ラグの「素直に生きれば人生は楽しい」

主に人生の歩き方について「人生お弁当箱診断」など
以前のブログ名:和色ムーブメント

商売にも旬がある?

2019年01月25日 | 二升五合
まかないの概念



れんこんの海老はさみ揚げ
この時期のれんこんは旨い!色んな料理が楽しめるやん~ 今日ははさみ揚げ



鯖のちょいと梅干し煮
鯖缶ブームとやら~ そやけど、やっぱりそのまま煮付けがええねん




れんこんのトマトバジルソース和え
ワインの肴にええねん~ 蓮根がシャキシャキしてる


あるもん(残ってるもん)で作るんが、まかない料理~ あれこれ頂きもんもあって助かってます。ありがとうございます。ご馳走さまでした!


▪️ 二升五合 ▪️

食べもんには旬がある
ある意味、商売にも旬がある

旬を過ぎたもんは色褪せる
そやけど、
商売は色褪せさせたらあかん

創意と工夫でビカビカと ...

第五大成丸

今年の忘年会事情

2009年12月10日 | 二升五合




                      ▼△▼△▼
リーマン・ショック、デフレ、円高、株安 ・・・ 。財布のひもを締め続けてきた庶民が、
1年の憂さを晴らす忘年会。「年末くらいはパーッと楽しみたい」 と、今年は参加する
忘年会の数を絞り込む代わりに、1回分の予算を少し奮発する傾向にあるようだ。
一方で、こうした絞り込みの影響を受け、予約が大幅に減った飲食店も。経営者ら
からは 「このままでは年が越せない」 との声が漏れる。( 読売新聞 12/8 夕刊より )
                      ▲▽▲▽▲


「今年はアゲアゲ?」

世間の情勢(景気)を考えれば、今年の忘年会が例年を上回るような需要(回数)
はないだろう、と事前に予測することはそう難しくなかったはずです。しかし、幹事
(お客)様がピックアップするお店のグレードを上げてリサーチしているというような
感触が、店側にあるかどうかは甚だ疑問ですが ・・・

飲食店検索サイト 「ぐるなび」 でも、1人4,000~6,000円の 「ちょい割高」 予約が
好調だということです。そして、11月に行ったアンケート 「幹事に期待すること」 の
トップ回答は、“少し高くても、美味しいお店を” という要望であったようです。昨年
1、2位であった “飲み放題の店を” “予算内に収めて” を上回ったようです。


「店舗ファンに仕立てる!」

関西ローカルだけの話ではないと思いますが、世の中の二極化が進み、さらに
その二極化からの再分裂が始まるのではないかという気がします。特に、この年末
の忘年会シーズンに無理した層や我慢した層が、果たして元のテリトリーラインの
お店に戻るのか、それとも ・・・

いずれにせよ、店側の対応とすれば、状況に併せてお客様を追いかけ回すような
動きをするのではなく、自店の基本ライン(ウリとターゲット等)を明確に掲げ直し、
その基本の中から自店の魅力を2つか3つ再発見(捻出)して、その魅力を中心に
キッチリ仕掛けて、シッカリ打ち出す。そして、お客様を笑顔で迎えて、楽しませて、
堪能させて、店舗ファンに仕立てる! ・・・ それをお客様も求めているはずですよ。



■ 二升五合 ■

庶民は1年もの節約に疲れ
“忘年会くらいは ・・・ ” と思ふ

待ってました!! と、ばかりに
駅前の立飲み屋にはイスが置かれ

あのオヤジがやってる赤ちょうちんも
高級店に模様替えしたとか ・・・ ???

景気以上に “心が不景気” ですなぁー


第五大成丸



ブランド食材と料理人の関係

2009年12月03日 | 二升五合




「ブランド化の流れ」

ここ数年、
飲食業界において 「ブランド地域」 や 「ブランド食材」 の氾濫が気になります。
ブームということもあるのでしょうが、「○○牛」 「○○豚」 「○○鶏」 ・・・ 野菜や
魚介、フルーツ、調味料などを含めると “全国うまいもの市” 状態になっている
お店も存在します。ブランド食材を扱うことが悪いとは言いません。ただ、本当に
ブランド化しなければならないのは、お店の存在自体なのではないでしょうか ・・・

“折角、腕の立つ料理人がいるのに ・・・” と思うお店もあります。しかし、ほとんど
の飲食店が、利潤追求やコスト削減で、若く経験の少ないスタッフ中心に運営して
います。そうした環境下で顧客獲得の切り札とも言うべき、「ブランド食材」 の打ち
出しがあることも事実です。そこまではないとしても、結果的にそのブランドに頼った
商品提供になっていることは否めません。もちろん、客側も求めているのかもしれ
ませんが ・・・ 。だからではないですが、料理人のレベル低下がやはり心配です。

若い料理人は、「ブランド食材」 を “切るだけ” “焼くだけ” で売れてしまえば、
“基本を押さえて” “手間暇掛けて” といった仕事が無意味に思えてしまうのでは
ないでしょうか。実際、そういう向きになっている料理人も多く見られます。有名な
ホテルや街場で人気のレストランでも、メニュー内にブランド名が氾濫しています。
「A5ランク ○○牛のステーキ」 というネーミングです。もちろん、こう表記すれば
売れてしまう現実があります。ここまでくると、経営者側からすれば、確かにプロの
料理人が不必要に思えてくるのかもしれません。

本来、食材の目利きも含め、腕の立つ料理人が厨房にいるから、そのレストランや
料理の評価があったはずです。いや、そうあるべきだと私は考えています。頑なに
その域を守っている料理人も存在します。しかし、今の時代、ビジネス目線が先行
している若い料理人が多いと感じます。否定はしません。ただ、そういう料理人は
早めに厨房から出ることをおすすめします。もっと、“日本の食文化を担っている”
という自負を持ってほしいものです。特に、注目されているお店の料理人ほど ・・・ 。





「料理人のプライドと飲食店のあるべき姿」

ブランド食材を作り育てている農家や畜産関係者には、それ相当の努力や工夫が
あるはずです。天然のブランド食材を獲っている漁師さんや猟師さんにおいては、
危険や苦労が必ず付いてきます。さてそれでは、その 「ブランド食材」 を仕入れた
飲食店では、どのような努力や工夫をして苦労しているのでしょうか? 甚だ、疑問
です。その食材が生れた背景(歴史)はおろか、特色や特徴すらほとんど知らずに、
“認知度の高い(世間にウケそうな)ブランドを箱で仕入れ、高く売れそうな所(人)
に転売” というアンダーグランドな流通業者のような仕事になっているお店が増え
つつあるかもしれません。

それこそ、これが本当に問題なのです。ブランド名に頼っているだけのお店や
上辺の料理人が氾濫して、料理屋としてのあるべき姿を忘れかけているのです。
結果として、本来の料理人としてのプライドまで捨てかけているのかもしれません。
再チェックする時期にきていると感じます。特に、地産地消という流れ(考え)が
加速すれば、いくら都会で手広く商売をしている飲食店といえど、今ほど簡単に
商品は流通しなくなります。時代は確実にECOへ向かっています。それなのに、
飲食業界はその世の中の流れを一番わかっていない(わかろうとしない)業界
かもしれません。率先しなければならないはずなのに ・・・ 困ったものです。

皆さんが通っているお店、そう感じることありませんか ・・・ ?
( 客側も、お店をちゃんと評価すべき時代になってきたということかもしれませんね )



■ 二升五合 ■

景気が 良ければ
ブランドを 持て囃し
景気が 悪くなれば
見向きもしない お客
ポリシー 無いんですか?

景気が 良ければ
高くても山ほど 仕入れ
景気が 悪くなれば
値切りにかかる お店
プライド 無いんですか?

採ってる人 や 狩ってる人
作ってる人  や 育ててる人
そんな人たちの こと
ちょっとは 考えましょうや!

これじゃ 世の中
人も お金も 回りませんよ ・・・ !


第五大成丸


パフォーマンスとデモンストレーション

2009年10月02日 | 二升五合




「パフォーマンスとデモンストレーション」

昨今、
すべての業界で 「パフォーマンス」 全盛の時代といえるかもしれません。
“○○にはパフォーマンス性がある” とか “高いパフォーマンスの○○” という
表現で、従来の演技や性能といった意味合いに限らず使用されています。
購買側(たとえば消費者)からすれば、パフォーマンスの高さが商品やサービス
購入の判断材料になっていることは事実で、そういう時代であることも、また
事実ではないでしょうか。

昔から、
スーパーマーケットの食品売場や街頭で行われている実演販売も、今で云う
パフォーマンスの一つですが、昔は 「デモンストレーション」 という言葉が盛んに
使われていました。もちろん、“デモ行進” や “デモテープ” など “デモ○○” や
“○○デモ” いう簡略形で、今では各分野で当たり前に使用されています。

写真は、
有馬炭酸煎餅の実演販売(デモンストレーション?)になるのでしょうか ・・・ ?
昔から職人さんが仕事場で行ってきた作業の一端です。たまたま、仕事場である
部屋の明り取りや風通しのための窓がガラス張りで、外を通る人からその作業が
見えたことの延長だったはずです。それが今は、そのスペースを意識して店内を
レイアウトして、実演販売を実施している店舗が増えたということだと思います。
意識して実演販売をすることで、そこにパフォーマンスが生まれることは事実です。

言い換えれば、
単純な作業であっても、そこに熟練の技やストーリー性を加えることで、単なる
実演販売よりもパフォーマンス性が上昇します。最近、スーパーの試食コーナー
においても、おばちゃんが家庭用のホットプレートでウインナーを転がしていた
レベルから、コックコートを着込んだシェフ風の人が業務用の鉄板を持ち込んで、
本格的に調理実演を行うスタイルで変化を持たせています。マグロの解体ショー
しかりです。要は、その視覚的なパフォーマンスが購買意欲を高めるのです。

さて今後、
そういった工夫や努力は必要でしょうか?・・・ もちろん、必要だと感じます。
ただし、なんでもかんでも見せればいいというものではありませんし、内容の
伴わないパフォーマンスは、元々の商品やサービスの価値さえも下げてしまう
可能性もあります。特に、パフォーマンスだけを気にして、知識や技術の習得を
おろそかにするようなことがあれば、それこそ、すぐに客離れが起こります。
基礎や基本、裏打ちされる技術や技量がある上でのパフォーマンスでなければ
なりません。

飲食業において、
日本には独特の商売やスタイルがあります。たとえば、「立ちの寿司屋」 です。
( 「立ちの寿司屋」 とは立ち食いや回転ではなく、普通のお寿司屋さんのこと )
カウンター越しにお客様の様子を見ながら、ネタを用意して熟練の技で握って
くれる ・・・ お客様との会話の中からネタの順番と間合い、握るタイミングまで
計算しながら場を作っていきます。味はもちろんのこと、その流れがスムーズで
その技や時間を顧客が満足すれば、パフォーマンスの高いお店だという評価が
なされます。感動を覚えれば、よりパフォーマンスが高いと評価されるでしょう。

寿司屋に始まり、
大衆割烹や小料理屋(小さな料亭含む)、やきとり屋や居酒屋全般、うどん屋、
そば屋、ラーメン、カレーショップ ・・・ 日本の食事処には、カウンター席を設ける
店舗が多く、必然的に対面販売の形となり、料理人が接客にも関わります。逆に、
お客様は料理人の仕事(料理技術)や仕草を間近に見たり触れたりできるわけ
です。普通なら、あり得ないような業種(各国料理店など)においても、日本では
店舗スペースの問題もあり、厨房と客席の間をカウンター席としている店舗が多い
はずです。

“狭いから仕方なくカウンター席を作った”
という言い訳でなく、お客様と直接コミュニケーションのとれるそういう席では、
積極的にアピールできるとプラス発想すべきです。現に、ちゃんとした料理人
を擁したレストランやアッパーな居酒屋では、厨房の調理が見渡せるカウンター
席は必須になっています。ライブ感やシズル感の演出という一面もありますが、
経営や運営サイドからすれば、スタッフに緊張感を持たせる意図やサービス業
のスタッフとしての意識改革という側面もあるはずです。

いずれにせよ、
“自分の仕事が見られている” という部分から始まり、“誰に見られても大丈夫”
“お客様に見てほしい” “どうぞ私の技を見に来てください!”と変化する毎に、
その店舗のパフォーマンス性は高まるはずです。今の時代、“美味しい!” は、
もう最低条件であり、“楽しい!” “嬉しい!” “なるほど!” “まさか ・・・?” まで
用意してゲストをお迎えできるお店でなければ、人気を博せない現状があります。
まず、お客様と向き合う(お客様から逃げない)環境を現場(店舗)に作ることが
経営者の最大の役割かもしれませんね ・・・ 。

“コストパフォーマンスが高い”
という言葉も当たり前のように使われるようになりました。ただし、価格や対価
といったリアリティーな数値を前提とした評価は、パフォーマンスという抽象的な
表現以上に、人によって捉え方や評価の基準が違います。よって、その評価に
惑わされず、自身で判断するという癖づけをしなければならない時代になった
ということは紛れもない事実であり、結構、難しい時代になってきた気がします。

すべては、“お客様(購買・消費者)の為に” ・・・ その言葉の先には必ず、
スタッフ(販売・供給者)のプライドを持ったポリシーが無ければ成立しません。
単に売る為の甘い言葉やデモンストレーションは意味がありません。ましてや、
上辺のパフォーマンスだけでお客様を騙すような商売はいずれ滅びることは
容易に予想できます。何故なら、即座に “UNNECESSARY!” と言える時代に
なってきたはずですから ・・・ 。



■ 二升五合 ■

売る為に何が必要か
どうすればモノが売れるか

そういうビジネス発想や思考で
モノが売れる時代は終息する

必要なモノが、本当に良いモノが
普通に売れる時代がやってくる

元や昔に戻っているのではなく
ただ、普通になっていくだけのこと

こんな時代だからこそ、
素直に見詰め直す必要が ・・・


第五大成丸


流れる水は腐らず

2009年10月01日 | 二升五合




「川の流れ」

有馬街道、
十字を切るように流れている川がある。六甲川と滝川の流れがねね橋の袂で
合流した有馬川である。太閤橋からその有馬川を見下ろすと、右に左に点在する
大きな温泉宿たちの “気” が、この川に流れ込んでいるような錯覚を覚える。


「商売の流れ」

良ければ良いで、川幅以上の売上増加を目論む人々は存在するもの。
悪ければ悪いで、水も流さず客数回復を愚考する人々も存在するもの。
設備投資、商品開発、販売促進、人材育成、顧客管理、等々の目線で ・・・

清水や急流を期待するあまり、源流や川下のことなど一切考えず、自身の前を
流れる川がいかに良く見えるか、その為には ・・・ という利己的な施策を繰り返す。
結果、逆に川の流れは悪くなり淀んでしまう。“基本に返る” が大事であることは
皆が承知しているだろう。ただ、それがそう簡単ではないことも事実で ・・・

“流れる水は腐らず” という諺がある。
商売とは、けっして水を止めてはならない。ただし、周囲の状況も判断しながら、
自身の川幅に相応する水を流し続けることが大事なのではないだろうか ・・・ 。



■ 二升五合 ■

川の流れを
無理に変えれば

流れが悪くなり
淀んでしまうことがある

また、時として

思わぬ氾濫さえ
起きてしまうことがある

自然の反応とは
そういうものだろう

必ず、
自分に返ってくる


第五大成丸


拈華微笑(ねんげみしょう)

2009年07月30日 | 二升五合




「拈華微笑(ねんげみしょう)」

昔、お釈迦様が霊鷲山(りょうじゅせん)で説法を行っていた時、大梵天王から
受けた金波羅華(こんぱらげ)という金色の蓮の花を黙ってひねって見せたところ、
弟子の摩訶迦葉(まかかしょう)だけがその意を解して微笑していたので、彼だけに
悟りの奥義を授けたという故事からの四字熟語だそうです。
( ※ 「拈華」 とは、蓮の花をひねること )



「料理長の本意」

(昔、昔の)ある日、料理長が厨房へ入ってきて、一本の包丁を手にしました。
少し刃先を眺めたあと、包丁立ての定位置に戻して、すぐに厨房を出ていきました。
次の日、また同じ包丁を手にします。そして、昨日と同じように刃先を眺めてから
元に戻して厨房を出ていきます。その次の日も、料理長は同じ行動をしたのです。

私は気になって仕方ありません。3日目の営業終了後、厨房へ戻って料理長の
あの包丁を手にしてみます。もちろん、料理長の包丁を勝手に触ることはタブー
です。しかし、私は気になって仕方なかったのです。刃がこぼれている(欠けている)
のではないかと予想した私でしたが ・・・ 包丁は至って普通の状態で綺麗でした。

料理長に直接聞けるような立場ではありません。ましてや、たくさんいる先輩には
“いらんこと考えんと仕事しろ!” と言われるのがオチです。しかし気になります。
4日目の朝、意を決した私は、直接、料理長にこの3日間のことを尋ねてみました。
料理長の答えは ・・・ “包丁を眺めてたのは、別に何の意味もないねん。お前は
包丁が気になったか?それとも、俺の行動が気になったか?それから、お前以外
に周りで気にしてた奴は何人おった?”

予想もしなかった答えというか、料理長からの逆質問でした。しかし当時、私には
この料理長の本意は理解できていませんでした。少し理解できるようになったのは、
後輩ができて責任感が芽生え始めた頃だったと思います。全てを理解できたのは、
店舗責任者になってから数年が経過していた頃だったでしょうか。

お客様に美味しい料理を提供する前に、素晴らしい接客でお客様と関わる前に、
まず、自身の周囲の人間にどれほど興味を持って日々の行動に注意を払っている
か?そして、その環境下で自身が本当に果たさなければならない役割や関わりを
十分にに理解し、実行できていたのか ・・・ そこを通らずして、お客様を癒し、感動
を与えるような人間(店舗)になど成れるはずがない。という理解です。


「本気が人を惹きつけ、また人を呼ぶ」

本部スタッフとなった私は、
担当店舗を訪れても、売上等の数値状況をあまり見ることはありませんでした。
そのお店のスタッフの顔つきと動き、そして、整理整頓と清掃状態がすべてです。
私は、仕込中の店舗を訪れ、店舗責任者(店長)が事務作業しているテーブルの
前の椅子に腰かけて、よく、天井を眺めていました。

“球切れてるで!” と私が言うと、“すみません!すぐ取り替えます!” と慌てて
電球を探しに走る店長。上司から指摘されると嫌でも俊敏な行動はするものです。
さて、周囲のスタッフは ・・・ 店長が走っても知らぬ顔(俺は厨房で料理担当!)?
です。この一連の動きで、責任者(店長)としての力量とスタッフの店舗貢献度は
大よそ計れます。( この店舗には電球を替える係を作るべきか ・・・ ??? )

店舗責任者がこの作業をしていては ・・・ という危機感がどれだけあるかです。
電球を替える作業は簡単で時間も掛かりませんので誰がやってもいいはずです。
責任者は 「自分にしかできない仕事」 をすべきであり、その為のサポートをすべき
人が機能しなければチーム全体の力(店舗力)は低下します。結果、お客様の
満足度が高まることはありません。感動や癒しなんて、とても とても ・・・

私が天井を眺めていたのは、もちろん、球切れの電球を探す為ではありません。
何人のスタッフが事態に気づき、透かさずアクションを起こせたかが問題であり、
また、何人の店長がそれを教訓に店舗力をアップできたかが重要なのです。
( お客様が居ない店舗シチュエーションでの本気度が店舗力UPを左右する )

人の上に立つ(上の立場になる)と、目配せ一つで真意を理解して動いてくれる
部下が欲しくなるものです。しかし、よっぽど上司が立派で徳のある人間であるか、
部下の頭が良くて上司を立ててくれるような人材でない限り、それは無理難題なの
かもしれません。非常にレベルの高い感覚だと言えます。そう考えれば、やはり
お釈迦様のようなお方は、そうそう現れるものではないと逆に納得します。

“摩訶迦葉(まかかしょう)のような人材が欲しい!”
と、企業の経営者や店舗の責任者は真剣に思うのでしょうね ・・・ 。



■ 二升五合 ■

スタッフが 賢かろうが
スタッフが 馬鹿だろうが
お客にはそう関係ない

店長に 徳が有ろうが
店長に 徳が無かろうが
お客にはそう関係ない

だたし、
一切合財ひっくるめて
そのお店の評価である

ある意味、
やりきれない業界でもある


第五大成丸


自画自賛も手前味噌もほどほどに ・・・

2009年07月28日 | 二升五合




「自画自賛はほどほどに」

『 Every cook commends his own sause. 』
 ⇒ どの料理人も自分の作ったソースを自慢する
という英語のことわざです。

日本にも 『手前味噌』 ということわざがあります。
 ⇒ 自分の作った味噌を “これはうまい!” と自分でほめる
  ( 自分のやったことを得意気に自慢すること )

自信が自慢に変わり ・・・ 自慢が過信に ・・・ 過信が勘違いに ・・・
そして大きな失敗が ・・・ これは戒めにもつながる言葉かもしれません。


「もっと本当のプロに出逢いたい」

素人さんが家で作ったソースや味噌なら、“これは美味しい!” と自慢して
楽しめば良いと思います。ただし、プロともなれば、それだけでは困ります。
プロとして自信は持つべきです。( 自分に自信が無ければプロじゃない! )
自慢もほどほどなら許されます。( 自惚れても誰も共感はしませんが・・・)
しかし、過信は身を滅ぼします。( 勘違いがお客を遠ざけ自滅を呼び込みます )

よく “一流の道具を持ってても腕(技術)が伴わなければ意味がない” といった
内容の戒めをプロの方は口にします。確かに一理あります。しかし裏を返せば、
“腕(技術)のある自分は一流の道具が使える(似合う)” と言いたいわけです。
そこに驕りがあり、過信となって勘違いが起こる ・・・
( 腕を組んでいる人の言うことなど信用するな! )

私は今まで飲食業を中心に、たくさんのプロ(職人)の方と出会いましたが、
「本当のプロ」 と思えた方は数えるほどです。料理の経験や知識が豊富で、
お客様に美味しい・素晴らしいと言ってもらえる味付けや盛り付けができる ・・・
そんなプロの職人なら街場のレストランでもそこそこ出逢うものです。
( すぐに有名になって、すぐに消えたプロの職人が何人いたことか ・・・ )

しかし、「本当のプロ」 とは何か? と考えるに、やはり、お客様はもちろんのこと、
周囲の人間(スタッフや業者、あるいはご近所さん)に、その(人生の中の)時間、
その(偶然あるいは必然として訪れた)場所で出逢ったことを感動として与えたり、
その後の人生に影響を及ぼしたりする存在ではないでしょうか。
( これは感覚の問題ですので、一概には言えませんが ・・・ )

“腕(技術)が上がってから良い(高い?)道具を” と、考えている若い職人たちに、
“本当のプロを目指すなら、今すぐ本当に良い道具を使え!” と私は進言しておき
ます。もちろん、良い道具を使えばすぐに腕が上がるというわけではありませんし、
頭の堅い(悪い?)先輩からは白い(やっかみの)目で見られるかもしれません。
しかし、敢えて ・・・ ( 周囲の目などまったく気にするな! )

冷静に考えれば判ることですが、良い道具は良い道具を作れる腕のある職人が
作っています。その 「本当のプロ」 の仕事(道具)を手にする(実際に使う)ことで
得るものは大きいはずです。そう信じて早目に自ら手にする(借金してでも買う!)
ことで、自身も良い仕事をする(いい加減な仕事はしない)心構えになるものです。
( しょぼい先輩は早いこと追い越せ! )

たくさんの 「プロ」 と出逢いたい!
もっと、たくさんの 「本当のプロ」 と出逢いたい!



■ 二升五合 ■

人を育てることの難しさと
人が育っていく素晴らしさ

物事の対極にあるようで
アンニュイな感覚に襲われる

昔とは正反対のことを
整然と発する自身にも驚く

しかし、

まず自身がプロでなければ
人に教える仕事などできやしない

そう信じて ・・・


第五大成丸


20センチの心遣い

2009年07月22日 | 二升五合




「滑稽なお店が増加してますよね」

一概には言えませんが、
流行りのレストランやカフェに行くと、シュッとした体型のカッコいいお兄さんや
お目々パッチリな綺麗なお嬢さんが対応してくれます。まるでモデルクラブの
ようなお店もあります。( 面接してそういうスタッフ集めてるんでしょうかねェ ・・・ )
悪いとは思いませんが、その顔や(カッコいいユニフォームも含めた)スタイルも
接客がレベルをクリアしていなければ、いかにも滑稽(異様)に見えるものです。
最近、そんなお店にちょくちょく遭遇します。( 皆さんはありませんか? )


「とあるお店の風景」

ある日、お店(カフェ)に入ると、
“いらっしゃいませ!” と声はするのですが、誰も迎えてくれません。少し待つと
一人の若くて可愛い女性スタッフが近づいてきて “いらっしゃいませ!” と再び
声を掛けてきます( そのあと、少し沈黙が ・・・ ??? )。業界柄、気を利かせて
こちらから “2人!” と申し出ます。すると、その彼女は愛想良く “どうぞ!” と
空いている席の方向に手を伸ばします。ただ、その方向には5席以上も空席が
あります。また、少し沈黙のあと、再びこちらから “どこでもいいんですか?” と
声を掛けます(正確には “掛けなければなりませんでした” です)。


「教育の弊害?」

席に着くと、
これまた可愛い別のスタッフがお水とおしぼりとメニューを持ってやってきます。
笑顔でこちらを見て “いらっしゃいませ!” と発し、軽く頭を下げます。何も悪く
ないのですが、なぜか、私には伝わるものが何もないのです。その彼女、笑顔で
お客である私の顔はちゃんと見ているのです。しかし、本当は見ていないのです。
“いらっしゃいませ!” とは言っているのですが、“よく来てくださいました” とは
思ってないのです。( 間違いなく、これはフードビジネス教育の弊害だと感じます )


「主役になった女性たち」

雰囲気が良く、
珈琲やスイーツも美味しい。もうそれだけで ・・・ と思うお客様も多いことでしょう。
しかしその上に、流行りのユニフォームを身に纏った若くて可愛い女性スタッフが
気合の入った化粧をして、教えられた通りの間違いのない接客、その受け答えで
誇らしく攻めてくる ・・・ “お客様の目的は何だと思いますか?” とその彼女たちに
聞いてみたい衝動に駆られます。( 題名:主役になってしまった女性スタッフたち )


「最近のカフェは・・・」

最近のカフェメニューは複雑です。
普通のアイスコーヒー(ブレンド)以外は、上に何かしらのっかっていますよね。
( 生クリーム、チョコ・アイスクリームなど、味は無視?して彩り優先トッピング??? )
先ほどとはまた違う、これまた可愛い女性スタッフがアイスカフェモカと抹茶パフェ?
を持ってきてくれます。ストロー以外にクリームスプーンやロングスプーン、フォーク
などが付いてきます。このお店では、(クソ)丁寧にフォークをバスケットに入れて
持ってきます。そのバスケットの説明がありません。残念!しかも、手の届かない
テーブルの端っこに ・・・


「20センチの心遣い」

徐に、4人目の女性登場です。
お世辞にも先の3人のように可愛くはない女性スタッフです。しかし、彼女は
“フォークお使いくださいね!” と耳元で声を掛け、バスケットを取りやすい位置へ
スーッと20センチほど移動させ、私たちの席に笑顔を残して違う席へ向かいます。
実に、ホッとした瞬間。やっと、カフェでお茶してる気分になった昼下りでした ・・・ 。

ご馳走さま!



■ 二升五合 ■

夕方、
店の前で 水を
撒いてた

おっちゃんが
恐い顔して 水を撒いてた

おばちゃんが
髪振り乱して 水を撒いてた

お客さんは よう見てるで
お店の人を よう見てるで

時間は 営業前でも
“営業” は始まってまっせ! 

ほんまの商売人は
“24時間営業中” やで!


第五大成丸


ハッスル中!

2009年07月16日 | 二升五合




「ハッスル中」

至ってベタです。 ( 狙ってはいない?そのド真中のアプローチが好きです! )

どこか、懐かしい。 なぜか、心強い。 ( お客は正直ですよね! )

そろそろ、ハッスルしなければ ・・・



■ 二升五合 ■

良いと思うこと
正しいと思うこと

けっして諦めず
シッカリ推し進める

これが基本でしょう
それこそが本質でしょう

そして、全ての物事の
突破口にもなるはず ・・・


第五大成丸


「街に存在する価値」 という概念

2009年07月10日 | 二升五合




「本町チェック」

数ヶ月ぶりに
大阪本町へ向かいます。街並みに大きな変化はありませんが、以前、たぶん
改装工事中でシートに覆われていたビルが、装い新たにお披露目されていたり、
1ブロックに1~2店舗ほど、飲食店の看板が付け変わっていたり(代替わり?)、
といったプチ変化は案外あるものです( あちこち店舗チェックができました )。
所用も終わり、お気に入りのパン屋さんに寄って帰ることに ・・・


「媚薬の販売?」

このパン屋さんには、
パンの匂い(香ばしさ)以外に、人を惹きつける匂い(パンから媚薬?)がある
ような気がします。しかも、それは流行りの匂いや “パンを焼いてます!” という
過剰にアピールするようなものではなく、ずっと昔からある懐かしいお店というか、
仕事を終えた堅物のパン職人が仕事場で趣味の野菜ケーキを焼いているような
“通常外” の楽しげな匂いです(もちろん、お店のパンは今風の匂いです!)。
その心地良い匂いに誘われるままに、客たちは店に吸い込まれていきます。
店内はそう広くないですが、引っ切り無しに往来する客でスタッフは忙しそうです。


「セレクトショップのような ・・・」

もちろんこのお店、
同じパンを10個も20個も整然とトレイに並べて売っているお店ではありません。
どちらかと言えば、アパレルや雑貨店の個人オーナー自らが海外へ買い付け
に行って、買ってきたお気に入りの商品を感性で陳列している、いわゆる、
街の 「セレクトショップ」 のような商品の扱い方です。1アイテムにつき2~3個を
テーブルに直置きしています。スタッフはその売れている状態をみて、バック
ヤードから追加商品や差し替え商品を持ってきて、新たに陳列を作り直します。
こういったスタイルのお店が増えていると感じます。ただし、うまく活かせている
お店はまだまだ少ないとも感じます。





「何にこだわった?」

“こだわりのお店”
と紹介され、一瞬、世間の注目を浴びるお店があります。先日も、一年くらい
前に買った雑誌の特集で紹介されていた “こだわりの飲食店” をチェックする
ために10軒ほど回ったのですが、うち1店舗が、ここ最近閉店。もう1店舗は
既に違う屋号に変わっていました。昔から飲食という業界は “知らん間に ・・・”
ということは当たり前に起こるので驚きもしませんが、それにしても早やっ!
まあ何とあっけないことか ・・・ あのお店は何にこだわっていたのか?
( こんなことが何度もあると、メディア発信の信頼度も下がるでしょうね )


「個のライフスタイル」

アート作品の展示であれば、
テーマに相応しいロケーションに在るギャラリーで、時期やスペースをセレクト
してディスプレーすればよいのですが、事、商品(特に日用品や頻繁に使用する
買回品)となれば、雰囲気だけでは続かないものです。いくらそれが趣味の域
であっても、家族が居る生活の中に入れるとなれば、個の感覚だけでは肯定
しきれない要素も生まれます。よって、ライフスタイルとは、個だけでは成り立ち
にくいものなのです。ファミリーならもちろんですが、シングルライフであっても
最低限、「街」 との関わりは無視できないものだと言えるような気がします。


「街に存在する価値」

“この街が好きでこの街で暮らす”
という場合、その街の自然環境や歴史も一つの要因です。ただ、それで全てが
網羅できるかと言えば、そんなことは有り得ません。特に、都会の場合、自然や
歴史より、その街の環境特性(利便性やファッション性など)が大きく影響してくる
ケースが往々にしてあります。その範疇において、物販のショップや飲食の店舗も
少なからず影響を与えることは事実です。ですから、いくらしがない小さな飲食店
であっても、街に暮らす(街を訪れる)街人たちは、その店が “街に存在する価値”
が有るか無いかを知らぬ間に量っているものなのです。裏を返せば、店側がまず
“この街でこの価値を与える(役割を果たす)” という自負を持って行動しなければ
受け入れられないということだと言えるのではないでしょうか ・・・ 。



■ 二升五合 ■

「街に存在する価値」
という概念

難しい表現やけど
“何で、この店なん?”
“何で、この街なん?”
にすればわかりよい

今、革めて思ふ
店舗のコンセプトが
ブランドの核になるし
街の血液にもなるんやと ・・・


第五大成丸


街の活性化と新たなSMの潮流

2009年07月09日 | 二升五合




「北摂の街」

あの万博(EXPO'70)から、
もうすぐ40年を迎えようとしていますが、北摂(特に千里ニュータウン)の街では、
当時の子ども世代が親から独立して核家族化が進行しきった末に、高齢の親世代
だけが残された大きな一軒家、古びた公団(団地)には一人住まいの老人が増え、
街全体が高齢化して退廃の一途を辿っています。そんな街ですが、良い意味でも
悪い意味でも、全国のニュータウンのモデルにもなってきたことは事実であり、今後
の再開発や再構築にも注目が集まることは間違いありません。その活性化の一つ
になるかもしれませんが、ハブステーションである千里中央駅に直結するタワービル
(上部マンション)が完成しました。


「高層タワーマンション」

この高層ビル、
建つ前(景気が上昇していた頃)から、工事中に高層階の外壁が ・・・ とか、
橋下大阪府知事が最上階の部屋を ・・・ といったニュースが流れ、話題には
事欠かない物件です。再開発(再活性化)といった観点、あるいは、消費行動が
盛んな世代や地位の高い人を街に誘致するという意味でも目玉となります。
都市型高層マンション(タワーマンション)は、ハイクラスな生活へのランドマーク
であり、また、リタイアしたシルバー世代にとっては利便性が高く、人生最後の
住処に値すると捉えている方も多いのではないでしょうか。


「長蛇の列」

千里中央に完成した
このタワーマンションビル(50階建て)の1階で、電鉄系のスーパーマーケットが、
グランドオープン(7日)しました。私が行ったのは夕方4時頃だったのですが、
何と、入場制限が行なわれていました(約15分ほど並びました)。このSMは北摂
で数店舗を展開していますが、少しハイクラスなライフスタイルを意識させるような
雰囲気と品揃えがウリになっていると思います。特に、今回オープンしたこの店舗
は、より一層、他のSMと差別化を図ろうとしている様子が伺えます。


「NBより差別化PB、PBよりこだわりブランド」

一般的な他店
との比較で顕著なのは、NB商品の種類・量が極端に少ないということです。
反面、「青果・果物」 「鮮魚・乾物」 「精肉・加工品」 「デリ総菜」 「ベーカリー」
といったブースをはっきりコーナー分けして離している(独立させている)様子は、
デパ地下の専門食料品売場といった風合いです。そして、スーパー独自のPB
商品ではなく、産地直送品や地方の個人商店などをも含む、こだわりブランドの
PB商品を集めて売場を作っています。


「新たなSM(スーパーマーケット)の潮流」

それから、
「和牛」 という表現で済まさず、「○○県産和牛 ○○牧場 雌牛限定」 と明記、
野菜や果物の量り売り、常駐のアドバイザーを配したワインコーナー、お客様の
目の前(オープンキッチン)の鉄板で焼き上げるデリカ商品(惣菜)、また、ピザや
パンが隣のコーナーで調理されています。「キッチンスタジオ」 と銘打ったコーナー
では、「お料理教室」 「食育セミナー」 「献立のご提案」 ・・・ といった情報が溢れ
ています。これら全てが新たなSMの潮流なのかもしれません。



■ 二升五合 ■

現在は、
商品であれ 情報であれ
自身に必要のないものは
興味など持てない時代

逆に、
必要を感じ 興味のある
商品や情報の収集には
労力を惜しまない時代

そこに、
新たなビジネスが生まれ
同業者が蟻のように群がり
命がけで顧客を奪い合う

そして、
必ず時代に淘汰される
残るのは少しの武勇伝と
多くのやるせない記憶

それでも、
皆、前に進むだけ ・・・


第五大成丸


良いお店は一目瞭然

2009年06月11日 | 二升五合




「インド料理はインド人が作る !?」

先日、
とあるインド料理屋さんでランチを食べました。
30席ほどのこじんまりしたお店なのですが、厨房には3人のインド人らしきスタッフ
が働いています。窯でナンを焼く若いスタッフ、ソースを温めている中堅のスタッフ、
そして、デシャップにベテランスタッフが ・・・ 皆、いい顔をして仕事をしています。

ふと、
“この3人のインド人らしきスタッフ、実はパキスタン人かネパール人で、元貿易
関係の商社マンとかで、料理も日本に来て初めてでアルバイトやったりして ・・・”
といった空想に耽ってしまったのです。( 香辛料のせいでしょうか ・・・ )

また、
“思うに、インド人が作る不味いインド料理よりも、パキスタン人が作る美味しい
インド料理の方が価値があるはずやん!” とナンを食べながら、変に納得して
独り頷いていたかもしれません。( こりゃ、そこそこ 「危ないオッサン」 ですよね )

もちろん、
このスタッフがどこの国の人だろうが、料理人になって間が無かろうが、そんなこと
大した問題ではありません。お客様に提供している料理やサービスが、このお店が
発している “大義名分が立つ” レベル以上であれば、何ら問題はないはずです。
ましてや、「インド料理」 とはありますが、「インド人が作る料理」 とはありません。

※ このお店の味はハイレベルでした。スタッフは皆、インド人です ・・・ たぶん。


「良いお店は一目瞭然」

ゆえに、
何ら問題はないのです。最終的には、お客様が支持するかどうかなのです。
今の飲食店は、お客様が何を求めているかを感じる(察知する)力の差が、そのまま
店の差ともなり、売上等にも大きく反映されます。至極、自由競争の世界なのです。
全てが平等な土俵での勝負ではないかもしれませんが、少なくとも、商品アイデアや
サービス発想などは、個人のお店でも 小さなお店でも みな同じスタートラインです。

良いお店は、
至るところにアイデアが溢れています。そして、素晴らしい発想をするスタッフが
存在するものです。だから、“良いお店” は一目瞭然なのです。



■ 二升五合 ■

良いお店の見分け方は
創意工夫があるかどうか
その創意工夫に取り組む
スタッフがいるかどうかだ

アイデアの無いお店や
発想の無いスタッフには
良いお客様は集わない
良いスタッフも集わない

良いお客様を集めるには
良いお店と良いスタッフを
創ることから始めるべきだ

良いスタッフを集めるには
良いお店と良いお客様が
必要だということになる

「たまご」 が 先か ・・・
「にわとり」 が 先か ・・・
それは大した問題ではない

なぜなら、
どちらも “先” で
“待ったなし!” なのだから。

第五大成丸


定番を覆す 「定番」

2009年05月08日 | 二升五合




「1面トップ記事」

これは GW 真っ只中の 5月5日、某大手新聞社の朝刊1面トップ記事です。
全国紙の1面トップと言えば、政治・外交の時事問題や凶悪事件・組織犯罪などを
扱うことが多く、経済面の消費動向であっても、政治や外交に絡むものであったり、
株価や公定歩合に即座に影響を与える類が “定番” だとすれば、この記事は少し
稀な(ほのぼのとした?)内容(GWバージョン?)だったかもしれません。

連日、新型インフルエンザ(豚インフルエンザ)や高速道路(ETC使用)の1,000円
乗り放題等のニュースはあったものの、前日、大きな事件や事故がなかったことで、
経済面から1面トップに押し上げられたものかもしれません。ただ、確かに現状の
経済状態を鑑みれば、取り上げられても不思議ではない内容なのですが、それでも
テレビの情報番組で紹介されるようなネタがトップ登場したことに、大手新聞社をも
含め、世間全体が不況に対する焦りや生き残りをかけて凌ぎ合う前触れのような
気がするのは私の考え過ぎでしょうか ・・・ 。


「定番の味、不況知らず!?」

★ 消費者の食品・飲料の好みとメーカーの商品戦略に、目新しさよりも安心感を
求める 「定番回帰」 の動きが目立ってきた。昨年秋から鮮明になった景気低迷の
中で、ロングセラーの食品が何十年もかけて培った味や品質、こなれた価格などが
消費者の心を捉えているようだ。メーカー側には、商品開発の費用やリスクをできる
だけ抑えながら売上を確保したいという思いがあり、ヒット商品を追い求めるばかり
ではなく、定番ブランド品の販売促進や一部改良に力を注いでいる。
 総務省の3月の家計調査では、1世帯(2人以上)あたりの 「食品」 の消費支出
額が前年同月比で4ヶ月続けて減少した。それでも 「定番商品」 の売上の落ち込み
は比較的小さい。無駄な出費を嫌う消費者にとって、割安感に加え、味や品質で
「はずれ」 が少ないという安心感があるからだ。メーカーにとっても、定番商品には
新商品ほど開発費や宣伝費がかからず、確実に売れるという安心感がある。
 この2月、キャラメルのおまけを4年ぶりに一新した江崎グリコは、「不況でも、
馴れ親しんだ商品は消費者に受け入れられている。業界全体で爆発的なヒット商品
が生まれておらず、当面は定番品のテコ入れに力を入れる」 という。
 一方、定番回帰の背景には、高度成長期をテーマにした映画がヒットするなど
「昭和レトロ」 ブームもあるようだ。流通科学大の後藤こず恵講師は 「30代を中心に、
子供の頃に買えなかった商品をまとめ買いする 『大人買い』 や、懐かしい商品を
子供に与える動きも増えている。昭和期の包装デザインが新鮮に見える若者も多い」
と指摘する。★

冒頭、“「定番の味」 不況知らず ~ 消費者・メーカー安心志向 ~” という
ヘッド・リードに続き、上記★解説があったのですが、本当にそうなのでしょうか?
もちろん、現状の分析と手立てはそうなのでしょうが、果たしてその括りで全てを
収めてしまって良いものなのでしょうか ・・・ ?

各メーカーの 「定番商品」 とは、十数年、あるいは数十年前に商品が開発され、
ブレイクの度合いは違えど、ある時点で必ず、時代ニーズや個人嗜好にマッチし
支持された商品であったことは間違いありません。そして、その支持の強さや
範囲の広さを持つ商品(一部メーカーブランドそのもの)こそが 「定番商品」 と
なって存在し続けているはずです。

私はメーカー(供給)側と消費者(需要)側との 「定番回帰」 に対する捉え方に
どうしても温度差を感じます。確かに、ロングセラー商品の味や品質に消費者が
安心感を感じているという分析は一理あるのでしょうが、それだけではないような
気がします。というか、それ以外の部分に大きな落とし穴があるような気がします。

特に、年配者の志向(嗜好)を考えれば、安心感やこなれたものというより、
“目新しいものについていけない” というのが本音であり、現在の早い消費潮流が
消費意欲そのものを奪っているとも言えるのではないでしょうか。であれば、その
世代やその定番商品がブレイクした時代にメインの消費者であった人々を無視する
ような 「定番回帰」 のアピール(若者向けの広告等)をし過ぎれば、「定番商品」
そのものの位置が一気に壊れてしまうという危険も孕んでいるかもしれません。

記事内で紹介されている 「カルピス」 「ボンカレー」 「パインアメ」 などの
商品(メーカー)は堅実であると思いますので、大きく外すことはないと思いますが、
懐かしさや昭和レトロへの回帰範疇を崩すほどに 「定番回帰」 が進むと、それこそ
商品にあったはずのカリスマ性や憧れに近い魅力が無くなってしまいます。新商品
の開発販売が進まないから 「定番回帰」 という安直さこそがヒット商品を生み出せ
ない原因ではないでしょうか。もっと言えば、“直ぐに売れる 「商品開発」” にしか
視点がない現代日本の企業目線に大きな問題があるのではないかとも感じます。

昭和期からある 「定番商品」 が、この平成にまで生き残り、何故、未だに売れて
いるのかという答えを本当に消費者側から見詰め直すことが重要だと感じます。
メーカーや識者が捉えている “なぜ売れているのか(買うのか)” “どうすれば
売れるのか(買うのか)” という目線は、本当の消費者目線ではなく、「消費者が
買うことを前提」 とした、あくまでも供給側目線でしかありません。やはり、ズレて
いるのではないかと感じずにはいられません。今、大手企業こそ、御一考を!


■ 二升五合 ■

「定番商品」 とは
流行りの商品ではなく
流行に左右されない
商品のことだろう

そして、今の時代
定番は商品だけでなく
企業も店舗も 「定番回帰」
しているかもしれない

となれば、
半世紀後を目指して
“今、じっくりな企業” が
新たな時代の要請かも ・・・

第五大成丸


この企画、社長さんに響くのでしょうか?

2009年04月18日 | 二升五合




「“社長さん ドンペリがタダですよ” という企画?」

新聞の経済面に載っていた記事です。
“景気の後退で ・・・ ” というレベルを遥かに超えてしまった結果なのでしょうか?
これがいわゆる 「企画・販促活動」 だとすれば、この格式高い某有名ホテルは、
地方の温泉旅館などがやっている 「定額給付金パック」 と何が違うのでしょうか?
私には、長年かけて築き上げてきた自らの存在意義や価値を自ら一気に下げよう
としているようにしか見えないのですが ・・・

この内容で集まる社長さんとは、
 ① 景気の良い会社の社長
 ② 景気の良くない会社の社長
さて、どちらなのでしょうか?

景気(会社の業績)が良ければ、会社の大小はあれど、「社長」 と名の付く方が
このサービスを目指して遠くから来店するとは思えません。多少あったとしても、
このホテル(レストラン)が目指ししている、“先に繋がるような顧客” になり得るか
どうかは微妙ではないでしょうか。ましてや、いくら 「ドンペリ」 がサービスになると
いっても、景気の悪い(状況の良くない)会社の社長さんが、社員には “我慢しろ”
と言いながら、自分だけホイホイやって来るとは、どうも思えないのですが ・・・


「存在が目標になっている!」

昔、私が見習い(飲食業界)の頃、毎日のように、チーフが 「メシ(食事)」 に連れて
行ってくれたのですが、時々、「(仕事レベルも勘定も非常に)高いお店」 に勉強を
兼ねて連れて行ってくれました。そういう店でご馳走になった時、若かった私は
“いつかは自分も ・・・ ” と、その先輩やそのお店の存在意義と価値に、追いつき、
追い越したいと真剣に思ったものです。ある意味、目標となったということです。
(ちなみに、そのチーフは意味のないサービスをする同業者をよく説教してました)


「その存在、己だけのものではないはず!」

存在意義や価値というものは、その場の一時的な損得勘定だけで軽く動かしては
ならないものです。特に、多くの人のステータスとなっているような 「存在」 なら尚更
です。絶対に取り違えてはいけない部分があるはずです。“背に腹はかえられない”
というのであれば、まず、今までの看板を下ろすか、新たなものに取り替えるべだと
私は思います。それくらいの覚悟でなければ、その看板に集まってきたお客様に
非常に失礼です。知名度があり、業界でそれなりの位置の組織だという自負が
あるならば、一層、しっかりプライドと責任を持ってやって頂きたいものです!



■ 二升五合 ■

今の時代
“長い目で見ろ” とは言えない

しかし
“その日だけ、自分だけ” は虚しい

目指すは強い組織
瞬発力と忍耐力が必要だろう

組織は 「人」 で動き、「人」 で強くなる
そこに集まったスタッフも客も 「人」 である

企画販促の前にやるべきことが ・・・

第五大成丸


飲食店の “まかない” 料理

2009年04月11日 | 二升五合




「後輩のお店で」

先週、後輩のお店に顔を出した時、
“もう昼飯食べられました?良かったら一緒に ・・・!” と声が掛かりました。
すでに昼食は済ませていたのですが、「試作を兼ねた賄い料理」 ということで、
ちょこっと味見?させてもらうことに ・・・

ベースは和食&寿司の職人ですが、数年、創作料理店でも腕を揮っていた経験が
ある後輩(店主)が作る料理(メニュー)は、基本をしっかり押さえた和テイスト料理と
洋や韓の要素を取り入れた創作オリジナル料理です。料理というものは、料理人の
感覚や考え方がそのまま出てしまうものです。このお店ではイヤ味の無いシッカリ
した表情と味わいのある料理が提供されています。やはり、料理人(店主)の性格
がハッキリ出ているとつくづく感じます。

常連客も増え、地域に根付きつつあるお店ですが、一見客も含めた新たな顧客
獲得と飽きのこないメニュー提案という意味から、新たな商品(料理)は必要です。
流行を安易に追いかけた商品やお客様のニーズから懸け離れて的を得ていない
料理の乱発は、マイナスになりますので注意しなければなりませんが、現在、良い
状態のお店であっても、まったく動きを見せなければ、結局、ジリジリと後退して
しまうのが飲食店です。常に顧客の半歩先を進んでいなければなりません。


「お店と顧客の関係」

さて、話を戻しますが、後輩のお店で頂いた 「まかない」 での試食は旨かったです。
味だけなら、すぐにメニューに加えてもいけると思います。ただ、新商品の意図が
明確にあるのであれば、肉の下処理の時間等の本質的な改良も含めてでしょうが、
まだまだ詰めなければならない要点があるのだと思います。個人的には味の追求
よりも、五感に訴えるようなインパクトと料理人としての遊び心も少々発揮してほしい
と感じます。

飲食店を訪れた時、料理の味だけ旨ければ満足するというものではないはずです。
顧客が求めているもの、得たいと思っているものの中には、そのお店や料理人の
考え方や姿勢もあるはずです。料理に対して、顧客に対して、何をどうしようとして
いるのか ・・・ そして、その姿勢を来店した顧客が得たいと思うかどうかなのです。
そういう接点で、「客と店(店主や料理人)」 の関係が生まれることもあるのだと理解
すべきです。そしてそれは、まず、人と人の関わりが基本となっていることは事実で、
その関わり方が一方通行になったり、料理やお酒の興味のみで繋がっていれば、
いずれは、間違いなく人気が下降し、来客が減少し売上も低迷してしまいます。

飲食店は “生きた人間を相手にしている商売である” ということを常に頭に置いて
創意工夫しなければなりません。料理など商品に対する工夫は常に必要ですが、
これからの飲食店は、“対人間関係” という視点での工夫が明暗を分けることに
なるのではないでしょうか ・・・ マニュアルの利かない “ガチ勝負!” ですね。


「まかないの意味と役割」

本題ですが、飲食店でスタッフが摂る食事を 「まかない料理」 と言います。
元々の意味は、“有る物(残り物や安い食材)で賄う料理” という意味だと思います。
飲食店では、単に “まかない” と呼び、大きなお店では、若い見習いや中習いの
スタッフが担当し、料理を作る練習を兼ねていることが多いはずです。また一方、
個人店では、オーナーシェフなど仕事ができる人や仕事の早い人が作っている
ケースが多いかもしれません。それは時間も含めた人件費や使用食材などに
無駄なコストを掛けず “賄っている” ということだと思います。

“できれば、若いスタッフにも作らせてやりたい” と思いつつ、お店の収支も気に
しなければならないのが個人店の店主です。私の個人的な考えとしては、それらの
気持ちも含め、スタッフを巻き込んで店舗運営に当たることも必要だと考えます。
延いてはそれが、自店を大きくし、スタッフを強くすることに繋がると思います。
大きなお店の場合、使用食材の原価基準やルールがありますが、その辺りの管理
を行なうのであれば、なぜ(何の為)、自店で 「まかない」 を提供しているのかと
いう意味まで踏む込んでスタッフにも明らかにしておくべきです。(本質の共有)

実は、「まかない」 を作っていない(提供しない)飲食店もあります。コスト削減という
観点の場合と、元々、FCなどのパッケージ店舗で、提供しているほとんどの料理が
一人前ずつ真空パックされた冷食を使用していて、切るだけ、温めるだけで提供して
いるので、「まかない」 に使える食材が無い、料理を作れるスタッフが居ないなどの
場合です。ウソのようですが、そういった飲食店もそこそこ存在するのですョ ・・・ 。

「まかない」 には、スタッフのお腹を満たす(単に食事)という目的以外に、新たな
料理の試作や現状メニューの味チェック、若いスタッフにとっては “見る” “作る”
勉強であったりと、意外とたくさんの意義があるものです。時々、料理長が自ら腕を
揮うことで、特に若いスタッフには大きな刺激となり、アルバイトスタッフの中には
感動さえする者もいます。「まかない」 によって、お店の雰囲気や色合いが自然と
伝わり、一緒に働いているスタッフの心の中に、店舗に対する思い入れや愛情が
芽生えることもあります。

自身が働いているお店(料理人)の味も知らず、“おすすめは○○です!”
なんて平気で言うアルバイトさんがいたとしたら ・・・ 業界人として寂しい限りです。
グランドメニューにある料理であろうが、「まかない」 であろうが、食事として提供
されたなら、その料理をよく見て、その料理を作ってくれたスタッフの姿もよく見て、
まずは敬意 ・・・ “いただきます!” そして、感謝 ・・・ “ごちそうさまでした!”
しっかりと、自分の舌と頭にインプットしておきます。その体験した味わいこそが、
唯一、お客様に本気で伝わる “おすすめ” なのですから ・・・ 。



■ 二升五合 ■

「まかない」 の無い店は寂しいものだ
仕出し弁当で済ます店はもっと寂しい
本気で良い店、良いスタッフにしたいなら
店で賄う食事こそ大事にすべきである
そう思えるスタッフを育てるべきである

第五大成丸