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taesanの周りに起こること・感じること

5・9・・ちゃうちゃう!号泣!!やし・・・エリクソンヒーリング

2011-12-11 23:57:10 | 日記
インナーチャイルドを癒す時間・・エリクソンヒーリング

土曜日と日曜日の二日間でした

まあ・・・・ビックリ

さみしさと悲しさと怖さをどんだけーって我慢していた私がいましたね

0歳から4歳まではロッキード事件のように

「記憶にございません」だったのですが

写真と共に瞑想したり・・・思い出したことがありましたねえ・・・・・・・

私瞑想でおいしいにおいがしたのは始めてでした

瞑想は和歌山のまりちゃんと何度かしてなかなかイケているので安心していたら

イケているからこそなのか

めちゃおいしいにおいがしてきたんです

自分は食べたことが無いのでひょっとしたら食べたいなあと想っていたかもしれませんねえ

なんせ0~2歳の時ですから

うどんだしか・・・おでんかなあ・・・・・

5歳から7歳は空飛ぶ絨毯に乗っている気分

見えるものもそんな感じ

0歳から4才は記憶にございませんでいたが

実はあったようです

父の手を握ってずっと引っ付いていたような感じ

母は仕事でいない

いつもいない

母のぬくもりは感じられない

そんなことをまじまじと感じたのも初めてだ

産まれてきてよかったのかという問いもしたことがなかったが

はじめてそのといをしている自分がいた

疑問が生まれたのだ

ほんとうによかったのだろうか

それは母のぬくもりが感じられず

母は喜んだのだろうか?

いつも父と一緒だったので・・・・

後で感じたのは

母も父も喜んだ

けれど母は仕事が忙しく言葉や態度で伝えることが下手だったと・・・・・

きっと

きっと

そうであってほしい

けれど母がいないということでさみしい気持ちは募るばかりだったと・・・・

今思い出したが10日恵比寿は母と言ったような感じがする

商売繁盛だもんね

京極幼稚園と京極小学校に行っていた6年間は友達にも恵まれ

楽しい時間だった

嬉しい時間だった

けれど母がいないさみしさは続いていた

お母さんとなんでもいいし一緒にしたかったんだなあ・・・・・

中学生の13歳から17歳は

自分でもビックリ

号泣

屈折した一番しんどい時期だったが

怖いさみしい辛いがいっぺんにやってきていて

すごくとってもめちゃ怖い!と泣き叫びそうだった

自分ではこんな怖がるとは思っていなかった

心臓肥大で子供は産めないだろうといわれた時だった

死と直面していた時代だ

そう思えば怖くて当たり前なのだが・・・・・

0歳から4歳の基準で考えていたのだろうか・・・・・

さみしさや怖さを強度にこらえていたんだなあと感じる

怖がってもいい泣いてもいい

咳をしていてもいい

これには驚いた

咳をしていてもいいとエリクソンを受けた私以外の6名が受容してくれたのだ

そこで気づきひとつ

小児ぜんそくだった私は周りを気にして

咳をとめようとしていたんだろうなあと感じた

・・・続きはまた明日・・・


12月10日(土)のつぶやき

2011-12-11 03:33:57 | 日記
00:56 from web
フィスブックに書いたのはこちらに連動するのかなあ?呟いたりブログは連動しているんだけどな。
01:21 from gooBlog production
夜の約束がキャンセルになっても大丈夫な訳は、自分の選択で予定を午前と午後を入れ替えたから http://t.co/R2yE7brz
23:03 from Keitai Web
エリクソンヒーリングワークを受けた。抑えている怒りが出てくる。それは申し込みしたら始まっていたのだが~怒りの出し方だそうだ。
23:03 from Keitai Web
RT @the_secret_bot: 「目に見える全ての富の元となっているスピリチュアルなものは、なくなることはありません。いつもあなたと共にあって、いつでもあなたの信頼と要望に応じます」 チャールズ・フィルモア(1854-1948)
by taesan2010 on Twitter

エリクソンヒーリングの一日目

2011-12-11 01:43:26 | 日記
子育てを始めたころ

母親ってどうするものかわからなくて育児ノイローゼになりかかったことがある

4人の子供を「世の中のリーダーに育てる」そんな考えを持って育児をしてきた

母親とはどういうものか

解らずに

育ての母にしてもらいたかったことをしたように感じていたが

実はそれは違ったのかもしれないと

今日始めて感じた

0歳から2歳までさらに4歳までのことを瞑想を通して思い出す

そんなことが出来るのかと半信半疑だったが

不思議なことに

物音やにおいを感じたのだ

はっきりと

匂いは何ともおいしそうな匂いでおなかがすくにおい

食べたい!と感じた

でもそれを食べた記憶はないようだ

今思えば屋台のウドンの出汁やおでんを家でつくっていたのかなあ・・・・と

物音は忙しくバタバタと働く様子の音で賑やかだった

家の中は薄暗いけれど風通しが良く気持ち良い感じだった

瞑想中手をつないでもらっていたのだが

男性の手は懐かしい暖かな手だった

その手につながれていると安心できたし温かかった

いつもこの手がそばにあった

いつもこの手に守られていた

女性の手に変わったとたん記憶にない違和感を感じる

こんな感じは感じたことがない

確り握ってくれているが。。。。不安だ

そして耳もとでささやいてくれる

・・・・・・・・・・・・・・

生まれてきたことを悦び

あるがままを受け入れ

どんなことがあっても一人にしない

私の欲求を満たすために私の時間のすべてをあげましょう

貴女と一緒に過ごす時間が好きです

云々・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

その言葉は同じ言葉をささやいてくれるのだが

男性がささやくと

「うんそうやった。ほんとうに父はそうだった」と感じたのだ

ところが女性がささやくと

「嘘ばっかり!お母ちゃんはちっともそばにはいいひんかった。

私はいっつも一人で我慢してまってて・・でも帰ってきいひんかった

私はお母ちゃんにそばにいてほしかったんや・・・

でもいうたらあかん。おとうちゃんがしんぼうし。わがままいうたらあかんっていったはった。」


そんな内部会話が出てきた

母親に対するうそつきだという怒り

居なかったさみしさ

全て嘘だという叫びだ

そして初めて「生まれてきてよかったんだろうか?存在していて良いのだろうか?」と感じた

自分自身に対するその疑問が疑惑がいつまでも無意識で潜在的に残っていたのだろう

何かするときに不安に駆られる

結果的にはそれを振り払ってやるのだが

その時の声は父親の勇気つけだが

私は母親に包み込んでほしかったのだと感じた

気持ちは山盛り愛してくれていたんだろうが

言葉がけやスキンシップは皆無だったのかもしれない

だから私に母親の存在はなくて

自分が母になっても体が覚えていなかったのだろう

人は自分がされたことはわかるしできる範疇に有るという

父がしてくれた愛し方や行動はわかる

赤ちゃんの言葉がけも父が教えてくれた

おむつを替えるときも

そうだ・・母親が娘に伝えるように父がやってみせてくれたなあ・・・・・

あれは父が私をそう育てていたからできたことだったんだなあ・・・・

母が育てられないから引き離したのではなくて

父が私を離したくないくらいかわいがってくれたんだと今感じている

素いえば父の胡坐の中でいつまでも座っていた

一年生の時はまだ座っていた

育てのははに記憶はやはりないのだ

幼稚園のお誕生会の写真にも母は写っていない

私だけ後ろに母がいない

他の皆はお母さんが後ろにいる

さみしかったんだなあ

来てほしいと言ったような感じがする

来なかったときに仕方ないとあきらめたのかもしれない

怒りたい約束を破ってどうして来てくれなかったとわめき散らしたかったのかもしれない・・・していないと思う

小児喘息だったが高校生の時にきつい喘息が出るまで知らなかった

その後は結婚してから出ている

そして最近は怒りをおしこめると出るんだなあと感じている

母親に対する怒り

さみしいというこちらかむこうか・・・・

してほしいといえない

自分で何とかしようとする

愛情もお金も

してほしいとは言えない

最近は一人だけ言えるようになった人がいる

改善したのだろうか・・・

まあ明日のおたのしみだなあ・・・・








満天の星と皆既月食

2011-12-11 00:46:16 | 日記
皆既月食の呟きを見て

「そうか・・皆既月食か」と知る

タクシーの運転手さんも「今夜はみんな上向いて歩いてますわ」と皆既月食の話だった

家にたどり着き今日のことを思い出したり・・・

パソコンを開くとやはり皆既月食のニュース

自分の目で観ようと物干しベランダへ

空気がぴんと張り満天の星空にかじられたような月があった

子供のころも大人になっても月食や皆既月食は父と観た

縦かれ雨前の縁側から空を見てもうそろそろだなあ

ちょっと様子をみてみよか・・と交代で月の様子を見ながら初めから終わりまで観ては座り酒を飲んだり話したり

そんな父の傍で何かを感じていた

大きくなってからは一緒に飲んだり・・・

そうやって父と過ごしてきた

懐かしい皆既月食の思い出だ