暁の広場

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一式陸攻見学記

2015-08-31 17:29:10 | Weblog

2015年8月29日 河口湖にある河口湖自動車博物館の飛行館に展示されているレストア中の一式陸攻を見学してきました。

長い交渉の末に残骸の一式陸攻を帰国させ復元している機体です。一式陸攻の完全機体は世界に存在せず数機が機体の一部が現存しているのみです。河口湖自動車博物館の航空館は一年のうちで8月の一か月間しか公開されていません。この時期を逃すと一年待たなくてはなりません。

一式陸攻(米軍名Betty)は火星発動機2発を搭載した多用途爆撃機 多くの日本軍機がそうであったように防弾装備には重きが置かれず一発被弾すると火だるまになるOne Shot Lighterと揶揄された。


倉庫のような展示館正面には零式艦上攻撃機21型がありました。素晴らしい復元具合でフライアブルを目指した復元であることがわかります。エンジンの状態も素晴らしく綺麗でしたが実際に空を飛ぶには多くの障壁があり膨大な資金も必要です。せめてエンジン始動公開はやってほしい。。。。


天井には特攻兵器桜花が。。これは一年かけていちから作り上げた機体だそうです。一式陸攻はこの特攻兵器桜花を機体下部に吊り下げ機動性が悪い状態で米軍機の格好の標的だったと言われています。このような無謀な作戦は戦争末期沢山行われたました。。


オリジナル部分は機体後部の一部で殆どがリバースエンジニアリング技術で新しく作られたもの。完成度はすこぶる良く尾翼も外されてはいるものの保管されています。主翼も制作されれば取付け可能なように胴体主翼部には接続部品もついていました。

エンジン搭載状態に耐える機体の復元はとても難しい。。当時と同等以上の機体強度を出さなくてはならず他の多くの復元やレプリカ機体ではエンジンが搭載されない理由でもあるのです。外装を整えて展示している機体とは別物の復元費用がかかる所以です。

 



後部銃座の20mm機関砲も再現されています


上部7.7mm旋回機銃座  機銃と呼ぶか砲と呼ぶかは現代では口径の違いにあります19mmまでは銃で20mmを超えると砲。。


一式陸攻の特徴的な日の丸内にあるハッチ。。ハンドルを回すと開けられますがアケルナと書いてありました。

沈頭リベット処理も丁寧で美しい。。塗装も美しいが果たして当時の生産機もこのようであったかは疑わしい


コックピットも(いやそう呼んではいけないね操縦席)も再現されていました。機内は入ることができないので詳細を知ることが難しい。。。せめて展示なら見学路に高い台をおいてほしい

リベットは塗装後に打たれたことがわかります。外板は歪もすくなくとても綺麗に貼られていました。これは制作が丁寧である証であると共に飛んでいない機体であることの証でもあります。飛行した機体では応力で外板の歪がよくみられる


機首は造形がとても凝っていて再現が難しい独特のRのアクリルガラスの製作が難しい部分。隣に機首の木枠が置いてあったこれも平面から作ったなら凄い。。。


91式航空魚雷  スクリュウーは二重反転式で触ってその動作を確かめる事ができる。何故二重反転なのかというと誘導装置を持たない当時の魚雷で単スクリューでは回転トルクで回転方向に曲がり易くなり直進しない。重量800kg一式陸攻と言えども運べるのは一発だけだった。。。


零戦21型レストア途中の展示もありました。機体のほとんどを新しく作っている様子が分かります。。このリブを一から制作する作業はどれほど大変で資金が要るのか。。。しかし構造物の桁やリブは極限まで細い!軽量化にいかに苦心したかが伺えます。零戦は三菱製造機なのに中島・・戦時中は三菱の生産だけでは追いつかず他メーカーも零戦を製造したらしい。他に復元された零戦52型もあり同一場所で復元途中も含め3機の零戦を保有するのは極めて珍しい。



復元中の一式陸攻についていた火星エンジンと4翔プロペラ。。。プロペラが曲がっていないということは駐機の状態であった事が伺えます。プロペラに貫通銃弾痕が見られる。。。悲しい歴史
当該機を日本に持ち込む際これらに付着した土が税関検疫で引っかかりトラブルとなったそうです。アルコールだかガソリンだかを掛けてボっと燃やし直ぐ消してこれでいいだろう。。。

隼一型 一型がプロペラが2枚。とても細身で小さいコックピットは極めて狭い私は乗れないだろう。。。中国大陸で妻を載せて特攻した記事がありましたが余程痩せ型の奥さんだったのかと余計な想像をしました。。。

機体は残存部分が多いこれも完全復元に至ってほしい

 艦上爆撃機”彗星”に搭載された日本軍機では珍しい液冷エンジン  ダイムラー・ベンツのエンジンのライセンス生産だったが当時の日本の技術レベルや工作精度、金属素材ではまともなエンジンは作れなかったらしい シリンダーブロックに被弾痕がみられます悲しい歴史遺産ですね。

 ヤードには他の展示機もありましたがおよそ展示できる機体のレベルではなくジャンクヤードが近い。。。

当館が一年で一か月しか開館しない理由とは。。。。。?

 河口湖自動車博物館は原田 信雄氏がオーナー(正しくは会社)で氏はF1レースに関係したりCIBIE輸入日本総代理店である株式会社HRCの代表だったりとか様々な業務をおこなう傍ら個人の道楽で歴史的遺産機の復元をしているならこれ以上のマニアックな満足感はないだろう。。。同じ場所で復元作業をするためには常設展示解放はできないのだろうか。。。

 う 羨ましい! ビンテージカーやフェラーリに囲まれ零戦や一式陸攻や隼を所有できるなんて。。

 悲しい過去の歴史遺産。。正しい事を言えなかった悲しい時代に思いを馳せ