人生の謎学

―― あるいは、瞑想と世界

ダッド ―― 精神病棟の画家

2015-08-23 23:50:55 | 美術
…………すでにリチャードの異常さは誰の目にも歴然としていた。しかし彼はできるかぎりその症状を隠し、父にも平静さを装った。そしてすぐにこの時期の主要作、シリアでの情景をもとにした《海辺で休息する隊商》に着手した。製作期間三ヵ月の間に、リチャード・ダッドはすでにエジプト神オシリスの支配下にあり、〝悪魔〟を殺す使命を担っていると確信するにいたるのである。
息子の様子が心配でならない父ロバートは、セントクール精神病院のスーザーランド博士に相談し、ニ人はダッドの様子を注意深く見守ることにした。だがそれがリチャードにとっては耐えがたく不自由に感じられた。その〝束縛〟から逃れるためにか、それとも後の〝逃亡〟のためにか、リチャードが8月17日にフランス大使館から入国許可証を取得した記録が残っている。
8月28日、リチャードは生まれ故郷ケント州コバム村ヘ一緒に行くように父を説得し、子どもの頃よく出掛けた貴族の館の近くまで誘い出して、夕方おそくコバム公園内を散歩中に父を刺し殺した。
コバムの公園は森林と沼地が多い自然公園で、犯行の行われた草原はのちに〝ダッド・ホール〟と呼ばれることになる。ロバート刺殺後、コバムに近いロチェスターの町で宿屋に立ち寄ったリチャードは、血で汚れた手を洗っている。逮捕後の英国での裁判の際、その宿の使用人が、部屋からタオルが一本紛失したことを証言すると、リチャードは犯行を否定していたにもかかわらず、そのタオルは血まみれになってしまったので自分が持ち去ったのだと答えている。――リチャードは自分が殺したのは父ではなく、変装した悪魔だと信じ込み、生涯それを主張しつづけた。しかし彼は犯行直後にフランスへと逃亡するのである。
ロバートの死体は翌朝、通行人に発見された。兇器のナイフも傍らに落ちていた。
凶行の直前まで彼が居住していたニューマン街71番地の部屋からは、300個近い卵の殼と大量のビール瓶が見つかり、リチャードがそれを常食としていたらしいことが判明した。そして多くの友人を描いた画稿も発見されたが、それらの絵では友人のすべてが喉を切り裂かれていた。部屋を貸していた女主人は、リチャードに対して異様な恐怖を感じていたと証言している。
ドーバー海峡を渡ってフランスのカレーに到着した彼は、オーストリア皇帝を含む多くの人々を殺害する計画を練りつつ、8月30日、乗合馬車に隣り合わせた見ず知らずのフランス人を殺そうとした後、フォンテンブローの近くで逮捕された。
偶然にも、翌31日、リチャードの弟ジョージ・ウィリアムが私立精神病院に入院している。そして9月13日に王立ベスレム病院に移送され、1868年に死ぬまでそこに収容されることとなる。
リチャードは、定められた運命からは逃れられないと言っている。さらに、自分はだしに使われた者で、責任はあるが、殺人の張本人が誰であるかは知らされていない、とも言っている。…………

ダッド ―― 精神病棟の画家__1


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ダッド ―― 精神病棟の画家__5





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