人生の謎学

―― あるいは、瞑想と世界

死の島

2013-01-11 07:24:21 | 美術
 1880年、53歳のベックリンは、まだ貧しく、その画風は当時の画壇の傾向とは合わなかった。支持者は少なかったものの、しかし徐々に認められはじめたところでもあった。そんな画家に、大きな転機がやってくる。当時、フィレンツェに住んでいたベックリンのもとを、その数少ない支持者の一人が訪ねてきて、「夢見るための絵」を一枚描いてほしいと注文したのである。――若くして夫と死に別れたマリー・ベルナ(後にビューデスハイムのオリオラ伯と再婚)という女性である。
 ベックリンはただちに制作に取りかかったが、作品はしばらくのあいだ未完のまま残された。この第1ヴァージョンとは別に、それよりやや小さいサイズの第2ヴァージョンを先に仕上げ、依頼主に渡した。依頼主は出来映えを気に入り、「夢想するための絵」と呼び、ベックリン自身も、この作品のテーマを手掛けたことに、たしかな手応えを感じたものの、自作にタイトルをつけない習慣だった。《死の島》と名付けたのは、画商のフリッツ・グルリットだった。
 作品は、たちまち人々の注目を集め、彼の最高作として揺るぎない評価を獲得した。


死の島__1


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