もずの独り言・goo版

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【みんな生きている】番外編

2010-07-26 21:16:48 | 日記
カンボジアは観光名所のアンコールワットで有名ですが、この国で1970年代に200万人もの人たちが時の政権によっていのちを奪われました。

ポル・ポト政権による処刑や拷問、大量虐殺。
その事件に関わった人物に7月26日、初めての判決が言い渡されました。
判決を受けたのは残虐な拷問で知られた強制収容所「S21」の所長だったカン・ケ・イウ被告(67歳)です。カン被告は拷問と人道に対する罪に問われています。
ポル・ポト政権は1970年代に「原始共産主義」を掲げ、都市の住民等を敵視した恐怖政治のもとで大量虐殺を行いました。200万人もの人が虐殺されました。実に国民の1/4が死に追いやられ、人口構成がいびつになりました。

慰霊塔に積み上げられた無数の頭蓋骨。
処刑場の跡は「キリングフィールド」(殺戮の野原)と呼ばれています。
その処刑場に送られる前の「政治犯」が拘束された強制収容所「S21」。そこはどんな場所だったのでしょうか?
畳1畳ほどの薄暗い独房。ここに2万人が収容されていました。
「ここが私の独房でした」
(強制収容所からの生還者、チュン・メイさん)

生還したのはチュン・メイさんたち7人だけでした。
「鞭で打たれて背中が腫れ上がって痛み、仰向けになれず横向きに寝ました。毎晩コオロギやヤモリ等、入ってくるものを何でも捕まえて食べました」
(チュン・メイさん)

手の指を折られ、足の爪を剥がされる。
チュン・メイさんは「様々な拷問を受けた」と言います。

チュンさんは7月26日、判決が言い渡される公判を傍聴するために特別法廷を訪れました。
「あの3年8ヶ月にわたる大量虐殺のような過ちを後の世代が繰り返さないためにも、(被告には)終身刑を望みます」
(チュンさん)

ポル・ポト政権幹部に対する初めての判決は

「被告を禁固35年に処す」
(裁判長)

判決の瞬間、カン被告は起立したまま無表情で裁判長を見つめていました。これまでの未決拘留日数等を差し引くと、カン被告の実際の服役は19年間だといいます。

「短過ぎます。彼の刑期がこれっぽっちで済むなんて、カンボジアの未来はありません」
(チュンさん)



※この世に強制収容所なんていらない。

北朝鮮の強制収容所については
【みんな生きている】
強制収容所編
(1月21日掲載)
【みんな生きている】
北朝鮮人権侵害告発編
(1月27日掲載)
【みんな生きている】
甑山教化所編
(3月24日掲載)
【みんな生きている】
在日朝鮮人帰国者編
(6月22日掲載)
をご覧下さい。

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