○テリアカ
古代ローマ帝国で創製されたといわれる万能解毒剤のことをいう。紀元前1世紀に国会の南にあるポントス王国の国王ミトリダテス作ったとされる解毒剤ミトリダトをローマ皇帝ネロの侍医であるダモクラテスが改良し、これに、やはりネロの侍医であるアンドロマコスが毒蛇の肉を加えて完成させたと伝えられている。
テリアカはアラビア人によって盛んに用いられ、ヨーロッパでも有名で、19世紀の終わりごろまで西洋諸国の薬局方にも収載されていた。テリアカは中国にも伝えられ、唐代に著された本草書「新修本草」(659年)の中に底野迦と記されている。この新修本草を通じて奈良時代に日本にも紹介され、医心方にも底野迦は収載されていた。ただし、実際のテリアカは16世紀の戦国時代にポルトガル人によって伝えられたと推定されている。
テリアカの中味は毒蛇の肉以外ははっきりせず、60種以上の薬草や土、動物の糞などが混ぜられているといわれ、後世のテリアカには阿片が主薬として配合されていたと推定されている。テリアカの有効性は不明だが、毒蛇や動物による咬傷に用いられた。
このほうヨーロッパで知られていた解毒剤として牛黄(東洋解毒石)馬糞石(西洋解毒石)があり、中世には一角(ウニコルン)なども解毒剤として用いられた。
古代ローマ帝国で創製されたといわれる万能解毒剤のことをいう。紀元前1世紀に国会の南にあるポントス王国の国王ミトリダテス作ったとされる解毒剤ミトリダトをローマ皇帝ネロの侍医であるダモクラテスが改良し、これに、やはりネロの侍医であるアンドロマコスが毒蛇の肉を加えて完成させたと伝えられている。
テリアカはアラビア人によって盛んに用いられ、ヨーロッパでも有名で、19世紀の終わりごろまで西洋諸国の薬局方にも収載されていた。テリアカは中国にも伝えられ、唐代に著された本草書「新修本草」(659年)の中に底野迦と記されている。この新修本草を通じて奈良時代に日本にも紹介され、医心方にも底野迦は収載されていた。ただし、実際のテリアカは16世紀の戦国時代にポルトガル人によって伝えられたと推定されている。
テリアカの中味は毒蛇の肉以外ははっきりせず、60種以上の薬草や土、動物の糞などが混ぜられているといわれ、後世のテリアカには阿片が主薬として配合されていたと推定されている。テリアカの有効性は不明だが、毒蛇や動物による咬傷に用いられた。
このほうヨーロッパで知られていた解毒剤として牛黄(東洋解毒石)馬糞石(西洋解毒石)があり、中世には一角(ウニコルン)なども解毒剤として用いられた。
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