!” と言われました。相当悩みましたが、
そこまでは頑張る約束を ・・・

4年生になってすぐに3級の試験を受けました。意外とあっさり 「合格」 しました。
何と、先生(大将の娘さん)が “おめでとう!よう頑張ったね” と初めて私を褒めて
くれました。一応、合格したのでソロバンはいつでもやめれます。“やめます!”
と珠算教室の先生に告げました。すると先生が、“君ならいける!初段まで頑張って
みれば ・・・” と私に囁いてきました。私はまた大人の囁きに悩みます。

“5年生になったら少年野球が始まるので4年生のあいだは来ます(やります)。”
と先生の囁きにも配慮した妥協点で話をしました。結局、2級の検定を受ける前に、
少年野球に入ってしまい、中途半端なやめ方をしてしまいました。今思えば、
あの時すぐにやめておいても何の問題なかったのに ・・・ 。

私の唯一の習い事であった 「そろばん」 は、私の人格形成にも影響を与えました。

昔、悪いことをして親や近所のおっちゃんに怒られることは当たり前でした。それが
小学校に上がる前に、「一生懸命やっているのに他人に本気で怒られた ・・・」
これはある意味ショックでした。ただ、曲りなりにそれを何とかクリアしたことで、
どこか自分の自信となって備わっています。そして、その時の苦しさや悔しさの裏
にあった、他人なのに “こいつを良くしたい” と本気で思ってくれる人の存在や
有難さをほとんどの人は大人になって初めて気づくものです。言うまでもなく、
そんな時、感謝(あの時はありがとう!)と後悔(あの時、ありがとう!と言えば
よかった)が押し寄せます。私はこの気持ちを忘れず他人と向き合いたい ・・・


■ 昭和懐古 ■

あんな大人になりたい!
あんな大人でありたい!

第五大成丸



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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お初です。。 (がまくちu-ka)
2008-06-08 18:02:28
ブログへのコメントありがとうございます。
OK!!と思っていても どこか抜けているところ
なんとも情けない・・・私らしいさ?!いやいや最終チェックは気を締めていかないとね・・・

今日は、仕入れ、仕込み、明日のランチ写真を撮ろうと休日出勤しました。
が、試作のランチが出来上がって、写真を撮ろうと思ったら、携帯の充電が切れてしまい( ;∀;) カナシイナー   これもチェックのあまさ?!・・・
明日朝一で 日付間違わずに、曜日も入れてUPします。


R9紀行いろんな思いがあって回られたんだなーと・・
私たちも携われたこと ありがたく感じています。
それにしても ふくろうのこと褒めすぎだよ。
そんなん口調きいたことないから 気持ち悪いな~・・
(素直にどうも・・なんでしょうがね・・)
頂いたパワー倍にして、ふくろう旋風じゃ~(*⌒▽⌒*)/ 
返信する
こちらこそ、パワー貰いました! (第五大成丸)
2008-06-08 19:13:13
がまくちu-ka へ
 
米子から帰って気づいたのですが、私は人生の節目
節目で無意識に鳥取(米子や大山)へ行っています。
今回は無意識とは言いません。新たな節目として
“行くべきして行った” わけです。 ハイ!
 
久し振りにお二方と会って、酒が飲めたことは
本当に嬉しかったですよ。それから、「ふくろう」の
スフレカフェへの業態変換と義姉さんも参加しての
店舗表現は、街人の私にもちょっと刺激になりましたよ。
 
これからも気を抜かず、
自信を持って 前進~ 前進~ してください!
 
返信する
はじめまして (花月)
2008-06-09 22:31:40
先日は訪問書き込み、
それにお祝いのコメントもありがとうございました。

写真と詩が上手く組み合わされた面白い作品の数々楽しませていただきました。私が撮っている写真と全然違うので新鮮です。また、ちょくちょく遊びに来ますね。
よろしくお願いします。
返信する
ありがとうございます。 (第五大成丸)
2008-06-10 00:09:40
花月さん、
わざわざコメントありがとうございます。
 
どちらかといえば、このブログは日々の日記ではなく、
過去の記憶や比喩隠喩の世界を彷徨っているもので、
写真も加工がメインで取り留めがありません。それに
比べ、花月さんの写真には力強い人間の営みを感じます。
また、人物の存在要素とその表情には強弱があり、
カーブを曲がる時の遠心力を感じるような心地良さ
があります。世の中には綺麗な写真や上手な写真は
たくさんありますが、なぜか、“ワクワク” します。
( 表現がちょっとおかしいですが ・・・ )
また、“ワクワク” を貰いに訪問致します。
 
このブログ、毎日は更新していませんが、
気が向けば時々のぞいてやってください。
 
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