taesan

taesanの周りに起こること・感じること

「はしれーーー!」孫の運動会!6年生の団体競技は・・仲間を感じて一体で・・・

2012-09-24 13:20:04 | 心理学
土曜日は孫の小学校の運動会

お母さんが風邪でダウン

おばあちゃんが行くからねと前日に約束

運動場の子供たちから探し出すのは人一倍の孫の特徴を探す探す!

同じ体育の服装に帽子までかぶって・・・とほほ

電話して緑と黄組か聴いて半分の児童から探す

いた!!

居ました

早速近くによってアピール

「来てるよ!!」

「うん!」

「100メーターがんばりや!スタートばっちり中も走り切りラストはスパートやで」

「うん!」

「あの場所で見てるしな!」

こっくりと首を縦に振る

さあ・・3年生が走りだした

その組も4人程の仲間と走る

スタートから一直線に来てカーブするところで

「走れ――最後までがんばってえ!」と大声で叫ぶ私

隣に座っているおばあちゃんも

「そうやね。威勢よく応援せんななあ」と大声。

孫が来ました!

一番大声で名前を呼ぶと

解ってるで!走るよ!と目を輝かせ走り去った

勿論スタートは一番・・途中も力ずよく  ラストまで ゴールまでしっかり走りきった

1番でゴール!!

走り終わった後水稲にかぶりつき飲んでいるところへ行って

「みてたよ!よー頑張ったね。力強かったなあ!お母さんにもメールしといたよ!」

やりきった感の孫に残りの演技や種目も気を入れてねと。

棒引きなので気を引き締めて!と声掛け

応援団の児童たちに「応援団を応援しているよ!」というと

ニコニコ嬉しそうに手を振ってくれた

昼からの選抜リレーにも出場で

「前の選手が遅れて間が開いていても追いつき抜かせるからしっかり走るんやで」

と声掛け

実はだめだと思うと・・諦めて投げ出すことが今迄に有ったので・・・・・

ところが・・前の選手たちは一番で走りバトンをリレーしてきて

孫の・・・

うりゃーーー!

ってかんじで

すれすれ一番から少し余裕の一番に間をあけたではないか!

なかなかやりよる・・・

そして4チームでダントツ一番でゴールした

チームで輪になって喜ぶ姿はみんなで頑張ろうと決めていたと伝わってきた

一番最後の6年生の団体競技

組体操は昔に比べると変化を感じる

高さ・技術・力を誇示したような演技が

去年3・11の応援メッセージを表すものだったが

今年もwater calaer ウオタ―カラー 水の色  ではなく ~自ら~

と題して

段組みをして塔を創ることも入れながら

水の流れや波を表したり

静と動を組み合わせた見ごたえのある演技

何より一人勝手にしたら全くぶち壊しになる

つまり全体の自分や周りと協調するデモ自ら・・・

共同体感覚そのもの

自分からリズムをとり

周りに伝え・・・

それは素晴らしいチームワークだった

子供たちがあれだけできる

大人も見習わなくっちゃと感じた

感動の涙は静かにメガネの下を流れていた

パワフルに子供たちに声援を送り

子供たちから感動をもらった土曜日だった

心が嬉しかった一日だった



大どんでん返し

2012-09-22 22:02:38 | 心理学
行きたくてもいけないところがあった

時間的に・・・

ところが明日の夜の予定がまず半分変更となり

その後その半分が急に消えてなくなり(相手の体調不良)

明日の昼からの予定をこれから夜中に繰り上げ

明日10時の予定は相手が風邪で休むという

有るのは朝8時から10時だけ

ということは10時に出発できるということになり

明日いけないはずのところへ

行けるようになったということだ

神様はいたずらされる

今月は

どうしても行きたいところへはいけない条件だった

だから予定をしっかり入れてプランニング遂行して頑張っていた

少々・疲れては来ていたが・・・

そのプランニングの中へ

行きたいところへ行ける条件が整い始めたが

せっかくの日曜日は先約を入れていた

その先約が見事に・・・崩れ去った

これは私が崩したのか?

それとも神様のおぼしめしか?

心の声に従うことにする

こころの声は嬉しいことをすること

楽しいことに触れる事

たまには身も心も開放することだと

ちょっと休もう

それがいい

きっとそれがいい






習慣付ける大事さ・・・

2012-09-22 00:16:33 | 心理学
読んで字のごとく

習って

慣れる

この習うは大抵の人が出来る事

ここを「慣れる」

つまり今までやったことのない事や違うことをするのだから

「やったらいいのは解っているけど」

の「けど」を取り払い

「わかっているのだからやる」にすることは

ほとんどの人が出来ない

やっては見ても3日坊主に終わるケースが多いように感じる

習ったことをやり続けると

習慣になる  のだなあと

最近つくづく感じている

私の場合は習慣化することで大きく変化した

たとえば

☆会計の収支記入

☆台所の後始末

☆一つ一つ完了させる

などが大きく変化したことだ


☆会計は収支を記入する事で全体が把握できる

 私の場合『月給』ではないので入ってくること出ていくことのお金の管理から始めた
 
 父が突然亡くなって2世帯の家計費を持つわけだが慣れないことで混乱はひどかったな・・

 去年11月から記録し始めお金の流れが見えてきた

 決まっていること→必要経費の支払日のマチマチが明確になる
 
         →収入の入ってくる日も明確になってくる

 そうすると計画が立つ・・・プランが出来る様になる!

という具合

皆さんにしたら当たり前のことかもしれないが

私にしては大きなことだった

2世帯で住み、夫の収入と私の収入があった時もなぜか足りない・・足りない・・と感じていた

そして父が亡くなり、母の施設代は多く、離婚し夫の収入はもちろんいただけないし顔のマヒ以来私の収入も激減

そんな中すべてのことを自分一人で預かりまわす・・・

これは突然死んだことの後始末から混乱を起こしていたのだと思う

けれどいつか混乱の渦からでなければならない

お金の文化はまだ未発達だと言われているが

そんなことを言っている場合ではなかった

出来ない私が取り組み始めて

まず現状を把握することに3か月かかったと思う

その間は支払いに追われているという感覚

4か月目くらいから少しプランをたてながらお金を使うというセンスに変わってきた

4・5か月で追われるから使うに変化し

ぎりぎり家計の見直しで将来の為に少し緊急でも持ちこたえられる準備をしようとした

6か月目

大きなお金のいる事が発生!

今迄ならギブアップだった

が・・・ココは流れも把握し準備もしようとしていたので

何とか乗り切れそうだ

そう振り返ると1年前とはずいぶんお金を扱うことに関して成長したと思う

なにせ・・・何をするにも

「先立つもの・・」を考え躊躇する自分が

「どうプランするか?」という考えにシフトした

『無い』から『ある』へ


上記の☆印のこともまたまだ取組中だが

物事の準備に関しても少し前もってできることが増えてきた

物事の達成は準備が90%と聞いて知ってはいるが

やっているかと問われたら・・・・

「・・・・・」である

せめて明日出かけるなら服装を整えようと習慣付けてはいる

が!

昨日は着る瞬間にボタンが取れた

時間も余裕のはずが

ボタンをつけていたらバスに遅れる

糸と針とボタンを持ってバスに乗り

途中で付けたわけだが・・・・・

自分の行動の精度を上げることを今実践中だが

服を整え準備する中にボタンの確認はなかった・・・・・

準備とは深いものだなと感じた

毎回ボタンを点検することはないかもしれないが

時々季節の入れ替えした時にボタンもしっかり確認する習慣は必要だなと感じた

ほつれがないかなどは点検していた・・・・

こうやってできることが増えて精度が上がって行くんだなあ

習慣付けるもっとも重要なことは

考え方とらえ方なのだろうなあと感じている

不幸にしかならないとらえ方と

そりゃあ幸せになるわというとらえ方

どちらを習慣付けたいか?

それはまたの機会にでも・・・

今夜はこれにて

お休みやす・・・


寝る事にもコミットして

2012-09-17 23:47:07 | 心理学
体調管理が大事だと

寝ることもコミットした

12時までにできるだけ休むということだ

今しがた帰ってきたが

風呂を沸かし二階へ上がってきた

今日は時間に追われるのではなく

時間を使った一日だった

〆の風呂

12時までに寝られるだろう

自分で回復させるには

睡眠が一番

10時から2時までの睡眠だ

ではそれに向けて

あと10分

やれるといいな・・・


ドボンにzzzzzz



産まれた瞬間から死に向かいながら生きるという事を忘れがち・・・・・

2012-09-16 11:41:11 | 心理学
人間には自分ではどうしようもないことが2つある

一つは産まれるとき(赤ちゃんが自分自身で決めているとは言われているが・・)

もう一つは

死ぬとき(自殺する人は別)


この2つ

最近これは一つのことなんだ

「どんなふうに生きるか?」ってこと

幸せになるために生きるとも言われている


じゃあ・・・なんで病気で早死にするんだろう


ここ最近・・・

大事な人が大病したり

想わぬ人が亡くなったり

もうだめかと想っていた母が今は低くであっても安定している



私は青春まっただ中でこのままなら死ぬといわれた

だからその時は無茶苦茶した

どうせ死ぬならやってしまおう・・的な


紆余曲折ありながら今に至る


けれどのど元過ぎれば・・・忘れがち

でも必ず死に向かって生きているのだ

だからこそ

何がしたいのか・・

誰と心を通わせたいのか・・・

一人っ子で一人で遊ぶことが多かったのか

人とともに遊ぶというセンスは磨かれていないんだろうなあ・・・・

アドラーの幸せの3つの条件で

①  仕事

②  交友  

③  愛 

この3つで交友が上手くいっていないのかもしれないなあ・・・・・

時間の浪費を気にしながら

何かやらねばならないという観念で固まり

意味を持たねばならぬと感じているのかもしれない

遊ぶときには遊ぶ

楽しむ

それが出来てるのだろうか?

いや・・そこに気づいたから

健康を害して夫婦生活を続けることは

命を誰かにゆだねるというか

命を短くする付き合いには終止符を打ちたいと思ったんだ・・

生きているという存在のレベルがあるとするなら・・・

① 生きながらえる

② 現状維持

③ 自己満足

④ 他者貢献

4つあると聴いた

育ちの中で他者貢献をしている両親を見て育っているのでそれが当たり前だと思っている


つまりそれ以外は『あたりまえじゃない』→『おかしい』『居心地悪い』というような考えに結びつくのかもしれない



真のレクリエーションって・・・

必要だし・・・

どれなんだろうなあ・・・・・

目標に向かうコミットや実行は大事で

でも自分を大切にすることも大事で・・・

そのバランスって・・どうなんだろうな・・・・・

仕事も心理学も神経は使うけど楽しいし・・・・・

人生の質を上げていきたいと切に願うからこそかなあ・・・・・