taesan

taesanの周りに起こること・感じること

気分転換、 あいさつで 心はピッカピカ~

2016-11-15 18:13:01 | 心理学
色々あって

朝から気分が滅入ること多々ありました・・・・

経済的なことや息子とのやり取り

一昨日の事件も少し珍しく解決の方向ではなく・・・・

約束の時間は11時

息子とのやり取りは想定内と思うが

期待も大きく・・・はずれ・・・・

それでいいのか?!と自問自答しながら

17日必着の封筒は郵便局で間違いなく、到着日を確かめ出すことが出来たのは優先順位1をこなすで 〇!

バス停で外人観光客の案内かバスの道順を考え込む通訳案内人

と思っても最近は中国の方やコリアンの方も多く

思わず

日本語解りますか?日本人ですよね?と聞いてみると

にっこり「そうです」という事で

どこに行きたいのか尋ねると「大徳寺」という返事

「それならこのバス停じゃなくて交差点を右に曲がったところから204ですよ」という事で問題は解決!

嬉しそうな外人さんのペアと通訳さん

とっても嬉しそうな笑顔

その笑顔に癒されて  have a nice day!  は英語で伝えた

そしたらまたまた満面の笑み

ふさいでた気分はどこへやら

とっても自分もうれしくなった

感情って伝染するというが 笑顔の伝染はいいもんだなと感じた


夕方も買い物袋を提げ坂道をえっちらおっちら重いなあと思っているところへ

自転車でスーパーへ向かうご近所さん

思わず「久しぶり~!」と手を振ると

「げんきやった~?!」とまたまた満面の笑み

重い荷物の事はどこへやら

笑顔ってすごい威力だ!

私の悩みというか問題は消えたわけではないが

一日気持ちよく過ごせた


ふさいでいるからこちらから何かお手伝いすることありますか?(may I help you?)

とか、ひさしぶりーとか  おはよーとか

こんばんわーとか

声をかけることが笑顔になれる事なんだね

笑顔を観るとこちらもにこやかになる

悩みがある時こそ  自分からの挨拶だと 体で感じた日だったなあ。。。

秋の夜長  夕食の後は 本読みが待っている~(1冊読み切ると決めて読むのだ―!!レポート一つ出すぞー!!

おかん、おばあちゃん、大学生・・・

それでも私は  わ・た・し 


オープンダイアローグとは何か?を読んで

2016-11-06 17:34:35 | 心理学
橘大学の通信でこの情報を手に入れた

統合失調症に対する治療というか対応についてだ

詳しくはネットで検索してもらえる事を願う

大学の通信の授業の中には グループワークというスクーリングがある

その中でワークがいろいろあり 先生も多種多様

ナラティブ(物語)セラピー というもの

聴いたことない言葉が次々に出てくる




その中でオープンダイアローグのワークショップを開催される先生がおられ申し込んだ

予習でできるならという事で『オープンダイアローグとは何か?』斎藤 環 著・訳 を読むことになった

YouTubeでの動画も観ることを薦められた

『開かれた対話』

これは知る機会になって、たくさんの人が見ればいいなと感じた


動画は観終わって本が半分というところまできた


とても共感というかそうだそうだと思いながら 考え方に関心を持って読み進めている

来る12日のワークショップが楽しみである

というのは・・・・

自分が心理学と触れ合うようになって 思いあたることが多々ある

脚本信条というものの形成される土台は 家庭

その家庭の親たちはその家庭を作る土台を自分の幼少時代に基礎を築きく

そしてその親も同じく・・・同じく

そういう意味で昔は言葉に語弊があるかもしれないが

あの家はそんな血筋だから・・・と精神疾患がある人をみてそんな表現が当たり前のようになされてきた時代がある(と私は感じてきている)


私は縁あって栄養学を学んだときに 脳に栄養が足りないと鬱になったり精神疾患になると聞いたことがあった

その証拠はのちに アミノ酸の効用を知った時に

神経の鞘を作る真綿のようなものをアミノ酸の一種が創っている

それが不足するといわゆる「神経を刺す」という言葉で表現されるのだが

刺しているのだはなく「栄養不足でその鞘を作るアミノ酸が足りず、刺されたと何事にも感じるような構造しか作れない」という事のように感じて来た

なぜか、私が子育てで苦しんで当時第三内科というところで受診した時に

「おいしいものを食べてゆっくりしなさい」というだけで何も投薬はなかった

先生がたんぱく質の中にアミノ酸があって神経を護るさやがあるのでしっかりたんぱく質を摂るようにと言ってよーと思ったことも確かだ

そのことと栄養学で学んだことがぴったり来ていた

それとは別に

人は対話している人と

対話にならない人があるという事を最近とみに感じていた

自分の観念、正しさでものを周りを見ていると対話にはなりえないと思うのだ・・・

そしてカウンセリングやトレーニングしている本人だけが取り組むより

その人の生きている環境丸ごとというか

家族カウンセリングの必要を

自分の周り・・・ご近所・孫周辺・息子周辺・嫁周辺・友人周辺 を観ていて感じてきている

そして統合失調症と認定されている友人の息子さんと関わっていても

その家族の関わり方にも何かしら感じる事があった

勿論 ウツで亡くなった 私たちの家族にとっても大切な人の家族も

観察すると もっと早くに家族との対話が必要だったと思っていた

薬漬けになる前に もっと聴ければ・・・

そんな思いは常に頭から離れなかった

フィンランドで行われてきた事だが 精神疾患だけではなく

一般の人でも対話が十分に行われていれば悩みが続き

眠れない日々が続き 自殺までするという事にはならないのではないかとつくづく思うのである



そういえば最近めんどくさい人となかなか対話にならないので 私が嫌になってしまうのかもしれないとか

離婚した理由の中に  「会話が成立しない」という事があった

対話するという事をするためには対話するあり方が必要だと思う

今の自分の知識の中では

ロジャーズが言う「基本的人間観で接する」

その中に含まれるであろうが

「言語化されにくい経験を言語化する」

「語られた来なかったことを語らしめる」

言語にならない気持ちを汲み取り言語化する

などなど

けれどこれは赤ちゃんに接するときに使われている事でもあるようにおもう

そのことが少ないから赤ちゃんはどういう状況かが理解できないしその後も表せないのではないかと感じて来た

そして心の時代と言いつつ 共感性に乏しい時代の中で孤立していく

老人、育児中の母親、働くお父さん・・・いろいろなところで

気持ちの理解が乏しくなってきている

そんな環境でこの「開かれた対話」は精神疾患の人たちだけでなく

幅広く役に立つ物ではないかと期待に胸が膨らむ

いままで考えてきたことや感じてきたことが

語られていて何だか共感してもらえたという嬉しさがこみあげている

自分が使えるようになるには研鑽、経験が必要だろう

道のりは長いかもしれない

けれど一緒に学ぶ若者たちが居れば未来はきっと明るくなると予感する

余裕のよっちゃんで卒業してもよかったが

何を思ったか卒業研究を受講すると決め

卒論を描くと決めた

そこから ワークショップのお誘いのチャンスが次々とめぐってきている

勿論それはFeel at homeを市民団体に打ち立てまちつくり支援金を獲得し活動する中で

このチャンスがつかめたのだと確信している

何もしなければ失敗しない 頭も打たない 緊張もストレスも少ないだろう

血糖値が上がるほどのストレスの中やり続けることの大事さも感じつつ

睡眠・食事の見直しから

末永く学びつつ 新しいものを吸収して貢献できるならこんなうれしい事はないと今の環境に感謝している

アドラーが好きな理由は きっと 夜な夜な学生と対話していたと感じていたからだと思う

まあそんなこんな感じながら

ブログも書きつつ、テレビも見つつ

最後まで読み切った

終盤にはヴィゴツキーの生まれた来た赤ちゃんが言葉を習得していく発達の事にも触れられていた

大学で講義の中にあったことは何となくそうだったなあ・・と読み進んだ

知らない言葉はググりながらであったが

ずっと疑問に思っていたことに明るい兆しがあるのだなと嬉しくなった


つらつらと とめどもなく 感じた事を連ねたが  もしここまで読んでくださっていたら

ありがとう~