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(ども 火星人です。レイシストお断り)
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HPのほうに昨日出現した「無心の歌、有心の歌」のおまけ「天国と地獄の結婚」の冒頭で、「DOORS」の名前がオルダス・ハックスレーの「知覚の扉(the doors of perception)」からとられていて、この「知覚の扉」も、またブレイクの「天国と地獄の結婚」の中の、

If the doors of perception were cleansed every thing would appear to man as it is , infinite
(もし知覚の扉が浄められるなら、あらゆるものはその本来の姿、『無限』を人にあらわすだろう)

という部分からとられたものだということを書いたわけですが、

ホルへ・ルイス・ボルヘスという人(なんかルイボスティーが二杯ぐらい飲めそうだよね)、ってまあ、かなり有名な人ですが、この人の自撰短編集「ボルヘスとわたし」に「不死の人びと」という話があって、
これの冒頭に「ほら、もはやわれわれの目に晦(くら)まされることはないのだ」というルパート・ブルック(イギリスの詩人)の言葉がある。
作中には、ドン・ギリェルモ・ブレイクというイギリス人が出てくる。(変な名前だ、と思ったらギリェルモというのはボルヘスの父親の名前らしい)
筆者本人のあとがきでは、この短編について、
「ウイリアム・ブレイクは、もしわれわれの感覚が機能しなければ、--我々が唖(おし)で聾(つんぼ)で盲(めくら)・・・であるならば、--われわれはあらゆる事物をあるがままに、すなわち無限の状態において見るだろうと書いた。」(言葉遣いは、訳文を、そのまま書いております)

って書いてあって、この「奇妙な発想」とルパート・ブルックの一節(「ほら、・・」)から(この短編は)生まれたと書いているのだ。

どうも、ここら辺の感覚は興味をそそるらしい。

「知覚の扉が浄められる」なんていう言い方は、日本人的には、無とか無我の境地とかって感じで、さほど面白い(興味深い)ことでもないように思うけれども。

ボルヘスの言い方なんて、ずいぶんな表現で身も蓋もないじょ。なかなか面白いから、使わせてもらいましたって感じではないだろうか。
(本当にそういう感覚があるかも、などと考えて書いたようには思えない)

ついでに、

ボルヘスの使う「中国の百科事典」では動物は次のように分類される、すなわち、

a、皇帝に属するもの
b、香の匂いを放つもの
c、飼いならされたもの
d、乳呑み豚
e、人魚
f、お話に出てくるもの
g、放し飼いの犬
h、この分類自体に含まれているもの
i、気違いのように騒ぐもの
j、数えきれぬもの
k、駱駝の毛の極細の毛筆で描かれたもの
l、その他
m、いましがた壷をこわしたもの
n、遠くから蝿のように見えるもの

だそうだ。ってフーコーが言ってますぅた。




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