ラグの「素直に生きれば人生は楽しい」

主に人生の歩き方について「人生お弁当箱診断」など
以前のブログ名:和色ムーブメント

このお店から始まった [前編]

2008年04月29日 | 昭和懐古


26年前、
山(鳥取大山)から降りた私。
何の当ても無かったが ・・・ とりあえず大阪へ。





大阪淀屋橋にあった “Cafe & Bar” ( 「カフェバー」 ・・・ 懐かしい響きです )
この写真のお店が飲食業界で働くキッカケとなったお店で私のベースです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

山を降りて実家に1週間ほど居ただろうか。
“そろそろ動こう ・・・” と思ったその日にのうちに新幹線で大阪へ向かった。
今思えば、なぜ新幹線で大阪へ行ったのか疑問である。( 近いのに ・・・ )
新大阪駅に着き、たぶん一番先に目に付いた不動産屋に入って部屋を求めた。

条件と希望の場所・間取りなどを聞かれて、 
 “間取りは1Kか1ルームでいいです。”
 “場所はどこでもいいけど、駅に近いところがええかな~。”
 “家賃どれ位します?・・・ 払える範囲で ・・・!?”
と、世間知らずでええかげんな会話をした記憶が ・・・ 。
まだ仕事も決まってないのに部屋だけ先にキープした私でした。
( 小さい頃から、決めると後先をを考えず行動するタイプ!? )

住む場所はどこでも良かった。が、あったとすれば、“山で知り合った彼女が来阪
しやすい場所” が頭にあったかも ・・・ 。新大阪駅前(東口徒歩数メートル)にある
雑居マンションだった。普通に生活している人はいないのではないかという怪しい
マンションだった。5階の北側で8帖ほどの1ルーム。一人暮らしには何ら問題は
なかった。窓からは東京方面から新大阪駅に入ってくる新幹線が目の前に見えた。
というより、時々新幹線に乗っている人とハッキリと目が合う距離だった。
( ほんま近い!10㍍位やったかも ・・・ )

数日、
求人情報誌( 「アルバイト情報」 と 「アルバイトニュース」 )を頼りに職を探した。
別段、仕事にこだわりはなかったが、「人と接する仕事」 がしたかった。それが
山を降りる時に決めた大阪に出てきた唯一の目的やったから ・・・ 。

この頃の求人誌に掲載されている求職の8割以上が飲食店スタッフの募集だった。
「人と接する仕事」 ということで、結局、飲食店を中心に数ヶ所のお店で面接を
してもらった。そして、レギュラー(社員扱い)希望を伝えると、どこのお店でも
必ず同じ質問をされた。

 店 : “経験は?”
 私 : “学生時代ですが、食堂や喫茶店でバイトしてました。”
 店 : “なんでうち(そのお店)を(選んだのか)?”
 私 : “え~っと、別に ・・・ ”

当たり前ですが、これでは雇ってはもらえない(雇ってもらえませんでした)。
こうした面接を何度か受けるうちに、飲食店(サービス・接客業)をやっている方
たちの考え方や仕事に対する思いが少し理解できるようになっていった。それが
今の自分にとって大きなプラス(財産)になっていることは間違いありません。
そう余裕はなかったのですが、“こう言えばどう反応するのか?” というところまで
試すようになっていました。ただ、さすがに1ヶ月も経つと遊んでいる場合ではなく、
真剣に仕事を決めないと生活費が底をつきます。( ちょっと焦りました )

“リニューアルオープンしたばかり” というお店の広告が目に付きました。
あとで聞いたのですが、業態も店名も新たに立ち上げ、以前から働く数名の
スタッフの存在を除いては 「新規オープン」 でした。今はもう、このお店は無い
のですが、今あっても違和感のないほど洗練された外観、プロジェクターを備えた
パーティールームやサンルームがあり、内装は白壁と木目の家具を基調とした
オシャレな雰囲気。四半世紀前、ある意味、淀屋橋で一世を風靡したお店でした。

それまでの失敗した面接経験を踏まえ、“絶対に滑らない(落ちない)” ように、
受身でなく攻めの姿勢で面接を受けることで、思惑通り採用となりました。
受け答えの内容は言えませんが、今でも私の中に、こう言えば(語れば)採用
されるというものがノウハウとして蓄積されています。

 



私自身、料理を作ることに興味やあこがれはほとんど無かったのですが、
“折角なので、まずは厨房に ・・・” ということで、「モーニングタイム」 の厨房が
メイン担当のバーテン・調理見習といった職種でレギュラーとなりました。朝は
早いです。営業は7時からですが、昔からの常連さんが6時半には店の中へ
入って来られます。私は6時までに行かなければなりません。しかし、苦痛では
ありませんでした。実家の仕事、山での仕事、共に朝早い仕事でしたので ・・・ 。

お店のマスターのお父さん(「旦那さん」 と呼ばれていた創業者)が朝一番で
お店を開けて3時間ほどモーニングタイムを手伝ってくれていました。70歳を
越えている旦那さんと私、そしてもう一人16歳でヤンキーの若い子という
バランスの悪い3人で厨房をやっていました。ハイセンスなお店なのですが、
朝は旦那さんの存在が大きく、昔ながらの喫茶店の雰囲気で覆われていました。

昼前になると、
昼(ランチタイム)・夜(ディナータイム)担当のスタッフが順番に出勤してきます。
色んなヤツが働いていました。全員は紹介できませんが、印象に残っているのは、
優しいM元チーフと融通の利かない二番手のM平さん、高校生でメインアルバイト
のM村君でしょうか。( やっぱ長くなりますので、個々のネタは次回 ・・・ )

こうして、私の大阪における飲食店(飲食業界)での仕事が始まりました。
それは、人生を大きく変える出来事の始まりであったかもしれません。また、
大きく人生に影響を与える人との出会いや別れの始まりでもあった気がします。
いずれにせよ、この業界で仕事をする限り、昭和に出会った忘れること消すこと
のできないお店とスタッフです。



昨夜、家に帰ってテレビをつけた瞬間、この店舗情報の映像が ・・・

当時、高校生3年生で制服を着たまま学校帰りにアルバイトに来ていた
M村君( 「リストランテ・マツムラ」 オーナー 松村 和彦 )のお店が紹介され、
本人が料理を語っていました( ちょっと、太ったんちゃう ・・・ )。今でも連絡を
取り合っている当時のスタッフの一人ですが、やはり、この業界で元気に活躍して
くれている姿を見ると嬉しいものです。まあ、M村君(まっちゃん)のお店は、
「二升五合」 枠で今度ちゃんと紹介しようと思います。


「昭和懐古」

関わった店やスタッフは皆、当時のままの姿と動きなのです。
私のベースはここにあります。M元チーフにもう一度会いたい ・・・

第五大成丸


 
 


感謝。

2008年04月29日 | こんたく堵


昔、
人に 感謝 する気持ちを言葉で伝えるのは
好きな女子に街で偶然出会うのと同じくらい面映かった。

たぶん ・・・


     


今も、
ストレートに言葉で 感謝 を伝えられるような人間やない。

ただ、
ちょっとだけ アタマ で解ってきた気がする。
ちょっとだけ カラダ に沁みてきた気もする。

たぶん ・・・

出会った人 みんなに
理屈やのうて 素直に

・・・ 感謝。


「カローラルミオン」 です。

2008年04月26日 | 造形憧憬


この車、街で見かけたことありますか?
昨年の秋にデビューしたハコ型デザインのTOYOTAのクルマ。
“デカ bB” と呼ばれる一方で、“なぜカローラ?” という疑問の声も ・・・


 


ブランドにはとらわれない。デザインだけでは選ばない。選ぶ基準はひとつ、
自分の価値観に応えてくれるか、手にした瞬間だけではなく乗るたび自分に
馴染んでいくかということ。個性ばかりを主張するデザインは、人々から創造
する楽しさを奪ってはいないか。そう、求めていたのは、想像力を掻き立てる
束縛のない完成形。シンプルなハコ型デザインのカローラルミオン。
創造する自由と無限の可能性を秘めたこのクルマなら、この先の自分も、
きっと楽しめる気がする。――――――――――――――― RUMION





★★★★★ It is my new car.
  『 COROLLA RUMION (カローラルミオン) 』
 TOYOTA
     [ 08年1-4月限定生産 ] 特別仕様車 “Chocolate”





実は、エスティマを下取りに出して ・・・
このクルマは3月26日に納車されていました。まだ1ヶ月、慣らし運転中ですが、
大きな問題はなく動いてくれています。1ヶ月点検も “良好” とのお墨付きを頂き、
一応、このクルマと付き合うことに ・・・ 。で、今日このブログでお披露目です。

昨年末にTVコマーシャル( “ゴツンとルミオン!” )を見た時には、さほど興味が
持てないクルマだったのですが、エスティマの車検が近づき、腐れ縁のディーラー
セールスマンに相談(ランニングコストの低い車に乗り換えようかなぁ~)に行った
ところ、間髪入れず “ええクルマありますよ!” と、その場で勧められました。
ショールームの中にあったこのクルマ(マルーンマイカの特別色)を ・・・

私の頭の中で自分が乗るイメージが膨らみます。もちろん、抵抗感もあります。
このカローラルミオンは 1.5ℓ と 1.8ℓ しかありません。過去、私が乗ったクルマは
全て 2000cc 以上でしたので、物足りなさを感じるのではないか、また、ここ数台は
ずっと1BOXカーで車内(空間)がゆったりと広かった為、小さなクルマでは圧迫感が
あるのではないか ・・・ などなど。

しかし、この担当セールスはクルマの良し悪しをストレートに教えてくれます。
前エスティマ、そしてこのルミオンもセールス本人が先に個人所有していますので、
色々と判断するのに助かっていることは事実です。また、ディーラーの社員であり
ながら、そこそこ触って(微改良?&ドレスアップして)乗っていますので、パーツや
キットなどの情報も早い!( まあ唯一、これが腐れ縁のメリットでしょうか ・・・ ? )





このクルマ、ノーマルのまま乗れば “営業用のバン” になってしまいます(笑)。
特に、ホワイトやシルバー系のボディーカラーをセレクトするなら目の行くところに
ポイントは必要です。無茶はおすすめしませんが、多少ドレスアップしなければ
コストパフォーマンスが低いクルマになってしまいますよ ・・・ 。

私は50歳手前のオヤジです。
“オッサン、若いクルマ乗ってるなぁ~!” という目で若者に見られることが
時々ありますが、私からすれば、“若いヤツはもっと若いクルマ乗れや!” と
言いたい気分です。最近、若いヤツほど収まっていますよね。もちろん、
群れで走るヤツらは嫌いですが、自身の自己主張や自己発見に少し投資して
やるのもいいもんですよ。“金が貯まってからいいクルマを ・・・” なぞと考えている
若いヤツらはどうなのか ・・・ ??? ( まあ、否定はしませんが “オモロない!” )

次回、グレード・仕様・オプション・レスポンス、実際の乗り心地などを紹介します。


地域ブランド

2008年04月22日 | 街的興趣


“ 私達の住んでいる栃木県は 『日本一影の薄い県』 と言われています。
栃木県の地域ブランドは、47位と最下位です。このままでいいのでしょうか?”
という記事が ・・・





“日本一影の薄い県” ― そんな汚名を返上するため、栃木県の経済団体が
立ち上がった。目立つための 「キャッチフレーズ」 を募集する、という一見
地味な取り組みだが、県の認知度の低さに危機感を持った県内外の出身者
から4000件を超える応募が寄せられた。
 との記事も併せて載っていました。

さて、それはどうなのでしょうか?( うまくいくのでしょうか? )
私は今、大阪府内に住んでいます。確かに、「大阪」 の認知度は全国的に高い
でしょうし、影も薄くないと言えるでしょうね。ただ、それは過去の歴史も含め、
「大阪(大坂)」 という土地がそれなりの役割を果たし、「大阪(大坂)」  という
地名を露出してきたからではないでしょうか。
( 市も府も 「大阪」 という同じ名前なのが大きい!かも )

東の 「東京」 、西の 「大阪」 というイメージで全国区、昔からの表現で言えば、
「天下の台所」 「水の都」 と称されて、近年は特に、お好み焼・たこ焼・いか焼、
粉もんや串かつなどの庶民的な食べ物、はも・ふぐ・きつねうどん・まむしなどの
“大阪の味”、しゃぶしゃぶ・懐石料理・うどんすき・大阪寿司など料理屋(料理人)
の職人技に至る幅広く奥行きのある 「食い倒れの街大阪」 という認知度が
強まっているのではないでしょうか。

また、「大阪キタ」 「大阪ミナミ」 や 「北新地」 「アメ村」 「新世界」 などの地域表現
や船場の商売人を代表とする大阪弁、また、上方落語・漫才・新喜劇(吉本・松竹)
などの(お笑い)文化も入り交ざって、一層 「大阪」 というブランドを膨らませている
ことは否定できません。いい意味で、“ごちゃまぜな文化” が大阪の知名度を押し
上げ、結果的に他の地方から人を集めていることも事実です。

さて、「栃木」 の場合はどうなのでしょうか?
私は栃木県へ行った事がありません。ですので、メディアなどの露出や表現で判断
するしかありません ・・・ 「栃木」 のイメージはほとんどありません。( 影薄~っ!)
私が 「栃木」 として認知しているのは、「日光東照宮」 「那須高原」 「宇都宮の
餃子」 「鬼怒川温泉」 そして 「干瓢」、最近認知した 「大田原牛」 くらいでしょうか。
確かに遠い関東ということもあるのでしょうが、認知度はかなり低いです。特に、
「栃木」 という地名がどうもクリップされません。( これは問題かも ・・・ )

しかし、私の印象は別として、
本当に今後、「栃木」 という地名のブランド化に取り組むのでしょうか?
私は少し時代錯誤な気がします。「栃木」 という名前の認知が弱いから企業誘致や
観光誘致ができないというのは大きな勘違いで言い訳のような気がします。要は、
人を集める要素や内容が少ない。あるいは、その要素に対する目の当て方に工夫
が無い。あるいは、要素と要素のつながりが無いということではないでしょうか。
( キャッチフレーズだけでは意味がない!ということです )

仮に将来、
地方分権が進み、「道州制」 が実施されるようなことがあれば、「栃木」 という県名
は重要ではなくなるでしょうし、もっと、大きな掴みとなる要素や、逆に小さいけど
インパクトのある要素が求められる時代になると感じます。要は、大きさではなく、
“強いブランド” を数多く持つ自治体が生き残る時代になるような気がします。故に 
今の認知より、将来の認知を見越した戦略が求められるのではないでしょうか。
“見ざる、言わざる、聞かざる” ではなく、“見たい!言いたい!聞きたい!” という
ブランド化が必要です。

ちなみに、
職場の元後輩が 「栃木」 出身、大阪で数年修行をしたのちに地元に帰って
元気にお店をやっているようです。何とか年内に栃木へ行って、その活躍を
見て来て、このブログで紹介したいと考えています。

まあ近い将来、「栃木ブランド」 の一つにでもなれば嬉しいのですが ・・・ 。


穏やかな時空が ・・・

2008年04月18日 | 街的興趣


天神橋筋商店街界隈の飲食店をチェック中、
天神さん(大阪天満宮)へちょっと寄り道をしてみます。
まあ、最近は “寄り道” が私のメイン行動かもしれませんが ・・・


 


「大阪天満宮」 の境内には、
穏やかな時間がこの空間をゆっくりとゆっくりと通り抜けておりました。

大晦日から年が明けてのお正月には 「大祓式」 「御門祭」 「道饗祭」 「除夜祭」、
「拂暁祭」 「歳旦祭」、そして、梅が有名なこともあり 「初天神梅花祭」、2月には
「節分」 や 「針供養」、「七幸祭」 や 「七幸市」 など祭事が多々行なわれている
天神さんですが、言わずと知れた 「菅原道真公」 が祀られている神社であり、
「学問の神様」 として有名ですので、当然、受験シーズンには合格祈願に参拝
される学生さんや親御さんで賑わったはずです。そして、忘れては困るのが、
毎年、7月の24日25日に行なわれる 「日本三大祭」 の一つ 「天神祭」 です。
蒸し暑い時期に行なわれる勇壮なお祭りで、その中心になるのがこの神社なの
です。

今は、その端境期のような時期なのでしょうか、本殿を参拝される方も少なく、
年配率が高いためか、一層、ゆっくり穏やかな時間が流れているように感じました。
もちろん、「厄除け」 や 「家内安全」 などの御利益もあるようですので、近隣に
お住まいの方が普通に参拝に来られている姿があったことも、ゆったり感を醸して
いたのかもしれません。そういう空気の中での参拝が初めてとは言いませんが、
やはり、神社といえば 「初詣」 や 「七五三」 「お祭り」 などのイメージが強く、常に
人が溢れている光景が残っていて、そういう場面では見えなかった(感じなかった)
であろう空気感が、求めなくても自分の鼻先を漂って通り過ぎて行く自然な感覚が、
何とも心地良いものでした。

それを感じた瞬間、
何か今まで、誰かが作った(策略した?)温度の空気を無理やり吸わされていた
ような感覚を持ってしまったのです。もっと普通(の自分)で良かったのではないか
と ・・・ 。参拝の本当の意味を考えれば、“賽銭を放り込んで勝手に願い事する”
は当然、大きな間違いだが、その間違いを指摘することが必要なのか、逆にスルー
して知らんふりするのが良いのか、といった両極で悩み、全てをプラスとマイナスで
裁こうとしていた自分の了見の狭さに気付いたら、同じように物事を裁こうとしている
者が愚かに見えるものです。しかし、それを笑うよりフォローしたいと何気に思う ・・・





神社の北側にある 「天満天神繁昌亭」 という寄席小屋です。
難波のNGKなどと違い、若い女の子が出待ちをしている姿はありません。
こちらも ゆったり~ ゆったり~ でしょうか。

 


一期一会の縁

2008年04月17日 | こんたく堵


今日、この風景に出くわしたのは偶然 ・・・ ? それとも必然 ・・・ ?





最近、すこぶる体調が不良です。
胃が痛くなったり、胸が悪くなったり、手足がしびれたり ・・・
病院で診てもらいますが、原因よりも病状がハッキリしません。
痛いところや悪いレベルが日替りなのです。数値が悪い肝臓関係かもしれません。
ひょっとすると、腎臓かすい臓かもしれません。まあ、このような状態が続くようなら、
近いうちに精密検査を受けてみますか?と医者から言われていますが、もう少し
様子を見ます。自己診断ですが、たぶん ・・・ ストレスです。

そして、もう一つの可能性は、
身内や知り合いに何か起こっている、または起ころうとしているのかもしれません。
別に、“怖い話” ではありませんが、“虫が知らせる” というやつです。
( やっぱ怖いかも?ですね )

昔から、何度かそういうことがあります。
仕事中、ズボンと靴下が濡れるほどやたらと左足だけ汗を掻くので、
何となく気にしていたら実家から電話が入り、弟が左足を複雑骨折して入院した
ということがありました。親父が入院した時も、親類縁者が亡くなった時も ・・・

ここ最近、仕事関係の人の事故や入院が続いています。
しかし悲しいかな、見舞いに行くとか気遣うとか自分にできる対応しかできません。
それがまたストレスに繋がることもあります。何らかの縁で自分に関わっている
すべての人が幸せになってほしいと素直に思えば思うほどやりきれなくなります。
特に、若いスタッフに怪我や予期せぬ事故など起きると ・・・

一期一会の縁を大切にしなければと思うのは歳のせいかもしれません。
ただ、その気持ちを持って日々人と関わることは間違いではないはず ・・・ 。


変わらぬ空気感

2008年04月14日 | 昭和懐古


28年前の 「昭和懐古」。




大阪梅田にあった専門学校で出会ったヤツら。
出身地(大阪・京都・滋賀・奈良・和歌山・兵庫・岡山・香川・広島・山口)も
経歴・年齢もバラバラ ・・・ なのに、初対面から話ができるヤツばかり。不思議と
居心地の良い空気を感じたのを今でも想い出します。私は1年しか在籍せず、
しかも、ほとんど授業には出ていませんでした(バイトと遊びに忙しかった)ので、
学校で一緒に過ごした時間は短かかったのですが、私が学校を辞めたあとも
事ある毎に誰かが連絡をくれましたので、月に1回程度あった飲み会には必ず
参加していました。

もう、この仲間と知り合って29年になるのでしょうか ・・・ 。
早い話、この気の置けない仲間とは嫁さんより長い付き合いなのです。
元々、大阪以外の地方から出てきていて、卒業後は地元に帰っている者が多く、
今では全員で集まることは難しいのですが、それでも年に数度、その飲み会が
続いているということです。先週末の土曜日は、前回と同じく5名で飲みました。

29年前と何ら変わらない関係で、皆、話し方もトーンも昔のままです。
それぞれ家庭を持っていて、今の生活環境や置かれている位置は間違いなく
違うのですが、会えば、それぞれが昔と何ら変わらぬ空気を出せるし吸える ・・・
この感覚があるから続いているのだと感じます。

男性陣は2代目が多い。( スポーツ用品店、自転車屋、化粧品販売卸など )
女性陣はお嬢さん?が多い。( 呉服屋の娘、旅館の娘、地主の娘など )
そして、今回はそれぞれ子供が二人以上いる( 子供3人の4家族+子供2人 )
少子化時代に貢献しているのではないかという家庭の集まりとなりました。
男同士で会えば仕事の話になるし、女性陣が来れば子供や家庭の近況報告会。
そして、「昭和懐古」。飲み始めて4時間を越えました。日付が変わる前に
次回また会う約束をして解散です。





メートル法と尺貫法

2008年04月11日 | 造形憧憬


今日(4月11日)は、
「メートル法公布の記念日」 だったそうです。





私の仕事部屋のデスク周りだけでも、これだけメジャーやスケールがあります。
たぶん、どこの家(独身者)でも一つや二つはあるのではないでしょうか。そして、
そのほとんどが 「メートル法」 を用いた定規や物差しなどの計器だと思います。

18世紀末のフランスにおいて、地球1周の長さの4000万分の1を1メートルとする
単位を世界で共通(統一)して使える単位として 「メートル法」 が制定されました。
国際的には1875年の国際条約で全世界の単位を 「メートル法」 に統一することが
決まっており、日本も明治19年(1886)にこの条約に加入しました。

大正10年(1921)の4月11日には、『 改正 度量衡法 』 が公布されて、日本の長さの
単位も基本的に 「メートル」 を使用することが決まりました。ただし、それ以降も
日本では 「メートル法」 と 昔からの 「尺貫法」 との併用が続いていました。しかし、
昭和41年の 『 改正 計量法 』 により、尺貫法による定規や升などの製造販売が
禁止されて 「メートル法」 一本となりました。( それでも 「尺貫法」 は今でも ・・・ )

「一升瓶」 を 「1.8㍑入」 とし、「1坪当たり○○万円」 を 「3.3平方メートル当たり
○○万円」 と言い換えるなどしていますが、やはり、「尺貫法」 はまだ生活に密着
した所で使用されている現状があります。その為、各方面からの声に押されて、
現在ではこの規制は若干緩和されているようです。

私も仕事上、
ビルのテナントインの賃貸借契約で賃料などの折衝にあたったり、建築会社さんと
図面をつき合わせてのプランやコストの決定などを行ないます。その場面では、
「メートル法」 と 「尺貫法」 は、半々というところではないでしょうか。というより、
未だに “ごちゃまぜ” な感じです。

賃貸契約書には、「坪数(平米数)」 あるいは 「平米数(坪数)」 というように、
両方表記しているケースがほとんどですし、建築や施工関係の見積もり時点で
「坪単価」 で上がってきていたものが、本契約書になると、「平米数単価」 で
計算されて出てくるという感じです。

また、店舗で扱っているお酒(日本酒)は “一升瓶” や “四合瓶” と呼んでいます。
ただし、酒屋さんの納品伝票は、“1.8L” “720ml” などの表記になっています。
( 業務用のサラダ油18L入りの缶は、未だに 「1斗缶」 と呼んでいますね )

実は、「メートル法」 に一番強固に反対していたのは、
イギリス・アメリカ の 「ヤード・ポンド」 ではないでしょうか。その影響で飛行機の
高度などは、ごく最近まで 「フィート」 だったようですし、ゴルフでは、まだ 「ヤード」
が一部で使用されていますよね。アメリカで 「メートル法」 への移行が始まったのは
ほんの数年前からのようです。まあ、どこの国でも、どの地域でも、独自性は失い
たくないものですよね。( そういう視点でみると、日本はどうなのだろうか ・・・ )

いずれにせよ、お間違いのないように!!


シチュエーションの創造

2008年04月10日 | 造形憧憬


兵庫県三田市にあるロールケーキで有名なパティスリーに行ってきました。





TV東京(大阪ではTV大阪)で放送されている
「TVチャンピオン(現在は不定期:TVチャンピオン2)」 の 「ケーキ職人大会」 の
グランドチャンピオン決定戦で決勝まで残り、「味覚部門」 で最高点を獲得した
有名なパティシエがオーナーを勤めるお店が三田市のニュータウンにあります。
( 以前は神戸市垂水区にお店があったという記憶が ・・・ )

テレビ放映から約7年が経過しているのですが、未だに行列が途絶えない
というこのパティシエのパティスリー。ただ、単に味が良いだけではないはずです。
私はその有り方に興味があり、機会があれば行ってみたいと思っていました。

自宅から車(一般道)で約1時間のドライブです。
寄り道をしながら向かったので、ニュータウンに到着したのは少し陽が傾きかけた
夕方4時過ぎになってしまいました。もうロールケーキは売り切れている時間帯かも
しれません。まあ、ケーキを買うことが目的ではありませんので ・・・ と思いつつ、
目指すパティスリーに近づき駐車場に誘導している警備員の横を見やると ・・・
店外にまでお客さんが溢れ出しています。大げさな話ではなく、ざっと50人ほどの
大行列です。

とりあえず、車を停めて行列の最後尾に並びます。( 条件反射? )
キョロキョロと挙動不審な私が気になったのか、お店の男性スタッフがツカツカ
っと近づいてきます。そして、“○○ロールでしょうか?” と声を掛けてきました。
私はシステムがわからないまま、前方で並んでいる方々の様子(反応)を見て、
“ハイっ!” と答えてみました。すると、“先ほど、「ロールケーキの本日最終分は、
あと70本になりました。」 と厨房から声が掛かっておりますので、お客様(私)に
行き当たらない可能性もございます。ご了承くださいませ。只今、前のお客様から
ご入用の本数をスタッフがお聞きしておりますので、もうしばらくお待ち戴けます
でしょうか? ” と説明してくれました。私は “わかりました。” と返して待ちました。

前方から先ほどとは別の男性スタッフがメモ用紙を持って近づいてきます。
“何本ご入用でしょうか?” と列のお客様に声を掛けているようです。その数を
聞いてメモ用紙に書き込み、引換券として渡しているようです。そして、お客様から
聞いた数は、別のメモ用紙に 「正」 の字で書き込んでいました。私の前に並んで
いたカップルのところまでやってきました。メモ用紙を覗き見ると、「正」 の字は
確実に10以上書き込まれています。( ちょっとヤバイんちゃうのん!・・・ ??? )

ここで苦言を一つ。
白いメモ用紙に 「1」 とか 「2」 の数字だけ書き込んで渡すのが、競馬や競艇の
予想屋みたいで好感が持てません。聞けば、ほぼ毎日行列ができているようです。
そして、ご入用の本数をスタッフが伺う ・・・ せめて、ロゴ入りの用紙くらい用意は
できるはずです。良い紙を使ってほしいとは言いませんが、お客様が醒めてしまう
ようなツールは絶対にNGです。

“何本(ご入用)でしょうか?”
“えぇ~っと、2本お願いします。”
どうやら私も買えるようです。予定(残り70本)からすれば、残り5本位の位置
だったようですが、その後、スタッフがインカムで連絡を取り合っている姿を見る
限り、状況しだい(待ち客の様子しだい)でいくらか融通は利くような雰囲気も ・・・ 。

並んでから約40分、やっと店内に潜入できました。
スタッフは厨房含めて20人ほど居たでしょうか。店外で案内してくれたスタッフを
はじめ、皆、対応は悪くありません。( どちらかといえば、「良い」 と感じました )
外で並んでいた時から、イベントや遊園地の人気アトラクションに並ぶような緊張感
やワクワク感はさほどなかったのですが、さすがに数十人並ぶと妙な一体感が
生まれていました。それが店内に入った瞬間を境に解きほぐされるかのように、
それぞれが自我に戻る感じがあります。

「ロールケーキ」 を待って並んでいたお客さんのほとんどが、ロールケーキ以外の
生菓子や焼菓子も購入していました。その光景をみているうちに私の番が回って
きました。ロールケーキの2本も、オッサンがわざわざ並んで1本というのも何か
悪い(不自然な)気がする ・・・ という小心から、“頼まれました” を演じるかのように
「2本」 だったのに、まだ、それ以外に買わなければなりませんか ・・・

結局、定番人気の 「○○ぷりん」 や 「バウムクーヘン」 も売り切れだったのに
買うつもりもなかったチーズケーキ2ヶ・プリン2ヶ・シュークリーム1ヶ、計5ヶの
プチガトーお買い上げです。( 嫁さん曰く、これが “私の悪いクセ” のようです )
まあ、これも仕事に繋がるはず ・・・ てな言い訳をしながらお持ち帰り致しました。





今回、時間がありませんでしたので細かなチェックはできませんでした。そして、
このパティスリー以外の施設(お菓子教室・バウム工房・ブランジェリー・Cafe・
アイスラボ・コンフィチュールとマカロンのお店)を廻ることもできませんでしたが、
行列ができるパティスリーの人気の秘密は、やはり 「味」 だけではありません。
パティスリーの玄関まで続く行列はガーデン(庭)を進みます。そのガーデンでは
土と木(花)、そして銅人形(北海道の仙人のようなアーティストさんの作品)が
出迎えてくれます。こうした付随施設を含め、“美味しさの物語を街化” している
「シチュエーション」 そのものが人気を博して口コミを生んでいるのだと感じます。
そこにオーナーパティシエの熱い思いがあったことは言うまでもありません。

まだまだ “行列伝説” は続きそうです。


実質より本質を目指して

2008年04月08日 | 楽時々益


私の本棚には文学や歴史の書物が一冊もありません。(こりゃアカン!)





幼い頃、
本を読むのが嫌いな子供でした。
というより、私の家庭(実家)には本を読むという習慣が全くありませんでした。

第二次世界大戦前後の混乱期、
幼少から思春期を田舎で迎えた両親は、日々の生活をやり過ごすのが精一杯で
勉学に勤しむ時間など取れなかったようです。大人になり結婚してからも新たな
生活の為に飯場を転々としながら一生懸命に働く日々の繰り返しだったようです。
結果、家には文学書や歴史書はおろか辞書や雑誌もありませんでした。そんな
家庭の中で育った私にとって、幼稚園で出遭った絵本や小学校に上がってから
与えられた教科書に興味が持てたかといえば ・・・ 全然ダメでした。

私は本にアレルギーを感じてしまったのです。
「本=勉強×苦痛」 という方程式に覆われて、本というものを理解する前に
嫌いになってしまいました。(結果としては 「食わず嫌い」 というヤツだった)
小学校時代には、その 「食わず嫌い」 を克服できなかったのですが、中学校に
入ってから、ようやく、「食わず嫌い」 の原因と向き合えるようになった記憶が
あります。そして、高校時代にハッキリ原因が自分なりに分析できたのです。

方程式の方向が逆だったのです。
「本」 が 「勉強」 の道具で、しかも 「苦しい」 ものという順番に収めることで、
“本質” から逃げていたのです。本当は、椅子に座って机でジッとしているのが
非常に 「苦痛」 だったというのが “実質” でした。その苦痛の状態で自分が
読みたい(知りたい)と思っていない本を与えられ、より苦痛が広がった(本が嫌い
になった)というのが原因でした。

学生時代には、必要に迫られて参考書や辞書を読み、
社会人になってからは、必然的に実用書と業界誌が中心となっていました。
今、私は仕事や自分の生き方に対する今後の考え方(取り組み方)を整理している
のですが、その一環として仕事部屋にある書物や仕事の資料も整理しています。
愕然としました。判ってはいたのですが、私の部屋には文学書や歴史書といえる
類いの本がほとんどありません。仕事関係以外に趣味の本もありません。これは
歪です。これでは広い視野で物事を見ることなどできる訳がありません。

もう一度、自分の人生観や仕事観を見直す必要がありそうです。
今まで正解としてきた判断や自分なりに間違い無いとしてきた要素に関しても、
もう一度、違う側面から測り直してみるつもりです。
常に 「本質」 を求めて生きてきたつもりでしたが、どこかで 「実質」 を正解として
しまっている気がします。今、心の中にあるモヤモヤをそろそろ整理しなければ ・・・





私の実家に常に唯一あったのが 「新聞」 でした。
当然ですが、子供の頃は 「新聞=テレビ欄」 でした。次に 「スポーツ欄」、そして
「三面記事」 という流れでした。「政治・経済・文化欄」 に目を通すようになったのは
社会人になってからです。

4月6日は、「新聞を読む日」 だったようです。(日本新聞協会)
「もし、新聞がなくなったら~混迷時代の座標軸」 というシンポジウムで、
作家の瀬戸内寂聴さんが、「源氏物語千年紀」 と題した講演の中で、
 「言葉は時代とともに変わるし、思想も変わっていく。昔はこうだったと知らせる
 のが活字。今後の日本を背負う世代に呼んでもらえる新聞を作ってほしい。」
と語っておられたようです。

確かに、世の中で起こっている事件や事故、今日の社会動向などに関しては、
新聞でなくても情報は取れる時代です。特に、インターネットの普及により、
テレビやラジオニュース以上のレスポンスでリアルタイムに新鮮な情報が供給
されます。“何があった” という情報の取得だけを注視するならば、もう 「新聞」
に出番はありません。

ここなんです。私がモヤモヤしている部分は ・・・
最近の若いビジネスマンのほとんどは、新聞でなくインターネットで情報を収集して
いるのではないでしょうか。しかし、若者もインターネットを崇拝している訳ではない
はずです。逆に “新聞に価値を感じない” という見解が多いのではないでしょうか。
当たり前ですが、数時間おくれでインターネットと同じ情報が紙面を飾るようでは、
私の世代でも “価値は感じない!” ですよ。「新聞」 も 「実質」 と 「本質」 の違いを
表現するしか “新たな価値” は見出せないのではないでしょうか。今、「新聞」 に
求められているのは、若者が “価値と感じる 「本質」 の創造” かもしれません。

どうやら私は
“「実質」 より 「本質」 に触れる仕事で人生を全うしたい” と考えているようです。


桜。さくら。サクラ。SAKURA。櫻。

2008年04月02日 | こんたく堵


4月に入り、大阪も桜が満開になりつつありますね。





“何故、日本の 「年度初め」 は4月なのか?”
という疑問がテレビのニュースか番組の中であったのですが、どうやら、
日本の主食である 「米」 の収穫時期?などが影響していたらしい ・・・ 。

まあ、そんなことはどうでもいいと思えるほど、この季節に咲き誇る 「桜」 は
美しいと感じます。別れの卒業シーズンから入学や入社の出会いの時期になると、
それを祝うかのように 「桜」 は咲き始めます。年度初めがこの4月で良かった
と感じるのは私だけでしょうか ・・・ ?

確かに花の咲いている期間は短いのですが、その短さが余計に 「美しさ」 を
印象づけてしまう 「桜」。やはり、日本人の心を象徴する花ではないでしょうか。

街を歩いていて初めて出会った人を見て、
“ この人とはもう二度と会うことがないかもしれない ・・・ ”
と思うことがあります。たぶん、その確率は高いでしょうね。ですから、出会いは
貴重であり、“ この人ともう一度逢いたい ・・・ ” と感じたなら、行動を起こして
おくべきではないでしょうか。

若い頃、そういう場面で行動せずに後悔したシーンが幾度かありました。
お互い目が合った瞬間、それを感じ合ったのですが振り返れずそのまま ・・・
これが 「青春」 だったのかもしれません。“青い春” の淡い想い出です。

桜には来年も出会えますが、
街で見かけた 「気になる人」 にもう一度出逢える可能性は低いものです。
さあ、もう一度出逢う約束をしますか ・・・ それとも、淡い想い出にしますか ・・・
桜 ・・・ 。 さくら ・・・ 。 サクラ ・・・ 。 SAKURA ・・・ 。 櫻 ・・・ 。