ココロ磨きの寺あそび

むかしむかし、寺はみんなの心の拠所であり生活の工夫を重ねる場であったようです。

戒律と僧

2011年02月28日 10時29分57秒 | こぼれ話

■チェンマイ 暮らしに息づく仏教

タイ北部の観光都市チェンマイは大昔、北タイ一帯を治めたラーンナ・タイ王朝の首都として栄えたため、町には百を超える古い寺がある。出張ついでにいくつか訪ねて驚いたのは、どこに行っても多くの十代の少年僧が熱心に修行していたことだった。案内してくれたベテラン女性運転手のウボンさんが言う。「寺に中学や高校があり、一切の費用が免除されることもあり親は男の子を寺に入れたがる」。出家僧と同じ黄色い僧衣を着ていても彼らはまだ十代。つい頑張れと声をかけたくなった。「ところで私の車にお坊さんが一人で乗ることはできません」。二百二十七の戒律の一つが、僧侶は女性と二人きりになることを禁じているからだ。出家僧は結婚は許されず、高僧になっても僧衣は若いときと同じだ。厳しいタイ仏教だが、庶民生活にも教えは息づいている。タイを理解するには自分にも座禅くらい必要かもしれない。 ソース

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※「戒律」を守っている僧はリスペクトされる。


2月の阿吽例会

2011年02月21日 23時41分13秒 | こぼれ話

2月の阿吽例会は3名。Kさん、Nさん、そして私。ご住職ほか、皆さん都合が合わなくて、こういうときもあります。お料理は「豚しゃぶしゃぶ」でした。人数が少ないときは、話題も「深堀り」の傾向になります。ふだんから気になっている話題を、この機会に深堀りをします。これが結構、役に立ちます。でも、やっぱり参加メンバーは多いほうが場がにぎやかになります。その意味では「阿吽例会」の開催方法に工夫が必要になってきているみたいです。イオンが葬儀ビジネスに進出したことで「葬儀」が独自のイベントとして認識されるようになってきて、「寺」の存在意義がクローズアップされています。昔は「寺子屋」などとも呼ばれ、私たちの暮らしと密接な関係にあった「寺」も、最近では本堂の前に金属製の堅牢な門がつくられて、これがピッタリと閉まっている姿を見ると、まるで「自分が拒絶された」ような強い違和感を感じる場合がある、という話がありました。「木」が持つ温かみは「受容」の表現、そして「金属」が持つ堅牢さは「拒絶」の表現と映る場合があるのですね。仏教デザインは、目で見るだけでなく「こころ」で「観る」ことの大切さを教えているようです。

 


星祭り節分会 洞泉院 その4

2011年02月04日 22時20分26秒 | こぼれ話

読経のあとは恒例の「豆まき」。今年が厄年の人たちが豆をまきました。「鬼は外」とはいわず「福は内」の掛け声だけの豆まきでした。

「福は内」・・・

「豆」を拾う人たち。

用意した「豆」は、全部「豆まき」に。

ひきつづき、たのしい「ガラまき」が行われました。

(つづき)