暁の広場

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DUCATI オイルクーラー装着編

2013-03-08 17:14:06 | DUCATI Monsterの整備

 

DUCATI Monstaer 400は世界市場でも浮いた存在。。日本の免許制度と強い要望によって無理やり作らされたモデルらしい。。。自分的には400でなくても600か900あたりの手頃なのがあったらそっちにでも良かった(今思えば)。。。ヨーロッパの一部免許制度による600ってあたりが日本市場の400クラスに相当するらしい。

さて空冷大排気量ツインエンジンでありながらドカのシリーズは700以下のモデルには殆どオイルクーラーが標準装備されていません。一般的使用では熱量的にそれが無くても大きな問題にならないからでしょう。

 空冷エンジンではエンジンオイルでの潤滑・冷却はまさに生命線です、、、走行風でエンジンやオイルの冷却を期待できない夏場の渋滞などではオイルクーラーがあると無しでは大違い。オイルの劣化は主に高温にさらされる事によって加速されるので過度の油温の上昇を抑えオイルクーラーと配管の容積分オイル量を増やせる事はエンジンにも優しくオイル交換時期の延長にもつながります。油温が上がりシリンダー・ピストンの冷却が十分出来なくなったら。。。。。オーバーヒートです。

 本来の用途はレースでの過酷な連続高回転による油温対策。。。。私には全く関係ない。

DUCATI モンスターシリーズはフレームが900と共通な為多くの部品が流用できます。オイルクーラーも流用が可能でクランクケースには未装着モデルでありながらオイルポンプ付近にオイルクーラー用の取り出し口がついています。(オプション用)言い換えればボアダウン・スケールダウンしたやっつけ仕事のモデル。。キャブレーターでさえ共通でジェット番号が異なるのみzzz 流用しやすいメリットは確かにあるが。。。口径大きすぎるよ。。。

 つまり何の改造をしなくても上位モデル部品が装着できる可能性があります。。無くても当面困らない機能アップ部品ながら部品で発注すると数万、、、解体部品を探してみました。

 998用が¥1200で出ていました。。実は多くの解体部品オイルクーラーにはクランクケース側の取り出し口部品がついていません。クランクケース・エンジン側の部品なのでエンジンASSYに含まれます。これのみの調達が難しく新品となると結構高い! この部品2個がついたオイルクーラーが¥1200.。。 部品取りに購入しました。

 モンスターオリジナルでは前バンク(ホリゾンタル側)のインテーク側(上部)タペットカバー上に装着しています。その為長い配管パイプで取り回しが必要。。。998ではエキゾースト側(下側)取り付けで地面とのクリアランスが大きく異なります。この配置の違いはそれぞれ必要性があったからですが機能的にはあまりかわりません。

オリジナル位置

998取り付け位置

 下側取り付け位置ではフロントタイヤに近く小石や雨天時のハネが避けられません。事実入手したオイルクーラーも中央部の放熱フィンが小石のヒットで潰れてる。。。。

 長い配管パイプであればオリジナル位置に取り付け可能、、、でも短い(別車種部品なんだから当たり前)。 998の様に下側なら取り付け可能です。。今回は下側に取り付けを試してみました。

 取り付けには二箇所の現状変更が必要

 オイルクーラー取り付けステーはオリジナルではタペットカバーの形状自体が異なる専用品(高いzz) なので3mmのアルミフラットバーを加工してステーを製作しました。タペットカバーボルトを20mmから40mmに交換延長、15mmの真鍮パイプをカラーにして干渉を避けるようにしました。実際取り付けてみるとカラーは10mmでもOKでその場合はボルトは35mmです。。。

 

 

 クランクケース側オイル取り出し口。。部品はオイルクーラーに付いているのでアルミガスケットM14を追加して取り付します。(ガスケットは純正部品がある)

装着完了。。 前輪とのクリアランスも十分。。。エンジンを始動暖機しオイル量をチェック。。規定レベルまでオイルを補充します。。(あまり入らなかった200ccくらい)

アイドリングしてしばらく暖機しオイルクーラーの温まり具合と各部にオイル漏れがないかチェック。。。問題ありませんでした

エンジンの製造年、型式によってはこのオイルラインにリードバルブが無いものもありその場合はオイルクーラーバイパスへの抵抗が大きくオイルは流れず装着出来ても機能しません概ね2000年を境にエンジンは異なるようです。

同系列エンジンとは言え部品の流用性があるのは本当に助かる。。。

振動の多いエンジンで果たして大丈夫だろうか。。。。?? 良い子は真似しないでね^^ 


零式艦上戦闘機 君に会いに。。。

2013-03-07 18:12:13 | Weblog

 

所沢航空発祥記念館にいってきました。。訪問は数回目で子供の頃近所に住んでいたので変貌振りには毎回驚かされます。。当時は米軍所沢基地ですでに滑走路は無くOTHレーダーの鉄塔が自宅窓から良く見えたものです。

ゼロ戦の愛称でおそらく最も日本人に知られている航空機でしょう。。三菱A6M 零式艦上戦闘機 日本国内の展示機は外観のレストア(レストアとも呼べない酷い状態)で実際にオリジナル栄エンジンで空を飛べる機体は今回、所沢航空発祥記念館にアメリカ・カリフォルニア州のプレーンズ・オブ・フェイム(POF)博物館から貸与された零戦のみだと言われています。。

国内の展示機体はすべて墜落機の残骸から復元したものでオリジナル部品の残存率と言ったら寂しいもの。。数機の残骸寄せ集めから作られたものも珍しくありません。終戦後米軍はマッカーサー上陸までにすべての飛行可能機の処分を命令した為残存機の多くは破壊され焼却か地中埋没処理されたそうです。米軍は日本の航空技術・兵器技術を評価するために無傷の航空機を空母で本国に運び試験飛行を繰り返したそうです。

零戦 製造番号 中島 第5357号機番61-120、(垂直尾翼に書かれた識別番号の61は第261飛行隊の二桁を表示、現富士重工業群馬大泉工場で生産)この展示機体は1944年サイパン陥落のさい米軍海兵隊によって捕獲されたもので他の機体同様評価試験された後スクラップの運命から逃れた幸運の機体です。POFは大戦機のレストアで知られた博物館でオリジナルへのこだわり方は半端ではありません。。とりもなおさずその事はオリジナル航空機の価値を知っているからに他なりません。飛ばすだけなら信頼性の高い現代のエンジンに換装するはずです。大戦末期ろくな燃料もなかった日本に比べ米軍は高精製ハイオクタン燃料と高純度オイルで日本側性能評価試験時よりも高性能を発揮した機体が多かったとか。。。。

 レストアや維持管理の多額の費用を捻出する為にアメリカ各地の航空ショーで大戦機の空中戦デモンストレーションに出向きまた博物館展示収入そして多くのドネーションに支えられてきました。この辺の考え方は日本とは全く異なります。

展示機の貸し出し交渉は随分前から行われていたようですが東日本大地震後アメリカ側は貸し出し料を経費に掛る部分を除きすべて被災者に寄付する決定をしました。

 平日の昼過ぎとは言え多くの見学者がいます。。。地方からの見学者と見える方の大型バスも止まっていて車椅子のおじいさんは機体をじっと見つめ目頭を押さえていました。。。

製造されてからすでに70年当時も精度の良くないエンジンはオイル洩れは普通であったと言われ当機も栄エンジンの下には洩れたオイルを受け止める容器が。。。。つい数年前まで空を飛んでいた機体とは。。。当時でさえ不稼動機が多かったと言われるのに70年を経て稼動するエンジンと機体にはどれほどのメンテナンスが施されたのか。。。。。

オリジナルではエンジン始動はイナーシャハンドルをエンジンカウル横の穴に刺し込み人力で回したようですが米軍はセルモーターを装着! この機体では外部バッテリーで駆動しています。。。

 主翼面積の大きさがわかる一枚。。。。非力なエンジンを補った苦肉の設計 

零戦の日の丸マークは終戦に近づく程暗い赤になったと言われています。。。ペンキが不足し他の色を混ぜたとか様々な憶測が流れていますが機体は初期の鮮やかな朱色。。。レストア担当者は相当研究したようです。。。

零戦の垂直尾翼は後ろからみて左側が僅かに膨らんでいます。。。気を付けて見ないと解らない程度の差なのですが当時の設計者は単発エンジン3翔プロペラの回転トルクを打ち消す為に粋な設計をしました。翼と同じで膨らんだ側はベルヌーイの定理により空気の流速が遅れ回転トルクを打ち消す。。。。主翼は桁部分が浮き出てパネルに皺が寄っています。。。応力が掛った証拠で実際に空を飛んだ機体である事の証明です。。。主翼上半角がよく解る一枚

 

尾翼接合部には現代のブラインドリベットが。。。当時空気抵抗を減らす為に採用された沈頭リベットの様に見えます。。。零戦のフォルムの美しさはこのような接合部の微妙なカーブにあるのでは。。。

エレベーター根元に付けられたトリムタブ。。。このような細工は日本機ならでは。。。

右主翼先端  零戦の特徴でもあった艦載時の翼端折り畳み機構がありません。。。翼端に凹みと腐食と見られる孔があいています。。。

 

計器類の復元も展示されていました。。。復刻(製造メーカーが後年製作)された計器も含まれますが当時のオリジナルコックピット計器を再現。。。これは素晴らしい^^ 98式射撃照準器と思われる。。照準射撃時には顎をクッションに当て覗き込んだとか。。。当然の事ながらFCシステム等無かった時代で見越し量(動体射撃の基本)は操縦士の腕次第。。。

キャノピー。。。零戦の特徴の一つ。。日本は大戦機では最後まで一枚物ティアドロップキャノピーを実現できなかった。。。中央下に引き起こし式ステップが見える。。。速度、旋回性、上昇能力、長大な航続距離などの厳しい海軍の要求を満たす為に座席後部、コックピット側面、底面、燃料タンクの防弾板を廃し軽量化を優先して性能に特化した事は現代いたっても大きな過ちとして伝えられる。。。あまりの軽量化により主要構造桁の強度が低下。。。急降下速度制限が設けられるなどおよそ人命と安全性に配慮された機体とは言えない。 この機体も各所に応力による歪みが見られた。。。

ランディングギア(主脚)上部主翼上の頭部が白く塗られたピンが見えるだろうか。。。ランディングギアが降りている事を示すインジケーターで着陸の際重要なチェックポイントの一つ。。被弾によりハイドロプレッシャー・ロストで片輪着陸も多かったらしい。。。。

零戦(ゼロ戦)は何故人気があるのでしょうか。。。。多く作られた事もその理由の一つですが開戦当初の華々しいデビューにあったと言われています。。。当時の性能としては画期的な空戦性能や初めて兵装に20mm機関砲を搭載し抜群の破壊力を発揮した事。。。。これは現代の先進戦闘機F-22でも20mm機関砲が使われている事を思えば極めて先進的。。。 しかしながら他を寄せ付けない活躍(?)をしたのは初期のみで僅か数年後にはその性能は過去の物となり一発被弾すると燃える紙飛行機とまで揶揄される事に。。。大戦末期にはすでに時代遅れで2000馬力越えの航空機エンジンが普通の中にあって半分にも満たない栄エンジンでは高高度1万メートルを飛行するB-29は補足さえ出来なかったと言われています。。。

 哀しい運命を背負った零戦ですが。。この機体には何の罪も落ち度もなく身勝手な人間に振り回されただけなのです。。。今日こうして実機をみて改めて美しい機体だと感じました。。。

 フォルムが美しいだけではなく日本人の奥底に眠っている何かに訴えかけるものを感じずにはいられません。。。

  零戦は不幸な時代に生まれました。。。不幸な時代が無ければ生まれて無かったかもしれない。。でも零戦の技術は戦後航空機製造を禁止された間、、新幹線や色んな分野で活用されました。。きっとそんな時代には生まれたくなかっただろうが。。。。

 不幸な時代の生き証人として今尚動き続けている零戦61-120機。。もう十分君は働いた。。ゆっくり休んでいい。。しかし絶対に死んではならない