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大黒寺 法要(京都散策)

2019-05-27 08:19:20 | 取材・旅行

前の記事伏見歴史散策~大黒寺の続編です。

大黒寺 法要

毎年、5月第4日曜日は、伏見大黒寺で法要が行われています。
昨日は、初めて参加しました。

京都市伏見区鷹匠町4にある大黒寺


薩摩藩邸に近く、薩摩寺とやばれるほどの薩摩ゆかりの寺です。


昨日は、宝暦治水の薩摩義士、寺田屋騒動で亡くなった九烈士、文珠九助ら伏見義民の法要が行われました。





大黒寺には九烈士の墓があります。


その由緒を、斎藤酒造社長・斎藤家当主の斎藤さんが説明してくださいました。



 斎藤酒造は、伏見で124年目になる。
 それ以前は、1600年代から井筒屋という呉服小売り商を営んでいた。明治28年に,酒造に転業した。

 九烈士(有馬新七、田中謙助、橋口伝蔵、柴山愛次郎、弟子丸龍助、橋口壮介、西田尚五郎、森山新五左衛門、山本四郎)を初めとする尊王急進派の一部は京都所司代や親幕府の公家を襲撃しようと寺田屋に集まっていた。
 1862年、維新の6年前、井筒屋七代目当時である。
 島津久光公は公武合体で日本をまとめようとしていたので、説得を試みたが、不調におわり斬り合いになった。
 町人である当時の七代目や家内、番頭らが、寺田屋での騒動を聞き、さらしを持って走った。
 寺田屋は、血の酸っぱい臭いが立ちこめ、一階、二階とも血の海であった。まだ痙攣している遺体もあった。一体一体さらしを丁寧に巻いて、薩摩藩経由でこの大黒寺に運んだ。
 当時は、反逆者であったために土盛りだった。
 しかし、世情は倒幕に傾き、九烈士は立場が変わり英雄になった。西郷隆盛は自身で筆を取り墓を建てた。
 墓は風化したが、叔父(伯父?)が拓本を取り、隆盛の筆跡で掘り直しつくり直した。
 
 斎藤家にとって、この凄惨な場に遭遇したが、大黒寺が檀家だったので、翌1863年に法要を始めた。
 祖父の代から、京都在住の鹿児島県人会から会長をいただくようになった。今年は158年目、戦時中も欠かさず行ってきた。六代にわたってこの思いを繋いできたが、今後も繋いでいきたい。
 他に、薩摩義士伏見義民も加えた。
 幕末に、縁もない土地で労力を使った。予算は超過し、難題続出の治水工事であった。宝暦四年、平田靱負はすべてを見届けて自刃した。多くの藩士も共にした。
 その遺体を棺桶に入れ、塩漬けにして、川舟で、伊勢湾-潮岬-大阪湾-淀川-大黒寺へと運んだ。そして墓を建てた。
 
 もう一つが1785年。
 伏見の町人・文殊久助ら7人は、伏見奉行の悪政を直訴した。伏見奉行は幕府により罷免されたのでうまくいったが、当時直訴は厳罰。時には一族も処刑された。伏見義民と呼んでいる。
 
 三例とも、我が命をなげうって、他人のため、未来の日本のため、地域住民のためにつくし命を落とした。感謝しなければならない。
 今日も、こうして多くの人に心を寄せていただいたことに感謝したい。

 
 位牌の前で焼香し、九烈士の前で焼香しました。


 西郷隆盛の文字です。


 次に、平田靱負の墓の前で焼香。




 平田靱負の子孫、平田靱久さんが関連する古文書の説明をしてくださいました。


 伏見義民の碑への焼香。




 「天明の飢饉」の只中にあった天明5年(1785)、伏見の町人・文殊久助ら7人は伏見奉行・小堀政方の悪政を幕府に直訴し、小堀正方は罷免されたが、町人7人は取調べの最中に獄死しました。
 庶民を救ったこの7人を顕彰するため、「伏見義民」と称し、明治時代に御香宮神社内に石碑が建てられたのです。

 
 沖永良部島から鹿児島に戻り、京都に来た頃の西郷は、大久保と共に滞在し、会談した間です。

 今回、法要に初めて参加しましたが、まずは1年も欠かさず思いを繋いでいる人の存在に感動しました。
 藩内部の争いであり歴史の闇に埋もれた可能性もあったわけですが、薩摩義士、伏見義民と共に、こうして弔いの式に接し、歴史は生身の人の営みの結果であることを改めて実感しました。

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