青裸々日記 Aorara Diary

真面目で一生懸命な人に寄り添うブログです(^^/
あったかい未来が、きっと待っています。

鵜呑み。

2009年12月25日 23時49分38秒 | 青裸々日記。
東京ミッドタウン(東京都港区)

 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 私はよく、人生論の本や、自己啓発本を読んでいます。
 たいていは自分で開拓していくんですが、
 中には友達から薦められたものや、
 自分で選んで買ったとは言えど、
 高飛車な物言いで「戦闘状態」になってしまうような本もあります。

 そして現在も、そんな本と戦闘状態だったりします
 (こんな悪い物言いなので、題名なんて紹介できないんですが(笑))。
 だから「なにくそ」という気合いと根性だけで読んでいます。


 じゃあどうしてそんな苦しむような真似をするのかと言うと、
 答えはただ一つ。
 「自分のキャパを拡げるため」です。
 十人十色と言うように、
 色々な価値観、
 特に自分とは相容れない価値観の人の話は、
 勉強になるんです。

 ただ、「高飛車な物言い」と書いたように、
 ともすれば自分の価値観を見失ったり、
 自信をなくしてしまう場合もあります。
 それを承知で読むんです
 一度の高飛車な意見でドロドロになる位の価値観なら、
 むしろその本をガイドラインにして、
 新しく価値観を磨き込むほうが賢明です。


 本の鵜呑みはイケナイと言われますが、
 一度、丸ごと鵜呑みにした上で、それに自分の目指す方向に応じてその本の意見をアレンジしていくのもひとつのやり方だと私は思います。
 そしてこれが出来る人を、
 人は「キャパが広い人」と言うのではないでしょうか。

クリスマス

2009年12月25日 11時24分36秒 | 雑感、雑記
 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 12月25日。

 私はクリスチャンとして、
 すっとこどっこいの甘ったれながらも、
 この日の重さを噛み締めようと思います。


 宇宙なり人類なりに学問的な起源があるとしても、
 結局やはりこの世界は神様が創って下さったものなのではないでしょうか。


 そして誰でも、もちろん私も。
 神様が創って下さったんだと思うんです。

 でも、何をもって不徳とするとはさておいて、
 生きていれば、その神様から借り受けた自分という存在を、
 悪いことに使ってしまうこともあるはずです。

 それをなんとかするために、皆さんが知っているようなことが起こったのが、
 今日という日なのです。


 今日は全ての存在という存在に対して、
 その後ろに神様がいらっしゃるのかもしれない、
 こんな想像をしてみて下さい。

クリスマスプレゼント・聖夜が淋しい皆さんへ。

2009年12月25日 02時22分22秒 | 青裸々日記。
 こんにちは。
 今日もありがとうございます。



 私は大学で英文科にいました。
 別に名門校でもないし、
 講義が簡単で簡単で退屈だったんですが、
 ある時イギリス(かどこか)の物語を訳す課題が出されて、
 その内容になんかものすごく感動したんですね。
 その物語を、覚えている範囲で紹介しようと思います。


 記憶では、こんなあらすじでした。

 ☆ ☆ ☆

 街角で若い女性が泣いている。
 昔付き合っていた彼氏のことを思い出して、
 現在は誰も隣にいないことに途方もない淋しさに襲われ、
 涙が止まらない。
 そこへ老人が通りかかり、自分の心境を語ると、
 「あなたは彼を失ったんじゃない。隣にいるじゃないか」と諭す。
 でも意味なんてわからないので自暴自棄になっていると、
 「そうか」と微笑んで立ち去る。
 一週間たち、二週間たっても涙は止まらない。
 それからしばらくして、思い出のカフェでやっぱり泣いていると、
 そこでまた老人と出くわす。
 「ほら、二週間ずっと彼は離れなかったんだよ」と諭す。
 でもやっぱり意味がわからない。
 で、1か月がたち、2か月がたち、
 忙しくもなにか心にひっかかるような毎日を送る。
 そしてある日のこと、バスを待っていると、
 みたびその老人と出くわす。
 「またあなたは彼がいるとか言って傷口に塩を塗り込めるんだろう」と問い詰める。
 すると、老人はこう優しく言った。
 「君は素敵な目をしているし、毎日立派に頑張っている。
  服のセンスもいい。
  でもこれ、元はみんな彼のために頑張って手に入れたものだったんだろう?
  嬉しい思い出も辛い気持ちも、
  みんな彼がくれたものなんだよ。
  現在のあなたの素晴らしい所全てに彼が宿っているんだ。
  だから…」
 全てを話し終える前に、老人の姿は透明になったかのようにどこかへ行ってしまった。


 ☆ ☆

 どうでしょうか。

 皆さんが抱えている淋しさは、
 元はといえば、誰かと一緒にいられないから、という場合も多いかと思うんです。


 でも。


 その淋しさも、悔しさも。
 好きな人のためにやってきた努力も。
 恋が弾けて、道を見失って必死にもがいた経験も。
 人を好きになったことで触れられた経験も。

 もっと言うと、
 これまで好きな人がいたことで、
 現在の自分がいることも。


 みんな、大切な人がくれたものです。


 恋愛が上手くいかなかったり、
 破れてしまった人、
 そしてまさにその最中だという人も。

 報われなかったということの裏側で、
 必ず何かを得ています。
 そして、その恋がどちらにどう転ぼうとも、
 大切な人がくれた宝物が存在するはずなのです。



 「好きな人がいたことで?」。

 その答えが、皆さんへのプレゼントです。

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