道端鈴成

エッセイと書評など

Tube's dilemma:仙石官房長官の害について

2010年10月14日 | Tube's dilemma
【衆院予算委】陰の首相・仙谷氏の「独演会」 はぐらかしや逆質問を連発 漂う虚脱感 (産経新聞、10月13日)

  衆院予算委員会が仙谷由人官房長官の「独演会」となりつつある。質問者が菅直人首相に答弁を求めても割って入り、声を荒らげたり、けむに巻いたり、逆に質問したり…。「陰の首相」との“異名”では不満なのか、政権の「顔」として振る舞う異様な姿に、衆院第1委員室は虚脱感だけが漂った。・・・・・・

  首相も自らの答弁に自信がないのか、仙谷氏の代弁に満足している様子。後ろの仙谷氏を振り返りつつ、遠慮がちに手を挙げることもしばしばだった。

  12日の予算委では自民党の石原伸晃幹事長が尖閣諸島への民間人立ち入りの是非を問うと、仙谷氏が「原則として何人も上陸を認めない」と答弁し、首相は「官房長官の答弁の考え方で対応することが適切だ」と同調しただけだった。 12日の予算委では自民党の石原伸晃幹事長が尖閣諸島への民間人立ち入りの是非を問うと、仙谷氏が「原則として何人も上陸を認めない」と答弁し、首相は「官房長官の答弁の考え方で対応することが適切だ」と同調しただけだった。・・・・・ 以下略


「小村寿太郎を僭称する柳腰官房長官」 (阿比留ブログ 10月13日) 

 ビデオ公開をしぶっている仙谷由人官房長官についてでありますが、昨日の衆院予算委員会で実に面妖な答弁をし、勝ち誇っていました。・・・・・ 以下略


仙石氏は、外交や経済政策は出鱈目でもその言い訳や責任転嫁には熱心という民主党政治のありかたを象徴する実力者なのかもしれない。言い訳が居直り、逆ギレ気味なのは仙石氏の性格もあるだろうが、鳩山内閣のソフトな誤魔化しと比較して、民主党政権末期の有様を示してもいるのだろう。仙石氏は、中国の文化大革命に肯定的に言及したり、思想的な根っこのとこころは、全共闘時代の段階からいまでもはなれきらないらしい。彼の頭の中では今だに毛主席は革命の理想の輝かしい星で、文化大革命やチベットなどでの膨大な犠牲者は存在しないのかもしれない。この人はひたすら日本が反省していれば平和が維持されるとでも考えているようで、「マオ」「共産主義黒書」もまともに読んだことはないのだろう。そして、20世紀後半になってからも生じている国際的悲劇の原因をまともに考えたこともないのだろう。

週刊ポストの記事によると、仙石氏は菅首相のことを親しい友人にはひそかに「弁理士総理」とか呼んでいるらしい。記事の真偽は分からないが、東大法学部在学中に司法試験に合格したのが自慢らしい。なんとも志の低い話しだが、真理にいかに到達するかの論理の方向という観点からすると法の世界と科学の世界は対照的である。法の世界では正当化の論理を基本とし無謬性を求めるのが基本なのに対し、科学の世界は可謬主義の立場にたち仮説検証を基本とする。実際家も科学者も経験から学び仮説を検証し、事実に合わない仮説は棄却、修正するという柔軟性を持っている。一方、権力志向が強い一部の法技術者においては、法を物象化して、法がそなえる正当化の論理と無謬性への志向を自己主張の根拠とする傾向も生ずるようだ。全共闘運動以来、権力闘争の世界に身を接してきた仙石氏にとってまともな法律家の律儀さはもはや無縁なものだろうが、強引な正当化と誤魔化しをして恥じない仙石氏のメンタリティーは、本人のもともとの性格や化石化したイデオロギーへの固着だけでなく、科学者や実際家にみられる仮説検証的な事実への謙虚さの欠如と、一部の堕落した権力志向の法技術者にみられる肥大化した自己正当化癖も加わって生じたもののように思える。

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