青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

「これが自分です」。

2012年11月24日 16時38分36秒 | 青裸々日記。
亀戸天神社・菊まつりから(東京都江東区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 皆さんは、「これが自分です」と、口に出して言えますか!?


 生きていると、人と心や考え方の境界線が曖昧になっていってしまうものです。
 ランキングやマニュアル、流行がいい例でしょう。
 たまたま気に入って選んでいるつもりでも、
 「周りの人がいいと勧めているから」とか「これがいいみたいだから」と、
 実は、「自分がいいと思っている」と、100%ハッキリと自分の意見で考えている例は、ごく稀だったりするのではないでしょうか。


 もちろん、周りの意見をうかがうのは、すごく大切なこと。
 人の考え方を学んだり、誰かの感性に感動すればこそ、進歩や成長、創造ができるからです。



 では、なんで自分の意見と他人の意見の境目がわからなくなることがいけないのでしょうか!?


 答えは、世間は必ずしも、自分を評価してくれるわけではないからです。

 世の中、優しい人ばかりなら苦労もありませんが、
 現実には、心のない人や、要求がきつい人もいるわけです。
 そんな人に晒されてしまうと、たとえ相手が悪く言ってきた言葉でも、自分も段々影響を受け、
 最初は本心ではなかったのに、自分を悪く思うようになってしまうのです。

 自分としては、ベストを尽くしたり、100%出し切った。
 でも、自分の成長の速度を越えて、いろいろと要求をされたり、120%を求められると、
 せっかく頑張っているのに、あたかも自分はなんにも努力していないとか、自分にはなんの魅力もないんだと思ってしまいがち
 つまり、いくら人に揉まれるのが大切とはいえ、
 揉まれて揉まれて、自分の姿が見えなくなってしまうと、
 しまいには、自分がなくなったり、精神的に不安定になってしまいやすくなるのです。


 だからこそ。

 自分の持っているもの、性格、実績、歩みがどんなに貧相でも、
 「これが自分です」と言い切ってしまうことを、お勧めしたいのです。
 もちろん、人に向かって言えない場合もあるでしょうから、独り言で構いません。

 不器用でも、遠回りでも、その人なりにやってきた部分はあるハズです
 しかも、人に言われたからと全否定をするから辛くなるわけで、
 本当は、その人なりの持ち味が生きている部分もあれば、出来ている所だって、ないわけがないのです。



 人に評価してもらうことは大切です
 しかし、あまりにも評価されたい気持ちが強かったり、人の意見を優先してばかりいると、
 本来の魅力や能力が発揮できないこともあるのです

 だから、「いろいろケチはついても、これが自分なんです」と言ってしまえば、
 周りからの過剰な要求に、いかに飲み込まれ、ちっぽけに扱われてしたかがわかるのです



 どんな時でも、自分を尊重してくださいね。
 それが、自分が生きていく足掛かりになるのですから。

この花のように!!

2012年11月24日 13時43分03秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 最近、ブログの更新が少なくて、申し訳ないです。
 体調が優れず、職場を出たらグッタリしてしまう他に、やらなければいけないことがあって、
 ブログにもう少しエネルギーを割けたらとやきもきしている毎日です。


 せっかく多くの方々にご覧いただいているので、この花のように元気に咲いて、
 再び愛されるブログに持っていこうかと思います!

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菊がたくさん^^

2012年11月23日 04時06分07秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 亀戸天神社の菊まつりは、大胆さがある点も魅力のひとつです。


 私は花弁が細いタイプが好きなのですが、
 これだけ揃うと、なかなか見応えがありますよね(*^^*)

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時間の無駄。

2012年11月22日 20時46分20秒 | 青裸々日記。
亀戸天神社・菊まつりから(東京都江東区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 小さなことは、水に流すに限ります。

 身も蓋も無い言い方をすれば、人間関係なんていうのはすれ違いの連続です。
 「意味が正しく伝わらない」とか、「その気はないのに、対立してしまう」とか、
 色々ありますよね。
 あるいは、どこにトゲを感じるかも、人によって様々です。
 ということは、悪気はなくても、擦れ合い傷つけ合ってしまうということだって、十分にあるわけです。


 もちろん、人を相手にする場合は、繊細に感じ取ってあげるに越したことはありません。
 そうすると、気に入らない点、鼻につくことだって、溜まってもしまいますよね。
 しかし、繊細に感じ取れこそすれ、たいていの「小さな不満」は、受け流していれば間違いは少ないのです。


 「なんだ、損な話じゃないか!」と思いますよね(笑)
 そうです。
 「なんで自分ばっかり我慢しなきゃいけないんだ!」という気にもなるでしょう。

 でも。
 「損して得取れ」という諺があります。
 たとえ「損」をしても、その向こう側が見えれば、別に平気なんですよね


 では、「向こう側」にあるものって、一体なんでしょうか!?


 それは、「より良い関係」です。
 小さなすれ違いでいちいち突っ掛かって、それでお互い仲良くなる…なんてことはありませんよね。
 よく、相手が間違えているからと論破してしまう人がいますが、
 私から言わせれば、そんなのは幼稚にしか思えません。

 どんな人も、傷つけるためにいるのではありません
 人は、尊重するためにいるのです。
 そして、その中で力を合わせるから、1が2にも3にもなったりするのです。
 でも、その入り口で傷つけ合うようであれば、
 その先もおぼつかないのではないでしょうか!?



 繰り返しになりますが、人を責めたり疑ったりして、関係が育ったり、仲良くなる例はありません
 たとえこちらの権利なり本音なりをぶつけるにしても、それで関係がおかしくなるならば、
 それはやり方や伝え方の問題でしかないのです

 だから、枝葉ではなく、将来ありたいと思う姿を描きませんか


 多くの人と関係を育める人は、必ず愛されます。
 そして、関係を育める人ほど、将来の幸せを考えているのです。

受容の大切さ。

2012年11月21日 21時47分53秒 | 青裸々日記。
亀戸天神社・菊まつりから(東京都江東区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 浮かび上がった気持ちは、どんなものでも認めましょう


 「いきなり何を言い出すんだ!?」とお思いの方も、いらっしゃいますよね。
 でもこれ、心をラクにするために、とっても大切なことなんです。

 私達は、だいたい何らかの我慢をして生きているものです。
 普段から感情剥き出して生きていたら、危なかっしくてしかたがありませんよね。
 頭に来たからと言って、誰彼構わず当たり散らしたら、
 たいていは人間関係も壊れてしまうでしょう。
 あるいは、「親しい仲にも礼儀あり」というように、
 いくら仲が良いからといっても、相手の都合や心情を考えるか考えないかでは、
 おのずから違ってくることもありますよね。
 さらに言えば、たとえば、「自分の気持ちを優先したい」一方で、「人といい関係を結んでいきたい」などと、
 矛盾したことを平気で考えていたりもするもの。
 つまり、「ラクにいいものが欲しい」と思うのが、人間の本性なんです。

 …そうなんです。
 人間、そもそも、本当はえらくわがままな生き物なんですね(笑)。
 しかし、わがままにしているだけでは、成せるものも成りません。
 そこで、感情を剥き出しにしないよう、自分を上手くコントロールすることで、
 物事を上手く運んだり、出来るだけ多くの幸せを生み出したりしていくわけですよね。



 さて、勘の良い方はお気づきでしょうか。

 じゃあ、「自分で押さえ込んだ気持ち」は、一体どこへ行くのでしょうか?
 …答えは、自分で処理しない限り、いつまでも自分の内に残ってしまうのです。


 なんらかの気持ちを我慢をしたら、たしかにその場では押さえ込めるのかもしれません。
 しかし、自分に嘘をついたり、気持ちを表せないだけ、
 心が重くなり、また、感性も鈍っていってしまいます
 そう、無視した自分の気持ちは、「ストレス」というものに変化してしまうのです。



 情けない。つらい。苦しい。しんどい。嫌だ。淋しい。逃げ出したい。…

 こんな大人げないような気持ちを、怖がらないで下さい
 「大人げない」と言っても、人間は人間、素直な気持ちになること自体は、みっともないことでもなんでもありません
 安心して、浮き上がる気持ちをそのまま認めること
 それこそが、心を軽くする道なのです


 だから、自分でも人でも、おかしいような態度になったら、
 「そういうこともあるよね。よく我慢したね。エライね」と、
 どんな気持ちを持っていても、そのままを認めてみましょう
 この心構えは甘やかしではなく、みんなが元気になるための道標だからです。

2本のスカイツリー

2012年11月21日 05時17分08秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 亀戸天神社の裏手には、スカイツリーが立っているのですが…、

 スカイツリーにちなんで、菊まつりにはこんなものがありました!
 街を盛り上げようというあったかさを感じますね((o(^-^)o))


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長所の意味。

2012年11月20日 23時04分45秒 | 青裸々日記。
亀戸天神社・菊まつりから(東京都江東区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 「自分の長所を見つめましょう」とする話、耳にしたことはあるでしょうか。
 自信をつけたり、悪い面ばかり見てくたびれたりしないために、
 「長所」に意識を向けるよう、勧めているわけですよね。


 でも、この「長所への意識」って、本当はもっと違うところに意味があるんじゃないかな?と、私は思うんです。



 たとえば、手元に100万円あったとします。
 そこに、「お腹が空いてしかたない」という人が来たら、
 「私はお金を持っているから、このお金で好きなものを食べて下さいな」と言えるわけですよね。
 でも、本当は100万円持っているのに、「自分はお金なんか持っていない」と決め付けたら、
 目の前にいる人や、手を差し延べれば助けられる人の力にはなれないのです

 だから、「自分には長所なんてない」と思っていると、
 ただ自分で勝手にあきらめているだけなのに、人に手を差し延べられない→無力感に襲われるという、
 とんでもない悪循環にはまってしまうのです。


 「自分の長所を…」というと、ついつい自分本位に感じられてしまう気持ちはわかります。
 たしかに、自信を付けたり、自分を否定することを止めるには、
 「長所を探す」ことが手っ取り早いからです。



 でも。


 「長所」の本来の使い道は、人の力になるところにあります
 だから、積極的に、自分が人にしてあげられることを探す態度が、
 そのまま長所となり、人の力になり、幸せへと昇華していくのではないでしょうか
 「素敵な笑顔」の人がいるとしたら、それはチヤホヤされるためだけはなく、
 人に元気や希望を与えることで、その笑顔にも価値が出てくるというものではないでしょうか。
 だから、長所を探すこと終わりにせず、人にしてあげられることを探せば、
 必ず開ける道があると思うんです。



 自分の力を知れば、人に与えられるものがわかります
 自分を捨てるのは簡単ですが、それで幸せになれなくなってしまう人がいるのです
 だから、自分を卑下したり、おとしめるのは、
 自分ではなく、人のために、もうやめにしてみませんか



 どんなに小さな力でも、それで助かる人、喜ぶ人、幸せに感じてくれる人がいるのです。
 そこらへんを考えて、もっと自分を大切にしてみませんか。

笑顔のこだわり(^-^*)/

2012年11月20日 18時58分45秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 今日の産経新聞に、こんな記事が



 私これ、三年前からやっているんですよ!!
 未来を先取りしちゃった(笑)
 やっぱり、磨ける所は磨いたほうが、人にも喜んでもらえますからね(*^^*)

 私を大切に思ってくれている人たちのためにも、
 いつも魅力的な笑顔を追究し続けたいです。

横浜ベイブリッジ

2012年11月20日 03時33分11秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 先日、横浜ベイブリッジに行ってきました。

 …といっても、スカイウォークは閉鎖され、大黒ふ頭公園も寂れた雰囲気があるのみでした。
 でも、間近から見るベイブリッジ、大好きです。


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「引き寄せの法則」!?

2012年11月19日 20時37分32秒 | 青裸々日記。
亀戸天神社・菊まつりから(東京都江東区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 「引き寄せの法則」という言葉、皆さんは聞いたことがありますか!?
 簡単に言うと、「自分の考えと似たものと、縁ができるようになっているんだよー」という、
 半ばオカルト的な話なんですね。
 たとえば、「楽しいこと」を考えている人には楽しいことが起こり、
 「心配事」がある人には、その心配した通りの事が起こる、
 こんなことを言っているわけです。


 で。
 私だけかもしれないですが、この話、怖くないですか!?

 だって、生きていれば、いいことばかりではないじゃないですか。
 それに、四六時中ポジティブ思考をするのは、かなり無理があるというものですよね。
 疲れることもあれば、ふと弱気に、ネガティブになることもある、
 人間なら、これが当たり前だと思うんです。

 でも、そんな当たり前の「影の部分」すら認めないというのは、かなり苦しいのではないでしょうか!?
 そう、「ネガティブ思考」→「「嫌なこと」を引き寄せちゃうんですよ」と脅されるようなことを言われれば、
 感情の逃げ道がなくなっちゃいますよね
 だから、「引き寄せの法則」って、真面目に考えると、人を追い詰めるツールでしかなくなってしまうんです



 ただし、疑問も残りませんか。
 「引き寄せの法則」が本当にあるとしたら、心配性の人はみんな不幸になっちゃうしかないですよね(笑)
 でも、心配すると→必ずしも嫌なことが起こるわけではありませんよね。
 逆に、楽観的すぎて脇が甘くなってしまう人が不幸になっていることの説明がつきません。

 でも、もし「引き寄せの法則」にいい点があるのだとしたら、
 それは自分の感情をしっかり意識する大切さがわかる点にあると、私は思うのです。


 「ネガティブはいけない」と思うと、どうしても気持ちが滞りますよね。
 そうすると、前向きに考える力も弱くなる。
 つまり、「いいものを引き寄せたい」と思えばこそ、自分の感情の詰まりを吐き出す大切さがわかるわけです
 「ネガティブな自分を許し、受け入れる」から、前向きなものを引き寄せる土壌ができるのです
 いい気分でいるためには、単純にいいことだけを考えていればいいのではなく、
 自分の心に素直になっておく必要があるのです




 ネガティブを怖がっていても、どうせ心は強張り、悪くなっていくだけです。
 現実にいいものを引き寄せられるかどうかはさておき、
 いい気分でいるためには、自分がまずスッキリしておく必要がありそうですね。

 そうすれば、いい未来がついてくるのかもしれないのですから!

亀戸天神社・菊まつりから

2012年11月19日 05時59分16秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 昨日は亀戸天神社の菊まつりに行ってきました。

 結構な種類の菊が咲いていて、どれも魅力的でしたねえ。
 ここの菊まつりは、いろんな角度から切り取れるのが、好きな点だったりします。

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「ええかっこしい」。

2012年11月18日 22時34分24秒 | 青裸々日記。
エゴノキの花(東京都台東区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 「ええかっこしい」という言葉、皆さんは聞いたことがあるでしょうか!?

 これ、主に、関西地方で言われ始めた言葉で、
 「やたら体面や見てくれ、かっこよさを気にする人」を、半ばからかって言う時、口にする言葉なんです。

 これを聞いて、「へえ~」と思ったでしょうか。
 それとも、「あの人のことだ!」と、誰かを想像したでしょうか。
 はたまた、「もしかして、自分の話!?」と、ギョッとした方もいらっしゃるでしょうか。



 実は。

 私達は、「体面」や「見栄え」、「スマートさ」というものに、案外縛られていることも少なくないんです。
 極端な話かもしれませんが、まさか部屋着で電車に乗り、外出する人はいませんよね。
 これは「人の目」を気にしているからです。
 「自分がどう見られているか」を気にするから、人に気分をよくしてもらったり、不愉快な思いをさせずに済むようになるんです
 だから、「自分の見てくれを気にする」というのは、本当は人を思う気持ちから出る、素敵な心構えのひとつなんですね。
 ゆえに、「ええかっこしい」という意識は本当はいいもので、
 ある程度は、「見てくれに縛られている」というのも、あながち悪いとは言い切れないことなんです。



 ただし。
 この「ええかっこしい」が、悪い方向に働くこともあるのです。

 人の目を気にすると、どうしてもより良い見られ方をしようと、頑張ってしまいますよね。
 そしてまた、頑張ればこそ、
 相手がどれくらい満足したり、受けとってくれたのかも、
 それはそれで気になります。

 ということは、「より良く見られたい、与えたい」とする意識がかえって萎縮や不自然さを産み、
 せっかくのあったかい気持ちが、マイナスに働いてしまうことがあるのです。


 さあ、思い当たる節のある皆さん、いらっしゃいますか!?

 この「ええかっこしい」という意識にがんじがらめになってしまって、なんにも出来ないというのは、
 本来のあったかい気持ちを出せないのですから、こんなにもったいない話はないと思うんです。


 そこで、質問です。

 皆さんは、「スマートに振る舞える人」とか、「器用に意思を伝えられる人」しか認めない…、
 こんなこと、あるでしょうか
!?
 多少は不器用でも、芯があったかければ、だいたいは認めてあげますよね
 それならば、無理矢理「ええかっこしい」と虚勢を張らなくても、
 案外、大丈夫な場合も多いのではないかと思うのです



 「ええかっこしい」も、良し悪しです。
 自然体でいても、それで結構上手くいくことがある、
 このことを、もう少し信じてみてもいいのではないでしょうか!?

毛むくじゃら(*^_^*)

2012年11月18日 11時57分05秒 | 雑感、雑記
 こんにちは
 今日も皆様、ありがとうございます。



 なんだか見ていておもしろかったので、撮ってみました。

 すすきの仲間なんだとは思いますが…、名前がわからなくって、
 ちょっと残念。
 でも、なんだか見ていて癒されますよね。


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わからなくていいこと。

2012年11月17日 20時17分31秒 | 青裸々日記。
コスモスの花(東京都千代田区)

 こんにちは。
 今日も皆様、ありがとうございます。



 この世の中、「わかっていないことがあってはならない」という強迫観念があるのではないか
 私はそんな気がすることがあります。


 たとえば、「一人前」とか「気配り上手」、「優しすぎる」などと言われる人は、
 ただでさえ知識や感度が際だっているというのに、
 相手の想像が及びもしないところまで考えていたりもするもの。
 人並み外れた人がいれば、やっぱり、そのインパクトゆえに、自分と比べてもしまうでしょう。
 そうすると、「私はあんなふうになれない」とか「世の中、厳しすぎる」と、
 自然体で生きていることに、どこか罪悪感を覚えてもしまいますよね。



 …それが問題なのです。


 誰だって、楽しいこと・利益になることであれば多くを知りたいと思うものだし、
 人の気持ちだって、出来るだけ察してあげたいとも思うでしょう。
 でも、及ばないことだって、ありますよね。
 どんなに頑張っても、自分のキャパシティーを越えたことはできないのです。



 そして、忘れてはいけないことがひとつ。

 私達は、「知らないほうがいいこと」という考え方の重要さを、もう少し考えたほうがいい気がします。


 たとえば、自分の陰口を叩いた人がいるとします。
 でも、自分はその内容を知らない場合、その陰口について、詮索する必要はあるのでしょうか!?
 世の中、完璧な人なんていません。
 だから、悲しい話かもしれませんが、陰口だって、いつ誰にどう叩かれたって、本当は全くおかしくない話なのです。
 それに、本人の前では気分をよくしていたいからこそ、フラストレーションは裏で晴らして、笑顔でもてなそうとする努力なのかもしれない
 そこを、「全部を知らないと!」と詮索するのは、
 つまりは相手に因縁を吹っ掛けているのと何ら変わらないわけです。

 もちろん、「知識」だってそう。
 無理矢理に仕入れた知識があっても、それを使いこなせなかったり、自分が萎縮してなんにもできなくなってしまうなら、
 そんなものは、知らないほうがいいのではないでしょうか!?


 知識や洞察力は、あるに越したことはないのかもしれません
 でも、自分のその知識や洞察力にやり込められてしまう…ということだってある
 だから、「わからないから」と言って平然としているのも、たまになら悪くはないと思うのです


 「わからない」と言える勇気ひとつで、楽になれることもあります。
 学ぶ気・知る気は大切ですが、それが全てではないことを頭の片隅に入れておくと、
 「わからないこと」が多いから、せめてわかることを大切にしようという気にもなれるのです。

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