先日、白鵬が千秋楽で優勝を決めた時の相撲が、立会いの変化技だったことで、ひどいヤジがとんだりしたのですが、「モンゴルに帰れ」とかあったそうですね。
原子力ムラの広告塔である舞の海はもちろん滅茶苦茶言ってましたが、さすが国技ですね。
サッカーだと、「モンゴルに帰れ」なんて許されません。
サッカーは国際的なスポーツですからね。
相撲ではあるのですね。
相撲なんてモンゴルから来た人たちのおかげでかろうじて今があるのに。
相撲自体は、もうモンゴルのスポーツでいいんじゃないですかね。
ニッポソの国技は差別ということでいいと思います。
これも先日ですが、銀座のヘイト・デモでカウンターの人が警察に暴力をふるわれました。救急車で運ばれた方もいるようです。
29日には、国会前でアホ法案廃止しろデモがありましたが、こちらではネトウヨが混じって来て暴れても警察は何もせず。
これで、ヘイト・スピーチ規制法を作るらしいです。
去年も野党は法案を出してましたが否決。
で、与党側が新たに出すつもりらしいです。
しかし、レイシストと仲良しでどう考えても差別のことを理解しているとは思えないアベ自民がまともな法案を出したりするのは無理だし、法律が出来たとしても今の司法が運用できるはずがないです。
今の日本全体に言えることですけど、今までのツケだと思います。
ぼくなんかもそうですが、長年、差別について無頓着すぎたのだと思います。
変な法律を作られるとかえっておかしくなりますよね。
当然、拡大解釈されては困るし、一方で、対象から外された場合は、堂々と差別されてしまうかもしれません。
実態があまりにもひどいので一刻も早く規制法が必要というのはわかるのですけどね。
アベ自民の間は、何してもやばいとしか。


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仰るようにモンゴル人のおかげでかろうじて盛り上がっているのに、モンゴル脅威論みたいなのがありますね。これ、経済ネタの、中国人観光客の爆買いを嫌中へと結びつけるのとよく似ていると思います。ちょっとねじくれた例として、相撲の立ち合いの件は競争(実力)の世界ならいいんじゃないかと言いつつの、中国人の爆買いをネタに排外趣味を楽しむって人がいるんです。たんに、モンゴルでは排外を発動せず中国ならするってことなんだと思います。頭わるいので矛盾に気づいていません。
この、相撲の件で反レイシズムっぽいことを言いつつの“分かりやすくないレイシスト”がけっこう問題だと思います。分かりやすいレイシストなら、ヘイトスピーチを肯定します。“分かりやすくないレイシスト”だと、ヘイトスピーチに否定的な見解を示しつつつ、在特会を在日認定します。在日による自作自演説を流布します。実際にいるんです。安倍晋三のことも在日認定しています。つまり、表向きは反安倍政治です。安倍のことなんかいくら攻撃してもいいし、少々の言いがかりもよいと思いますけれど、マイノリティへネガキャンするなよと思います。あろうことか、こんなのが反レイシズムを自称しています。ネトウヨ言論に「反レ側にレイシストがいる」がありますけれど、それは間違いで、そもそも反レイシズムと自称していることが嘘なんです。ネトウのは「日本人へのヘイトだ~」の言い換えですから、今私が書いていることと次元が違います。本当に反レイシズムの人ならネトウなんかに釣られないでソコに気づかんと! と思います。
私は、“差別はだめ”と当たり前のことを言いたいんですけれど、こういう指摘を嫌がる人が前述のレイシストの他にもいるんです。多分、レイシストと無批判な親睦をしてきた自分を認めたくないのだと思います。小さな倭(和)を「美しい国」のように守れば自公を倒せると思いたいのかもしれません。そういう人の自己弁護としては“多少の見解の違いがあっても共闘”ってのがありますけど、それはリベと保守とか、右とも目的が同じなら、という場合に用いる言い方であり、やはり次元が違います。とりあえず、個々人が、差別を差別と認識しないと日本の「国技」が続いてしまいます。
差別というものも高校生まで知らなかったし、在日コリアンの人やアイヌの人たちに対する差別があるというのは、かなり大人になってから知ったのです。
メディアでやらなくて学校でやらなくて家でも聞かないと、知りようがないというか。
差別にしたって有ったとしても過去のものとみなしていたという感じですかね。
アイヌの人たちに関しては、阿寒が近くて、子供のころはよく行っててムックリの演奏聴いてたけど、差別とか全然リアルなものとは思えなかったのですよね。
年取ってから知ったのはかなり衝撃でしたね。
いや、子供のころ知ってたらもっと衝撃受けたんでしょうけど。
自作自演という奴うざいですよね。
だれが新大久保で「韓国人死ね」なんてのを自演するんだと。