インナーチャイルドを癒す時間・・エリクソンヒーリング
土曜日と日曜日の二日間でした
まあ・・・・ビックリ
さみしさと悲しさと怖さをどんだけーって我慢していた私がいましたね
0歳から4歳まではロッキード事件のように
「記憶にございません」だったのですが
写真と共に瞑想したり・・・思い出したことがありましたねえ・・・・・・・
私瞑想でおいしいにおいがしたのは始めてでした
瞑想は和歌山のまりちゃんと何度かしてなかなかイケているので安心していたら
イケているからこそなのか
めちゃおいしいにおいがしてきたんです
自分は食べたことが無いのでひょっとしたら食べたいなあと想っていたかもしれませんねえ
なんせ0~2歳の時ですから
うどんだしか・・・おでんかなあ・・・・・
5歳から7歳は空飛ぶ絨毯に乗っている気分
見えるものもそんな感じ
0歳から4才は記憶にございませんでいたが
実はあったようです
父の手を握ってずっと引っ付いていたような感じ
母は仕事でいない
いつもいない
母のぬくもりは感じられない
そんなことをまじまじと感じたのも初めてだ
産まれてきてよかったのかという問いもしたことがなかったが
はじめてそのといをしている自分がいた
疑問が生まれたのだ
ほんとうによかったのだろうか
それは母のぬくもりが感じられず
母は喜んだのだろうか?
いつも父と一緒だったので・・・・
後で感じたのは
母も父も喜んだ
けれど母は仕事が忙しく言葉や態度で伝えることが下手だったと・・・・・
きっと
きっと
そうであってほしい
けれど母がいないということでさみしい気持ちは募るばかりだったと・・・・
今思い出したが10日恵比寿は母と言ったような感じがする
商売繁盛だもんね
京極幼稚園と京極小学校に行っていた6年間は友達にも恵まれ
楽しい時間だった
嬉しい時間だった
けれど母がいないさみしさは続いていた
お母さんとなんでもいいし一緒にしたかったんだなあ・・・・・
中学生の13歳から17歳は
自分でもビックリ
号泣
屈折した一番しんどい時期だったが
怖いさみしい辛いがいっぺんにやってきていて
すごくとってもめちゃ怖い!と泣き叫びそうだった
自分ではこんな怖がるとは思っていなかった
心臓肥大で子供は産めないだろうといわれた時だった
死と直面していた時代だ
そう思えば怖くて当たり前なのだが・・・・・
0歳から4歳の基準で考えていたのだろうか・・・・・
さみしさや怖さを強度にこらえていたんだなあと感じる
怖がってもいい泣いてもいい
咳をしていてもいい
これには驚いた
咳をしていてもいいとエリクソンを受けた私以外の6名が受容してくれたのだ
そこで気づきひとつ
小児ぜんそくだった私は周りを気にして
咳をとめようとしていたんだろうなあと感じた
・・・続きはまた明日・・・
土曜日と日曜日の二日間でした
まあ・・・・ビックリ
さみしさと悲しさと怖さをどんだけーって我慢していた私がいましたね
0歳から4歳まではロッキード事件のように
「記憶にございません」だったのですが
写真と共に瞑想したり・・・思い出したことがありましたねえ・・・・・・・
私瞑想でおいしいにおいがしたのは始めてでした
瞑想は和歌山のまりちゃんと何度かしてなかなかイケているので安心していたら
イケているからこそなのか
めちゃおいしいにおいがしてきたんです
自分は食べたことが無いのでひょっとしたら食べたいなあと想っていたかもしれませんねえ
なんせ0~2歳の時ですから
うどんだしか・・・おでんかなあ・・・・・
5歳から7歳は空飛ぶ絨毯に乗っている気分
見えるものもそんな感じ
0歳から4才は記憶にございませんでいたが
実はあったようです
父の手を握ってずっと引っ付いていたような感じ
母は仕事でいない
いつもいない
母のぬくもりは感じられない
そんなことをまじまじと感じたのも初めてだ
産まれてきてよかったのかという問いもしたことがなかったが
はじめてそのといをしている自分がいた
疑問が生まれたのだ
ほんとうによかったのだろうか
それは母のぬくもりが感じられず
母は喜んだのだろうか?
いつも父と一緒だったので・・・・
後で感じたのは
母も父も喜んだ
けれど母は仕事が忙しく言葉や態度で伝えることが下手だったと・・・・・
きっと
きっと
そうであってほしい
けれど母がいないということでさみしい気持ちは募るばかりだったと・・・・
今思い出したが10日恵比寿は母と言ったような感じがする
商売繁盛だもんね
京極幼稚園と京極小学校に行っていた6年間は友達にも恵まれ
楽しい時間だった
嬉しい時間だった
けれど母がいないさみしさは続いていた
お母さんとなんでもいいし一緒にしたかったんだなあ・・・・・
中学生の13歳から17歳は
自分でもビックリ
号泣
屈折した一番しんどい時期だったが
怖いさみしい辛いがいっぺんにやってきていて
すごくとってもめちゃ怖い!と泣き叫びそうだった
自分ではこんな怖がるとは思っていなかった
心臓肥大で子供は産めないだろうといわれた時だった
死と直面していた時代だ
そう思えば怖くて当たり前なのだが・・・・・
0歳から4歳の基準で考えていたのだろうか・・・・・
さみしさや怖さを強度にこらえていたんだなあと感じる
怖がってもいい泣いてもいい
咳をしていてもいい
これには驚いた
咳をしていてもいいとエリクソンを受けた私以外の6名が受容してくれたのだ
そこで気づきひとつ
小児ぜんそくだった私は周りを気にして
咳をとめようとしていたんだろうなあと感じた
・・・続きはまた明日・・・