若竹屋酒造場&巨峰ワイナリー 一献一会 (十四代目日記)

何が酒の味を決めるのか。それは、誰と飲むかだと私は思います。酌み交わす一献はたった一度の人間味との出逢いかもしれません。

ラベルと味の表現

1998年12月27日 | 業界人進入不可
酒(日本酒)の多くのラベルには味を表現する、または連想される言葉が書いてある。これに強い疑問を感じているのは僕だけだろうか?
問題なのは、「造り手」が味を言うことだ。それは、「売り手」の仕事を奪い、「飲み手」の楽しみを奪っていないか?

「造り手」の味の表現はだいたい似通っている上に、押し付けがましい。例えば、ラベルに「辛口」と表現している酒は数知れず。そもそも「辛口」とはどんな味をいうのだろう?
僕は基本的に酒はすべからく「甘い」ものであって「辛味」はないと思っているんだけど。甘味の少ない酒の味をして辛いと言っているのだろう。

味の定義が出来ない「造り手」というのは、はなはだ心もとないものだ。以前「辛口」と書いてあった酒を飲んだら少しもそうは思えなかったので製造元へ直接電話して聞いてみた事がある(ひねくれものなのだ)。曰く『当社比です』。なんだそれは?ユーザーを馬鹿にしとんのか!?

吟醸といえばカタログなどに書いてある表現はどこでも一緒じゃないか。『○×山から涌き出る清冽な水と、○×盆地清涼な気候、そして熟練した○×杜氏の匠の技が醸し出す、フルーティな香り豊かで軽快な喉越しの逸品』って誰も読んでないって。
裏ラベルが凄いところもある。『このお酒は冷やしてお飲み下さい』、『このお酒にはヒラメのムニエルが合います』って余計なお世話だっつうの。

酒の味をうんぬん出来るのは「飲み手」の特権なのだ。大人の愉しみなのである。「飲み手」同士であれこれ話すのがいいんじゃないか。それをメーカーがごちゃごちゃ言うのは興醒めというものである。わかってないのだ。

世界中の嗜好品のなかで「造り手」が味の説明をしているものなどほとんど無い(と思う)。日本で造られる、酒とワインぐらいのものだろう。

では「売り手」はどうだろう? 僕はこの「売り手」のこれまでにも問題があったと思う。
「売り手」はもっと表現すべきなのである、自分が扱っている酒について。基本的には自ら旨いと思う酒を仕入れ、お客様のご要望を満たす商品を提供するのが大きな仕事の一つであろう。
だから、お客様の好みの味を聞き出すことと、提供する酒の味を表現するのは重要な職務なのである。

「売り手」はその職務を軽視していないか?多くの「売り手」が、苦しいとか厳しいとか言っているのを聞くと、そう思う。表現することを大事にしてきた「売り手」は繁盛しているのだ。

メーカーが書くから店が表現しないのか、売り手が出来ないと思って蔵元が書くのか…たまごと鶏とどっちが先かは知らないが、「造り手」はラベルに味の表現を書くのをやめたらいいと思う。

1998.12.27