斜里町立朝日小学校 ブログ

子どもの「いきいき」「のびのび」を伝えます

明日のねぷたのひき手が不足してます。ヘルプ・ミー。

2015-07-24 | 出来事・お知らせ
本日は全校児童。多数の親も参加。しかし、明日は、任意・自由のため、参加者児童は、50名程度(3分の1)という報告が、担当からありました。例年のことということですが、参加者が少ないと、お囃子の迫力も低下。山車を引っ張る機動力も低下します。観客席から見物したいという気持ちもあることと思います。今年は子どもたちの直接かかわる時間を多くしました。出陣式も大きく変わりました。山車が動かないことには、見物客がいても、楽しむことができません。3分の2の子どもたちと親が任意参加して下されば、迫力や見応えも低下しなくて済みます。都合があることと思いますので、任意自由ですけど助けて。このブログを目にした皆様、お近くの家族に呼びかけて、お誘いの上、多数のPTAの皆様方、どうぞ、25日土曜日18:30除雪センターにお越しください。

低学年は観光客にミニねぷたを贈る計画です。お囃子の中に入って、町外の人や、観光客の人を楽しませませんか。

津軽藩士の慰霊祭

2015-07-24 | 出来事・お知らせ
私は、簡単で良いから、ねぷたにかかわる歴史を語らねばならないと参列しながら感じていました。北方警備のために、津軽藩士が尊い命をなくした歴史的事実がきっかけとなり、今のねぷたがあることを話すことにしました。意味がわからなくても、「ふるさと学習」では落とせない学習として、今後、教材開発をしていかなくてはなりません。

長いですが、校長が、子どもたちに語りかけた短い物語です。ご紹介します。お読みください。
■校長の語り■今から200年前、お侍さんが世の中を支配していた頃、北海道は「蝦夷」と言われていました。海を挟んで、すぐお隣さんの青森県は「津軽」と言われていました。北海道の斜里町と青森県の弘前市という2つの町が、お友達になったのは、今から33年前です。お友達になった大きな理由を簡単に教えましょう。200年前に、外国の攻撃から、「北海道」を守るために、弘前市に住んでいた100名のお侍さん達が、外国に一番近かった「斜里町」に歩いてやってきました。しかし、厳しい寒さと野菜不足のために、100名のうち、72名が病気で亡くなりました。津軽にまた歩いて戻ることができたお侍さんはたった18名でした。どうして、全員が戻ることができなかったか、その理由を詳しく伝えなかったそうです。しかし、斜里町の人々は、亡くなった人のことを大切にするために、海岸の近くに、お墓のような石碑を作って、亡くなった人たちに対して感謝の気持ちを忘れなかったそうです。72名のお侍さんたちが亡くなったことをきっかけに、「斜里町」と「弘前市」の友情の「きずな」が、だんだん深まっていき、今夜明日の2日間行われる「ねぷた」へとつながってきました。今年で33回目の「ねぷた」になりました。斜里町では「しれとこ斜里ねぷた」、弘前市では「弘前ねぷた」と言うそうです。今年は、世界遺産登録10周年という大事な記念の年です。きっと、この2日間は、町中お祝いで一杯になることでしょう。どうぞ、2日間、朝日の子らしく、いきいき・のびのびして、元気に出陣してください。そして、皆さん一人一人が夏を楽しみ、夏休みの想い出となるように、しっかり心に刻んでください。

今晩、第33回目のしれとこ斜里ねぷた出陣pm7:00

2015-07-24 | 出来事・お知らせ
学校で、全校生徒と今まで指導していただいた地域のゲストの皆さんとともに、出陣式をしました。校長から「津軽藩士慰霊の歴史について」語られ、各担当ごとの学習活動で学んだことや頑張りたいことの発表がありました。指導していただいた方から評価反省について話がありました。「元気よくやりましょう」という威勢をあげて出陣準備ができました。

「みなさんの絵は堂々としており、弘前の子どもたちの物とひけをとりませんから、元気出して楽しんでください。」とおほめの言葉がありました。ありがたいです。長い間のご指導に心から感謝しています。