
沖縄都市モノレール 沖縄都市モノレール線(ゆいレール) 美栄橋駅
(沖縄県那覇市牧志)
ホテルから歩いて美栄橋駅に到着。県庁前駅でも同じくらいだったかな。


1日乗車券(800円)
今日は沖縄都市モノレール線の乗りつぶしをする。1日乗車券は暦日で1日通用するのではなく、購入後24時間通用するのだ。使った事はないが、東京地下鉄の東京メトロ24時間券のようなものか。それなら昨日の夕方は那覇空港から県庁前までSuicaを使わずに、1日乗車券を買えばよかったのでは。まあ、Suicaが使えるのを試したかったからいいか。モノレールの切符は磁気券ではなく、QR乗車券である。切符のQRコードを改札機に読ませるのだ。

那覇空港行が接近!

沖縄都市モノレール 沖縄都市モノレール線 普通列車 [1000形] (美栄橋)
全線乗り降り自由なので、先ずは空港まで行って、コインロッカーに手荷物を預けよう。



空港行なので、やっぱり大きな荷物の人と乗り合わせる。近年はLCCばかり利用するので、自分は大きな荷物を持たない。アメリカに行く時、スーツケースを買ったが、カバン自体が重い気がして、最近はリュック一つ背負うだけである。



沖縄都市モノレール線 普通 美栄橋(9:51)→那覇空港(10:07頃) 1214 ※参考運賃300円

ここで問題が発生。1日乗車券は定期入れに納めていた。券面のQRコードを自動改札機の読取部に読ませるのだが、定期入れに入っているSuicaの方を素早く読み取り、入場情報が入ってないからだろう、扉が閉まってしまった。ICカード2枚入れには注意しているのだが、QRコードとICカードという事は想定していなかった。有人改札でSuicaの状態を確認してもらい、次回問題なく使えるという事で安心する。今度はORコードを読ませて出場する。1日乗車券を使っている間は、Suicaは定期入れから出しておく。

空港のコインロッカーに手荷物を預けて身軽になる。料金は200円で安いなと思ったが、6時間を超えると100円追加となるので、最終的には300円になった。では改めて乗りつぶしへ。

沖縄都市モノレール 沖縄都市モノレール線 那覇空港駅
(沖縄県那覇市字鏡水)

日本最西端の駅 ゆいレール 那覇空港駅
E 127°39′8″ N 26°12′23″
ここ那覇空港駅は日本最西端の駅である。ちなみに沖縄都市モノレール線開業前の日本最西端の駅、松浦鉄道西九州線(旧松浦線)たびら平戸口駅(旧平戸口駅)(長崎県平戸市、旧松浦郡田平町)を訪れた事はない。

沖縄都市モノレール 沖縄都市モノレール線 普通列車 [1000形] (那覇空港)




眺めは抜群! (那覇空港-赤嶺)
今、那覇空港に着いた人たちもモノレールの車窓を楽しんでいる。大型輸送ヘリらしき機体が空港へ向かっている。自衛隊のヘリかな。

那覇空港自動車道(国道506号小禄道路)の工事か?
これまで令和2年7月2日撮影
開通すれば、那覇空港と沖縄自動車道が自動車専用道路で直結される。さて、反対側の車窓にはモノレールの車両基地が見える。ゆいレール展示館が併設されている。こんなご時世なので休館中なのだが、ゆいレールの展示のほかにも、戦前の沖縄県営鉄道に関する展示や、JR九州から贈られた寝台特急〔なは〕のヘッドマークもあるのだそう。今度沖縄に来た時に開いていたら是非訪れたい。

寝台特急〔なは〕 32列車 [EF65牽引・24系客車] (新大阪)
平成15年11月26日撮影
写真のヘッドマークはJR西日本の機関車に付いているから、沖縄に贈られたものとは別だろう。沖縄がまだ米国統治下の昭和43年、本土復帰を願って特急〔なは〕が登場した。当初は大阪-西鹿児島間で運転。昭和47年に沖縄は本土復帰する。昭和50年、新幹線が博多まで開業すると、寝台特急〔なは〕(新大阪-西鹿児島間、一時期は京都-西鹿児島間)となった。昭和59年には電車から客車のブルートレインとなる。平成15年に一度、西鹿児島から新大阪まで乗った事がある。未明に岩国を通過。岩国を通過する列車に乗ったのは、これが最初で最後である。平成16年に熊本発着となり、鹿児島県へは行かなくなった。平成20年、九州新幹線の全通を待つ事なく、寝台特急〔なは〕は廃止された。

沖縄都市モノレール 沖縄都市モノレール線 普通列車 [1000形] (赤嶺)
これより令和2年7月2日撮影



寝台特急〔なは〕から、ゆいレールに話を戻す。那覇空港の次の駅、赤嶺で下車する。
沖縄都市モノレール線 普通 那覇空港(10:33)→赤嶺(10:36) 1105 ※参考運賃230円

駅構内には…

泡盛の壺までが!

沖縄都市モノレール 沖縄都市モノレール線 赤嶺駅
(沖縄県那覇市赤嶺)


ウロウロして石碑を発見!

日本最南端の駅 ゆいレール 赤嶺駅
東経127度39分38秒、北緯26度11分36秒にあり、日本最南端の駅である。なんと日本最西端の駅と、日本最南端の駅は隣の駅だった。ちなみに沖縄都市モノレール線開業前の日本最南端の駅、指宿枕崎線西大山駅(鹿児島県指宿市、旧揖宿郡山川町)は自動車で訪れた事はあるが、列車で訪れた事はない。

てだこ浦西行が接近!
乗り降り自由なので、一気に終点の、てだこ浦西まで行くのではなく、途中駅で降りてみたり、少し歩いたりして先に進む。



車窓には大型商業施設が。沖縄も変わらんなあ。



沖縄都市モノレール線 普通 赤嶺(10:52)→奥武山公園(10:55) 1103 ※参考運賃230円

改札口

沖縄都市モノレール 沖縄都市モノレール線 奥武山公園駅
(沖縄県那覇市奥武山町)

沖縄セルラースタジアム那覇(那覇市営奥武山野球場)
(沖縄県那覇市奥武山町)
プロ野球公式戦も開催される野球場。今年は7月4日、5日にファイターズ対ホークス戦が予定されていたが、このご時世で中止となってしまった。ところで、auブランドは沖縄県ではKDDIではなく、沖縄セルラー電話がサービスを提供している。

漫湖 (沖縄県那覇市・豊見城市)


湖とあるが、川幅が広くなったような場所で干潟になっている。海から近く、潮の干満があり、マングローブ林があるそう。ラムサール条約湿地に登録されている。名前については、17世紀に琉球を訪れた冊封使の記録にあるのが初出らしいが、明と清のどちらの冊封使の記録なのか、ちょっと検索したが判らない。王朝の変わり目なので気になる。清の最初の冊封使張學禮の文章に「曼湖」の文字が見られる。
廟東有演武場 南有長虹橋 闊百丈餘 長五里 橋下大水 名曰「曼湖」 通海
(張學禮 『中山紀略』 清康煕3年(1664)より抜粋)
文末を適当に読み下すと、「名を「曼湖」と曰う、海に通ず」といった感じか。

沖縄都市モノレール 沖縄都市モノレール線 普通列車 [1000形]
(奥武山公園-壷川)

列車は奥武山公園駅を出ると、国場川を渡る!


壷川駅に到着!

奥武山公園 (沖縄県那覇市奥武山町)
沖縄県営の公園。野球場は那覇市に移管されている。




公園を抜けると、国道58号終点の石碑が!
ここが鹿児島県鹿児島市より、海上区間をはさんで種子島、奄美大島を経て、沖縄県に上陸して、国頭郡国頭村字奥より沖縄本島西海岸を縦貫する国道58号の終点である。

明治橋南詰に終点はある!(沖縄県那覇市垣花町・奥武山町)
一昨日、ここを通過して北へ向かったなあ。

明治橋

国道331号 起点
国道58号終点というのは見当たらない。見落としたか。

国道58号・国道332号の終点であり、国道331号の起点である!
国道331号は一昨日、ひめゆりの塔へ行く時に通ったが、道路は沖縄本島の南を回り、東海岸を縦貫して、国頭郡東村から西海岸に横断して、大宜味村に至る国道である。終点は昨日、道の駅おおぎみで休憩した後で通過しており、また金武町では国道229号と重複する重用区間だったが、走っている。西側の国道58号を終点から沖縄県内の起点まで走ったので、今度は東側の国道331を起点から終点まで走るのもいい。国道332号は那覇空港からきて、少しだけ国道331号と重複して、ここ終点に至る短い国道である。一昨日、レンタカーに慣れるために空港付近を走っていた時に、知らぬ間に全線走破していた。

国場川を渡る!
タモさんがブラブラする番組で訪れていたな。一般人がおいそれとは行けないが。

那覇バスターミナル (沖縄県那覇市泉崎)

沖縄本島の交通の要衝。那覇近郊のローカル路線バスから遠距離の高速バスまで発着するそう。先代のバスターミナル跡に建て替えられ、一昨年開業したばかりの真新しいバスターミナルである。商業施設も入っている。モノレールの旭橋駅とは繋がっている。モノレール開業よりももっと前、戦前ここには鉄道駅があった。

旧沖縄県営鉄道那覇駅の転車台遺構

バスターミナル付近の再開発工事中に、何も残っていないと思われた鉄道施設の遺構が出てきたのだそう。かつて沖縄に鉄道があった事を実感させる。

昭和19年10月、米軍の空襲により甚大な被害を受けたが、1箇月後には運行を再開していたそう。しかし昭和20年3月に米軍の攻撃により破壊され、運休となった。戦後、米国統治下で鉄道が復興する事はなかった。

沖縄県営鉄道及びバス路線図
大正3年に与那原線、那覇-与那原間が開業。同6年に海陸連絡線、那覇-桟橋荷扱所間が開業。大正11年には嘉手納線、古波蔵-嘉手納間が、大正12年には糸満線、国場-糸満間が開業した。軌間は672mmの軽便鉄道だった。一昨日、昨日と通った嘉手納ロータリーの辺りに嘉手納駅があったそう。那覇から約24kmで、1時間ほど。思ったよりも長い。今も鉄道が走っていたらどんな感じだったろうか。1067mmに改軌、電化して、伊予鉄みたいな感じか。本島南部は人口が密集しており、道路の交通量が多いのも実感したので、鉄道が無くなったのは実に残念に思える。いつまでも失われた鉄道を嘆いても仕方がない。現在の沖縄の鉄道、沖縄都市モノレール線(ゆいレール)の乗りつぶしを再開する。 (つづく)