11月4日 横浜根岸界隈へジオキャッシングに出かけました。過去何度となく訪れているエリアです。海岸線から急速に立ち上がる地形に何度となく苦しめられました。。。。。
根岸駅から磯子駅周辺を徒歩でハンティング。。。ジオキャッシングもさることながら今回はそのうちのhttp://coord.info/GC2TAMK Negishi Airport訪問はとても興味深いものでした。説明版はhttp://coord.info/GC2PC23 Mammoth Pool近くにありむしろこちらの方が根岸空港関連ではありますがキャッシュオーナーが異なる為らしいです。
この二つのキャッシュ間に根岸空港はありました。空港と言っても飛行艇の離着水エリアで現在は埋め立てられ曙町となっています。

1940年民間航空会社大日本航空会社により当時の統治領サイパン、パラオなどに定期航空路線を飛ばしていました。97式から1942年には飛行艇としては世界で最も優秀な性能を誇った川西二式大艇の運用が始まりました。
二式大艇は悲運の名機と言われ本来の性能を活かせない任務で消耗し終戦時残存数は4機、内2機は試験評価の為ここ根岸からアメリカに渡りました。後年米軍の予算削減でスクラップの運命にあった二式大艇は故笹川 良一の働きかけと資金提供で日本に返還され船の科学館に屋外展示される事に。。。。。
返還後展示を見に行きましたが米軍側の保存処理の素晴らしさに驚いたものです。機体を空気に触れさせない為パラフィンコートされていました。その後数十年野ざらし状態の展示後、船の科学館の経営悪化と共に二式大艇は迷走し現在は鹿屋航空基地に屋外展示されています。巨大な飛行機を屋内に展示する博物館は無かったらしい。。。せめて屋根を掛けて欲しいところ。。民間や行政への移譲でボロボロになっていくより自衛隊に引き取られたのは二式大艇にとってせめてもの救いだったのかも知れない。。。
現存する旧軍用航空機の展示は殆どが墜落した機体の復元で完全なオリジナル状態での展示は当方の知る限り殆ど無い。 機内の装備もオリジナル状態で無線機から電探、計器に至るまで極めて保存状態が良かった。。。無いのは銃座の防御用20mm機関砲

(wikiより画像転載)
飛行艇の話題を見聞きすると毎回思い出す出来事があります。
1992年1月 三沢基地からハワイへ向けF-16をフェリー中だったCaptain John Dolan(当時の階級)は本州岸から680nautical miles離れた太平洋上でエンジントラブルでイジェクト。当時救助できる米軍艦船は無く厚木からUS1-Aが救助に向かい25ノットの風と9-12ftの波高の中着水救助。低体温と戦いながら孤独に死と向かい合っていた大尉は数時間後厚木基地米軍病院に無事収容されました。この救出の記事は全米で報道されたようですが日本では殆どニュースになりませんでした。
後日米軍はUS-1A救難クルーに対し山王ホテルで米軍殊勲章を授与し救難クルーとの再開を希望したドラン大尉の希望を叶えました。彼自身パイロットだからこそ如何に難しい救難ミッションであったかを理解していたはず。。。涙で救難クルー自衛官と抱き合う彼の姿にはそれを物語るものがありました。
この事はAir & Space Magazine, Jan. 01, 2003
http://www.airspacemag.com/military-aviation/giant_amphibian.html
にも掲載されています。原文一部抜粋
It was a Squadron 71 crew that rescued Captain John Dolan in 1992.
Captain Dolan is now Major Dolan, an F-16 flight instructor in the Air Force Weapons School at Nellis Air Force Base in Nevada. Of his 1992 rescue, he says: “From ejection to rescue was a whole series of miracles.” No other aircraft in the world inventory could have gotten to him in time in the sea conditions he was experiencing. “Six hundred and eighty nautical miles from shore,” he remembers, “nine- to 12-foot seas, 25-knot surface winds, and I am here to tell the story!”
インタビューの中で当時私を救える航空機は世界中にUS-1Aしか無かった。。飛行艇は消えゆく運命だが。。。と述べているのは正しく飛行艇の未来を暗示していますが少なくとも維持すべき理由のひとつはここに見いだせるかと。。。。

川西97式、二式大艇からUS-1 US-2へと脈々と引き継がれる高度な技術を終わらせるには航続距離2000kmを超える救難ヘリコプターの登場を待つしかない。。。。
2010年8月12日 韓国イージス艦での急性胃穿孔出血性ショックの患者救難でもUS-1Aは出動したが韓国側からの公式な謝意表明は無かった事に国家間関係の違いを見る。。

画像は先行指揮支援機 P3-Cオライオンからの撮影で防衛省公開画像