ココロ磨きの寺あそび

むかしむかし、寺はみんなの心の拠所であり生活の工夫を重ねる場であったようです。

2月の阿吽例会

2011年02月21日 23時41分13秒 | こぼれ話

2月の阿吽例会は3名。Kさん、Nさん、そして私。ご住職ほか、皆さん都合が合わなくて、こういうときもあります。お料理は「豚しゃぶしゃぶ」でした。人数が少ないときは、話題も「深堀り」の傾向になります。ふだんから気になっている話題を、この機会に深堀りをします。これが結構、役に立ちます。でも、やっぱり参加メンバーは多いほうが場がにぎやかになります。その意味では「阿吽例会」の開催方法に工夫が必要になってきているみたいです。イオンが葬儀ビジネスに進出したことで「葬儀」が独自のイベントとして認識されるようになってきて、「寺」の存在意義がクローズアップされています。昔は「寺子屋」などとも呼ばれ、私たちの暮らしと密接な関係にあった「寺」も、最近では本堂の前に金属製の堅牢な門がつくられて、これがピッタリと閉まっている姿を見ると、まるで「自分が拒絶された」ような強い違和感を感じる場合がある、という話がありました。「木」が持つ温かみは「受容」の表現、そして「金属」が持つ堅牢さは「拒絶」の表現と映る場合があるのですね。仏教デザインは、目で見るだけでなく「こころ」で「観る」ことの大切さを教えているようです。

 


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