オレンジ色の紫陽花

携帯から軽快に綴るおいらの日々。
…だったのだが、ツイッターのまとめブログに変更。極稀にこっち単独の記事もある、かも。

乗鞍岳

2006年11月11日 23時38分31秒 | 新・携帯日記
「なぜ山に登るのか?」
登山家は、そこに山があるから、と答え
おいらは、
そういうことになっているらしいからだと言う。

御嶽山の七合目に行くロープウェイの中から。
(登山なんてしてません、て。
そんな重装備はしていきませんでした。)

手紙

2006年11月11日 17時37分55秒 | ほぼ、文庫本
手紙/東野圭吾/文春文庫
キーワード/兄弟、合同殺人、サクラ印、バイト、音楽、通信、大学、田園調布、就職、結婚

…キーワード、きりがないから強制終了。
今月封切られた映画の原作。実はこれ見ようか涙そうそうにしようか悩んだんだけど(悩んでそっちかよ!というツッコミはおいといて)、丁度本を読んでるところだったので涙そうそうにした、といういわくつき。

で。
一回目は、読みながら途中からがんがん飛ばして読んでました。なんでだろう、あまりの不幸ぶりに目を覆いたくなったのもあるし、早く結論まで辿り着きたかったのもあるし、ともかく、救われたかった。主人公が何らかの形で僅かでも救われるなら、読んでるおいらも救われるような気がしてな。
でも、走り読んでしまったら、え!終わり?!え?!て感じで、救われるも何も、こんなとこで?これで?って疑問しかわいてこなくて、何一つ納得していなかった。

ので、折り返し二回目に突入。走り読み始めたあたり、第三章くらいから読みました。で、ようやく色んなことが目に入ってきた。

映画は原作とは違います。それは監督(もしくは脚本家)がそう言ってます。おいらは新聞で読んだかな。ミュージシャンを目指してるところをお笑いにするとかね、なんかそういう風に、少しでも明るさを取り入れたかったんだとか。確かに、これを原作に忠実に映画化したら、すっごい重い話になると思った。(でも山田孝之の歌は聞きたかったなあ。似合いそうだよなあ)

映画は見てないけど、予告は見たことあるし、本屋で予告クリップが流れてる。あと、試写を見たのであろう人達、有名無名を問わず、の感想も読んだ。それによると、社長の言葉が泣けるんだそうだ。あーそうかも。本では後半のキーワードだ、多分。全編を通してのキーワードとも言える。これをすっ飛ばしたおいらは、失敗した。読み取れなかった。

重いよ。
ほんとに重いよ。
おいら、まだこの本は腑に落ちてない。
結果が見えにくいし、落としどころはどこにあるんだか、さっぱり見えない。いやそれこそが、この本の落としどころかもしれないけど、納得できない。おいらの中ではちっとも終わらない。なんだいこれ!

でも、多分そういう事なんだろう。
そんなね、何でもかんでも腑に落ちて、納得ずくで、良くも悪くも結果がきちんと出て、っていうふうには世の中回らない。理不尽な、或いはそれ以前の話で終わらされている(誰も望んではいないのに)話が多い、それしか無いかもしれない、生きるってことは。
それでも、生きる。
しかも、それは決して一人ではなく。
生きていればなんとかなる、なんてのは慰めにもならないけど、それでも生きる。
明日が、今日と同じかどうかは、明日が終わるまで分からない。
そして明日は、生きている限り絶対にやって来る。(勿論、地球が回っている限り、て前提で。)

だから、おいらは、生きるのだ。
今日、答えが出なくても、腑に落ちなくても、納得できなくても、救われなくても、
いい。
だから、明日に生きるのだ。