道端鈴成

エッセイと書評など

加治屋町:維新ふるさと館

2006年09月09日 | 雑談
河端「しばらく見なかったね。」
道端「はい。出張で鹿児島へ行ってました。行き先がちょうど加治屋町だったので、維新ふるさと館を見学しました。100メートルそこそこの町内から、西郷・大久保、大山・東郷などの世界史に残る維新、日露戦争の偉人を輩出しているのには驚きました。実際、歩いてみると本当にご近所です。」
河端「地域で長年はぐくまれてきた武士の気概、精神と薩摩藩での教育の蓄積、産業や地理的な条件などが、近代日本における時代の要請とむすびついたのだろうな。」
道端「地元の人と話しをしたのですが、西郷・大久保の頃の十分の一の気概でもあったらとか嘆息してました。」
河端「そうだな維新の頃の志士の気概は半端ではないからな。素地には命や安逸をものともしない武士の苛烈な名誉心、義務感がある。もはや我々にはないものだ。また藩校での学問の錬磨の蓄積や新しい西欧の学問への好奇心がある。そして時代の状況が、日本の再編を要求した。それに、尊皇を機軸にして答えたのが、明治維新だ。そうした大きな課題を見事に担ったということだろうな。」
道端「気概はたしかに重要ですね。フクヤマあたりが「歴史の終わり」で言っているthymosは、たんなる知でも、欲望でもない、認知を求める自尊心といったある種の自我拡張の欲求が中心ですが、西郷や大久保などには敬天愛人というように、ある種の無私の精神が基底にあります。ここでいう気概は、大きく分けると、たんなる知でも、欲望でもない、thymosで良いでしょうが、そのあるタイプということになるような気がします。仏教の影響をうけた武士道に裏打ちされた、尊皇の、無私の気概とでもいうことになるでしょうか。」
河端「なんだかややこしいな。」
道端「維新ふるさと館で勉強したのですが、生麦事件での無礼打ちから、薩英戦争、一戦まじえてから、互いに相手を認めあうような形での薩英同盟のへの流れが、いい感じで、なかなか面白かったです。梅棹のいうユーラシアの両端で並行して進化した封建制と騎士道、武士道という指摘を思い出しました。」
河端「道端君は歴史に弱いから、良い機会だったね。」
道端「維新ふるさと館は、展示も、ホログラムとロボット、遺品、解説図、など実物と視聴覚技術をうまく組むあわせていて効果的で感心しました。それに案内のお姉さんがすごく良かったです。」
河端「おいおい。結局、案内のお姉さんかい。」

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