ようこそ
「重い腰を上げますか」と書きましたが、腰が痛くて重い訳ではありません。久しぶりに投函したと言う意味です。
健康で穏やかな日々を過ごしていると、7年前のガン治療の記憶が薄れてきます。その位の時間が経過した。
辛かった闘病生活も今は昔。当時は、その日その日を生きるのが精いっぱいの時もあり、まさかこんなにも元気に長く生きる事は想像もしていなかった。
好きだったゴルフは出来ない体にはなったが、その代わりに老後資金が増えたと思うようにしている。二つが同時に達成されるのが一番だが、無理な話である。これで十分に満足している。
そんな訳で今では、掛りつけ医に月に1度、兵庫医科大が3か月に1度、豊岡病院は年に1度の検診となっている。同年代の健常者の人とさほど変わりは無い。ありがたい事であるが、やはり今でも「ガン」と言う字を見つけると、やはり目を止めて見入っている自分が居る事に気づかされる。
しかし、「ガン」は、一度治療を受けたからと言って、免疫が出来る訳では無く、経験者でない人と同じ位の確率で、また罹患する可能性のある厄介な病である。また、コロナと違い拡大したり縮小したりも無く、安定的に毎年約38万人が新たに罹患しているので、死者もコロナの比ではない。ただ、感染症でないところが少し違うが、恐ろしい病で有る事には違いない。
私は最初に告知されたガンが「膀胱がん」であったので、少しはビックリしたが、大きな動揺はしなかった。生存率も高いガンである為だ。次に受けた告知は「前立腺がん」で、これも大きな動揺は無かったと記憶しているが、立て続けに告知されたので、「またか」との思いはあった。
2度目の術後は流石に生死をさまような辛さは味わった。「もう、死んだ方がましだ」とも思える辛さであった。治療用のの点滴を何度も抜こうと考えた事もあった。
ようやく退院も近づいたある日の最終検査で、またも別の場所に腫瘍らしき物が見つかり、半年間の経過観察を経て生体検査をすることになり、右の脇腹を手術して腫瘍を検査してもらった結果、3度目の告知となる「悪性胸膜中脾腫」との事。
流石にこのガンは生存率も極めて低く、考える事は「死」ばかりの生活から「うつ病」を患い検査する事に。その後、病院を豊岡病院から兵庫医科大学病院へと変更した。変更したと言うより紹介された。
初めて行った兵庫医科大の主治医の先生から「手術をしますか?しませんか?」との問いに、「次回までに考えておきます。」としか言いようが無かった。説明の中での術後の生活について「寝たきりで、酸素吸入器が必要になる可能性が60%」と言う言葉を聞いていたので、帰りの車の中では妻に「もう手術はしない」と伝えた。
それと言うのも、何の不自由も無く、痛くも痒くも無く、普通に生活していたので、「この状態が何時まで続くかは分からなかったが、その時が来たら、それはそれで受け入れるしかない」と言う気持ちだった。2度目の術後が辛過ぎた事あっただろう。
結果的には、手術をしてもらい、こうして現在は穏やかで楽しく過ごしている。感謝感謝感謝である。
もう、これらも遠い昔話になりかけているが、感謝の気持ちは変わらない。ありがとうございました。
と言う事で重い腰を上げて、久しぶりに投函しました。「便りが無いのは元気な証拠」です。
お大事に
また、お会いしましょう。お気を付けて
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